Calendar
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< January 2020 >>
NewEntry
Profile
Category
Archives
Comment
Search
Link

Favorite
素材満載 ブログで作る かんたんホームページ [CD-ROM付き]
Mobile
qrcode
Sponsored Links
スッタニパータを読む

 東雲寺仏教講座で原始仏典『スッタニパータ』を読んでいます。 

 

 仏教講座のテキストのひとつに加えた渡辺照宏著作集第五巻『仏教聖典 一』(筑摩書房、1982年)の「スッタニパータ」の解題を以下に紹介します。

 

 南方仏教のパーリ語聖典を猯Л甅犒亅甅猩性 の三大部門に分けるうち、第二の犒亅瓩亙陀の説法を収める。この部門を『長部』『中部』『相応部』『増支部』『小部』の五に分けるうち、第五の『小部経典』は長短さまざまの一五の経典を収めてある。このうちの第一を『小誦』とよぶところから『小部経典』と名づけたのであって、必ずしも小さい経典のみとは限らない。中でも、ここに訳出した『スッタニパータ』は『法句経』と並んで、あらゆる仏典のうちでもっとも古い成立に属する。『スッタニパータ』は一一四九の短詩を七二経にまとめてあり、これは五章に分れる。それぞれの章は一二ないし一八の経から成る。それぞれの経は最初から一貫した筋を追うものもあり、そのうちのあるものは散文の説明を加えるが、第一章第一経の如く、同じ題目の詩を寄せ集めたものもある。第五章だけは首尾一貫した一個の物語である。これらの経のうちの若干はアショーカ王(紀元前二八〇年即位)以前から存したものと考えられる。古い時代の教団の生活や考え方を知るために最も重要な資料である。ただし細かい点になると、ふつうに原始仏教として知られているものと必ずしも一致しないが、『スッタニパータ』はそれ以前の段階を示すものと考えられる。出家修行者ならびに在家信者に対する教訓は適切であるが、とくに第一章第八経、第二章第四経などは現在のわれわれの生活にもそのままあてはまる教えである。
 ヨーロッパでも前世紀以来たびたび出版され翻訳され、三種の英訳、二種の独訳がある。日本語訳は立花俊道(国訳大蔵経)、荻原雲来(大東出版社)、水野弘元(南伝大蔵経)、中村元(岩波文庫)のものがあり、このうち最後のものに詳しい文献がある。しかしきわめて古雅な文体で難解の個所が多く、右に挙げた九種の訳者の意見が別れることも多い。本書の訳は一般読者を対象としたが、理解を助けるために鉤括弧(〔    〕)で旧来の漢訳用例を示しておいた。とくに問題になる語の解釈にはジナ教聖典の用法を参照した場合である。


 解題文中の「ジナ教」とはジャイナ教のことで、「インドの宗教の一。開祖は、前六世紀ごろ、ほぼ釈迦と同時代のマハービーラ。ベーダ聖典の権威を否定し、無神論で、アヒンサー(不殺生)をはじめとする禁戒・苦行の実践を説く。三世紀ごろ、白衣派と裸行派に分裂。商業者に信者が多い」という。


 「第一章第八経、第二章第四経などは現在のわれわれの生活にもそのままあてはまる教えである」というので、その教えをいくつか掲げます。

 

 第一章 第八教「慈」(抄)

143 有益な能力あるものが、寂静の境地に達したならば、その義務として、有能であり、どこまでも正しく、ことばやさしく、おだやかで、高慢を捨てなければならない。
144 足るを知り、多くを求めず、用事少なく、簡素に暮らし、官能は平静で、聡明であり、高ぶらず、ひとの家に行ってもむさぼらない。
148 たとえどこにいても、ひとをだますな、軽蔑するな。怒ったり、恨んだりして、ひとの苦痛を願ってはいけない。

 

 第二章 第四経「大いなる幸福」(抄)

