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境内の花々
サンシュユ
リキュウバイ お彼岸の夕刻、本堂の須弥壇へ夕陽が差しています
2024年3月18日17時35分ころ、本堂内に射し込む夕陽を撮影しました。 東雲寺は成瀬の東側、小高い丘のふもとに、真西向きに建立されている寺院です。 そのため春秋のお彼岸の晴れた日の夕方には写真のようになります。
白蓮が開花しました
横浜市青葉区奈良の松岳院東堂北川久憲老師本葬
東雲寺の組寺の一つ、青葉区奈良の松岳院25世全峰久憲大和尚(2月23日遷化、享年85歳)の本葬儀が3月12,13日に行われた。 組寺は町田市では東雲寺、祥雲寺(高