262 父母につかえ、妻子を保護し、安らかに仕事を続ける   これが最高の幸福である。
263 ひとに施し、正しい行ないをし、親族を保護し、ひとから非難されない行ないをする   これが最高の幸福である。
264 悪を避け、悪を離れ、飲酒をつつしみ、正義をなおざりにしない   これが最高の幸福である。
265 ひとを敬い、へりくだり、足を知り、恩を忘れず、時に応じて法を聞く   これが最高の幸福である。
266 忍耐し、柔和で、修行者たちと交わり、時に応じて法を語る   これが最高の幸福である。

 



2020.01.27 Monday 11:51
仏教の教え comments(0)
過去現在未来の諸仏、ともに仏となるときは、必ず釈迦牟尼仏となる

 大晦日の早朝、暮れのお墓掃除・お参りに来られたNさんが、境内掃除をしている拙を見つけ、今年一年お世話になりました。坐禅をすると爽やかで、東雲寺での坐禅が私の生活の柱になっています。来年もよろしくお願いしますというようなご挨拶をくださった。坐禅が生活の柱になっているという嬉しいお話をお聞きすることができ、こちらこそ熱心に坐禅会にご参加くださり、有り難うございますとお礼申し上げた。
 自身が気づこうと気づくまいとに関わらず、坐禅修行の中で仏さまや祖師方がご覧になった〈さとり〉の世界を目の当たりにするのである。そして坐禅を終えて日常の生活にもどるときに、爽やかさ清々しさを感じ、自分自身はもとより周囲の人びとやものごとに対しても謙虚に親切に丁寧に接することができるようになる。こうしたときに坐禅の功徳を実感させていただける。本当に有り難いと思う。
 昨年暮れに松岡由香子先生の眼蔵会(道元禅師著『正法眼蔵』の講義。駒澤大学禅研究所の道元禅研究会)に参加した。このときは『正法眼蔵』第二十九「山水経」の巻の後方部分(岩波文庫『正法眼蔵』(二)199〜204頁)だった。松岡先生の永年にわたるご研究の成果をもとに、緻密な検討を加えた資料を使い講義が進められた。
 資料の中で気になるところに朱線を引きながら学ばせていただいた。特に古今の解釈に対する松岡先生の忌憚のない検討考察に深く頷くところがあった。皆さんに紹介したいところがたくさんあるのだが、残念ながら紙幅に限りがあり、そのごく一部を以下に紹介したい。

 

 次は「山に入る」ということをめぐっての説示である。《身心学道》では〈踰城し入山する、出一心入一心なり。山の所入なる思量箇不思量底なり、世の所捨なる非思量なり〉と示されていたことから、〈山は、いりぬるよりこのかた〉というのは、実際に山に入るということも含意しようが、仏道に入ること、つまり修証することが主な意味であろう。また一章二節の〈山中とは世界裏の華開なり〉とは、仏道においてひとりの人のさとりが成就することを意味する。それを考慮すれば〈山に入る〉は、〈ひとのさとりをうる〉ということをも含意している。(中略)
 〈山は、いりぬるよりこのかたは、一人にあふ、一人もなきなり〉とあるが、なぜ山に入ってからは会う一人もない、ということになるのだろう。諸釈のように山に入ればもはや山になっていて、人ではないから、人には会わないというようなことではなかろう。山に入れば、すなわち仏になれば、もはや人としての個人は脱落して、〈過去・現在・未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり〉《即心是仏》といわれて、〈一人〉という個人はなくなるのである。さらに〈あふ〉も、さとりにおいてはいずれにせよ〈山中人は不覚不知なり〉(一章二節)なのである。それは〈自己を諸仏なりと覚知することをもちいず〉《現成公案》ともいわれていた。《谿聲山色》では〈恁麼時の而今は、吾も不知なり、誰も不識なり、汝も不期なり、仏眼も覷不見なり。人慮あに測度せんや〉と冒頭にいわれている。仏道の修証は、自分も他人も覚知しない、分からないのであるから、〈一人にあふ〉ということはありえないのだ。人の知見・認識・覚知の絶えたところ、そこは〈ただ山の活計するのみなり〉である。山の活計は、不覚不知の行仏でもある。


 引用文中の一章二節とは、松岡先生が正法眼蔵の本文を区切り付されたもので、岩波文庫『正法眼蔵』(二)の185頁にある説示だ。
 『正法眼蔵』「行持」下の巻の「祖仏として行持するわれありしなり」については、松岡先生が言及されている「過去・現在・未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり」という道元禅師の説示が鍵となると思う。そして坐禅を中心とする修行の護持・持続が不可欠なのだ。
今年も坐禅修行に精進しましょう。



2020.01.06 Monday 08:44
道元禅師の教え comments(0)
「スッタニパータ」を読み始めました

 

 東雲寺仏教講座(毎月1回、原則として第4日曜日午後)で、今日(2019年12月22日)から、「スッタニパータ ブッダのことば』を読み始めました。

 

 「スッタニパータ」については、水野弘元・中村元・平川彰・玉城康四郎の責任編集『仏典解題事典』(春秋社、1966年)の解説を以下に掲げます。

 

スッタ・ニパータ(Sutta-nipāta,経集)
 パーリ語で書かれた南方上座部の経蔵(小部)に含まれるテキスト。長短さまざまの詩集で、時に散文を交じえている。蛇品・小品・大品・義品・彼岸道品の5章からなる。
 原始仏教聖典中最古の作品で、特に義品と彼岸道品の2章は、最初独立して行なわれ、仏教最古の聖典といってよい。蛇品(ウラガヴァッガ Uragavagga)には12経あり、その第1経に〈比(び)丘(く)は、蛇が古りたる旧皮を棄つるがごとく、彼此の岸をば共に捨つ〉の句をくり返し、《蛇経》と名づけられている。第3経には〈一角犀のごとく、まさに独り遊行すべし〉と説く有名な詩が収められている。小品は比較的短い諸経を集めて14経、大品はやや長い12経を集めている。なかでも《出家経》(大品第1経)、《精勤経》(同第2経)、《ナラカ経》(同第10経)の3経は仏陀の伝記に関する最古の資料である。《ヴァーセッタ経》(第9経)は四姓平等の理を説き、《二種随観経》(第12経)は素朴な形で縁起の理を説く、義品 Atthakavagga の名はまた八偈品とも解せられ、《窟八偈経》(第2経)、《瞋怒八偈経》(第3経)等、8偈から成る経が多い。古くから16経の構成を有し、漢訳《義足経》はこれに相当し、やはり16経より成る。彼岸道品 Pārāyanavagga は趣を異にし、全体が統一性を有する。16人の学童がブッダに問い、ブッダがこれに答える問答16節と、その前に序偈、あとに結語の2節、合わせて18節から成る。
 パーリ語三蔵の中には多数のスッタ(経)が存するのに、本集のみ特に《経集》と呼ばれた理由は、他の経にはそれぞれ特定の名をもって呼ぶべき特徴があるが、本経にはかかる特別の特徴がないために《経集》と呼ばれたと言われる。本集はこのように雑多な経の集成であり、《経集》の名は他の部派の伝承には見られない。南方上座部特有のもので、このように編纂されたのは、紀元前3世紀以後のことである。本集には《義釈(ニッデーサ、Niddesa)》と呼ばれる古い註釈書がある。これは義品・彼岸道品の2章と蛇品第3経に対する語句註解である。《義釈》成立時代(B.C3世紀のアソーカ王時代または後間もないころ)にはまだ本集全体がまとまっていなかったと思われる。しかし義品・彼岸道品のみならず、他の3章中の各経いずれもきわめて古い起源のものである。新しい要素がまったくないわけではないが、その内容は最古の仏教を明らかにする資料である。純粋素朴な仏教思想を説き、最初期の教団のあり方を反映している。(以下、略)

 

 

  教材は住職作成のプリントで、中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫をはじめ5種類の翻訳本の訳文を比較しながら、第1章の第1経の1から17の詩偈を読みました。参考に資すため、以下に1から3までの詩偈を紹介します。

 

 |翅 元訳『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫、1984年

◆々嗚凖欺咫λ楙盈品検Ρ殍槓戸彩『原始仏典』第七巻「ブッダの詩 機廖屮好奪織縫僉璽拭兵畭困里海箸弌法弭崔娘辧■隠坑牽供’

 宮坂宥勝訳『ブッダの教え   スッタニパータ』宝蔵館、2002年

前谷 彰訳・解説者『ブッダのおしえ 真訳・スッタニパータ』講談社、2016年

ァ/緻邱宛橘『経集(スッタニパータ)』オンデマンド版『南伝大蔵経』24 、「小部経典」2、大蔵出版、2001年

 

1、蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。

   蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

1、もし比丘にして、むらむらとこみ上げてきたいらだちを除去してしまうこと、あたかも全身くまなくひろがった毒蛇の毒を霊薬によって解消してしまうごとくであるならば、そのような比丘は、あちことへ往還し流転しつづけてきた輪廻を放棄してしまう。あたかも蛇が古くなったとき、久しく自分のものであった皮を捨てていくように。

1、蛇の毒が(体に)まつわるのを薬草で抑えるように、生じた怒りを抑えるかの行乞(=修行者)は、劣った此の岸を捨てる。あたかも蛇がこれまでの古びた皮を〔脱ぎ捨てる〕ように。

1、からだに広がった蛇の毒を薬で追い払うように、生じた怒りを追い払う ― のようなビクは、この世と彼の世を捨て去る。蛇が朽ちた古い皮を捨て去るように。

1、〔体中に〕拡がれる蛇毒をば薬草をもて〔消 すが〕如く、〔心中に〕生起せる忿(いかり)を調伏するかの比丘 は、蛇が古りたる旧皮を〔棄つるが〕如く、彼此の岸をば〔共に〕捨つ。


2、池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

2、もし比丘にして、色あでやかな欲情をあますところなくもぎとってしまうこと、あたかも水中から根茎によって水面に出た蓮の花を深く手を入れてとるごとくであるならば、そのような比丘は、あちことへ往還し流転しつづけてきた輪廻を放棄してしまう。あたかも蛇が古くなったとき、久しく自分のものであった皮を捨てていくように。

2、池の中に生えている蓮華を〔子どもたちが池に入って〕折り取るように、貪りを余さず断ち切ったかの行乞舎は、劣った此の岸を捨てる。あたかも蛇がこれまでの古びた皮を〔脱ぎ捨てる〕ように。

2、蓮の池に飛び込んで、蓮の根を断ち切るように、激しい欲望を余すことなく断ち切った ― のようなビクは、この世と彼の世を捨て去る。蛇が朽ちた古い皮を捨て去るように。

2、池に生ぜる蓮華をば〔子等が〕潜りて〔折 るが〕如く、貪(むさぼり)を残りなく棄断せしかの比丘は、蛇が古りたる旧皮を〔棄つるが〕如く、彼此の岸をば〔共に〕捨つ。 


3、奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
3、もし比丘にして、あたりに浸潤する深層の欲望をあますところなく断ちきってしまうこと、あたかも激流なす河を干上がらせてしまうごとくであるならば、そのような比丘は、あちことへ往還し流転しつづけてきた輪廻を放棄してしまう。あたかも蛇が古くなったとき、久しく自分のものであった皮を捨てていくように。
3、流れる急流を涸らせて〔しまうように〕余すことなく渇望を断ち切ったかの行乞舎は、劣った此の岸を捨てる。あたかも蛇がこれまでの古びた皮を〔脱ぎ捨てる〕ように。
3、急流を干上がらせて、その流れを断ち切るように、愛の渇きを余すことなく断ち切った ― のようなビクは、この世と彼の世を捨て去る。蛇が朽ちた古い皮を捨て去るように。
3、急流する〔輪廻の〕流れを涸渇せしめ、渇愛を残りなく棄断せしかの比丘は、蛇が古りたる旧皮を〔棄つるが〕如く、彼此の岸をば〔共に〕捨つ。

 

 

 

 


 



2019.12.22 Sunday 21:20
東雲寺あれこれ comments(0)
東雲寺六世朝庵が釈迦像を彫刻して板橋区西台圓福寺に奉納

武州多摩郡成瀬村東雲寺六世朝菴叟退耕日久
而時々彫刻佛像以消閑耳予時求惠心之作之御首
而久重秘之頃圓福天巖師要用此御首而更憑予
拙工全身相而為本尊予好其願根不抜之志而手
親成拈花之聖像以奉納西臺山然其漆布粧飾
之料圓福之師檀戮力贖之也於于茲徹見疇昔
靈山會上之巍々拈花形容蕩々附法盛事恰如嚴然
明歴在于目中焉吁何堪歓躍之情乎哉因賦一章
以記其事跡云尒
朝菴彫刻釋迦文 御首用源心工巧勲
欽納西臺圓福寺 師檀贖費各随分
享保改元丙申冬十一月穀旦朝菴六十三歳欽記

 

   冒頭から漢字の羅列で驚かれたかと思う。これは板橋区西台三丁目にある圓福寺さまのご本尊さまを修復した際に仏像の中から発見された「胎内文書」である。11月20日(水)昼過ぎに圓福寺ご住職・森正春さまからお電話があり、胎内文書に「武州多摩郡成瀬村東雲寺」とあるので、町田市の東雲寺ではないかと思って電話をした。「六世朝菴」という人物が東雲寺の歴代住職の中におられるかとのお問い合わせだった。私が東雲寺の六世は朝庵隠市という方だとお応えした。その上で東雲寺は江戸期と明治初めの二度火災に遭っており、古い史料が残っていないので、ぜひその文書を見せてほしいとお願いした。するとご親切に、すぐにFAXで当該文書ばかりか、それを活字にしたもの、さらに文書内に使用されている語句の解説や意訳まで送信いただいた。
 この東雲寺六世朝庵隠市という住職については『東雲寺史余話』(2018年刊)に記しているのだが、2010(平成22)年春に東雲寺開山明岩宗珠大和尚のお像を修復した際に見つかった胎内文書にその名を遺している住職である。開山像の胎内に古紙に包まれた木札が二枚あり、

その内の一枚の表面に

 

元禄八乙亥歳十一月朔日
明巖和尚之尊像新造
武州多摩郡成瀬村東雲寺第

 

裏面に

 

六世朝庵隠市叟代
佛師者江城大佛師大貮
法橋宗慶刻彫之

 

とあった。
 今回のは圓福寺さまのご本尊の胎内文書で、これもまた、朝庵自身が記したもののようだ。二つの文書が記された年月日を見てみると、元禄乙亥八年は1695年、享保改元丙申年は1716年で、この20余年の間に朝庵は住職を退き、圓福寺の文書を書いたときに63歳になっていたということである。
 圓福寺のご住職から頂戴した「意訳」を参考にして文書を読み解くと、朝庵が東雲寺住職を退き隠居して久しく経ち、時々退屈しのぎに仏像を彫刻していた。時に朝庵が恵心(恵心僧都源信。平安時代中期の天台宗の僧、『往生要集』の著者)の作とされる仏頭を入手し、それを永く秘蔵していた。圓福寺の天巖さま(圓福寺九世天巖雲理)が仏頭の力を必要として、朝庵が彫刻した仏像の全身と合わせて圓福寺の本尊さまにしたいと求めて来た。朝庵はその願いを容れ、気を抜かず心を込めて拈花の聖像を彫刻し、西台山圓福寺さまに奉納した。
   この「拈花の聖像」とは、インドの霊鷲山でお釈迦さまが説法の折、手にした花を黙って掲げ示したという伝承に因むもので、金波羅華を手にした釈迦像ということだろうか。さらに胎内文書の中で朝庵は続けて次のように言う。
  釈迦像の制作費や装飾品の費用は圓福寺のご住職や檀家さんたちの協力で賄われた。過去から今日までを見通すと、霊鷲山で伝えられた真理(仏教の教え)が盛んになるようにはっきりと感じられる。このような喜ばしい気持ちをどうして抑えておられようか。そこでこのことを詩偈(漢詩)にして後の世に伝えたい。


朝庵が釈迦像を彫刻
その仏頭は源信の名作
謹んで西台の圓福寺さまに奉納した
住職と檀家さんから過分なお礼を頂いた


 なぜ天巖さまが、恵心の仏頭を秘蔵する朝庵が仏像彫刻することを知ったのかなど、不明な点もあるが、朝庵隠市の新たな事績が分かった。



2019.12.04 Wednesday 15:59
東雲寺あれこれ comments(0)
晩秋の東雲寺

 

 

今年は紅葉せずに木々から葉っぱが落ちてしまい、紅葉なしのまま冬になるのかな、と思っていましたが、12月3日朝、庭掃き掃除をしていて、ふと眼を上げると、わずかに残った木々の葉が、朝の陽射しに照らされ、きれいな紅葉を見ることができました。



2019.12.03 Tuesday 22:21
住職雑感 comments(0)
梅花講の皆さんがお地蔵さまにご供養の奉詠をしました

 

台風15号の倒木が当たって倒壊したお地蔵さまを修復、改めて開眼供養したことは既報の通りです。

この度、11月20日午後に東雲寺梅花講の皆さんが、お地蔵さまに詠讃歌を奉詠し、ご供養申し上げました。



2019.11.23 Saturday 07:52
東雲寺あれこれ comments(0)
『法句経』の423詩偈を読み切りました

 

東雲寺仏教講座で2017年12月から読み始めた『法句経(ダンマパダ=真理のことば)』423詩偈を、11月17日の18回目の講座で読み切りました。『法句経』は原始仏典のひとつで、お釈迦さまの〈生〉の言葉が記されているとされています。

次回からは『法句経』とともに最古の仏教聖典とされる『スッタニパータ』を読んで行こうと思っています。

 



2019.11.19 Tuesday 12:05
東雲寺あれこれ comments(0)
近隣の2つの小学校の作品展をはしごしました

 

11月16日(土)午後、東雲寺の近くにある成瀬中央小学校と南第二小学校の作品展を見に行きました。

 

 



2019.11.19 Tuesday 09:30
住職雑感 comments(0)
第11回 成瀬名物東雲寺寄席

2019年11月4日13時30分より第11回成瀬名物東雲寺寄席を開催。

まず、露の新治師匠が「兵庫船」

 

柳家さん喬師匠が「二番煎じ」

中入りを挟んで

新治師匠が「口入屋」を好演。

 

 

ゲストの林屋あずみさんの三味線漫談

 

 

 

 

トリはさん喬師匠の「芝浜」を堪能させていただきました。

 

 

 

 

 



2019.11.05 Tuesday 16:08
東雲寺あれこれ comments(0)
小野路の東光寺さま開山歴住塔開眼

 

 町田市小野路の長谷山東光寺ご住職から開山歴住塔(多宝塔)の開眼を依頼され、11月1日(金)15時より関係者参列のもと開眼法要を修行しました。

 東光寺さまの17世住職が、東雲寺の先々代住職、東雲寺十九世大豊祖岳大和尚(柚木祖岳)というご縁があり、20年ほど前に先代秋芳能宣大和尚(柚木能宣)が東光寺さまの大梵鐘撞き初め式を勤めさせていただいたことがありました(写真左上に鐘楼堂が見える)。

 今回、東光寺さま開創830年式典(11月4日)に先立ち、拙僧が出仕、開山歴住塔開眼法要を修行させていただきました。

 

 

 



2019.11.01 Friday 22:09
住職雑感 comments(0)
1/83PAGES >>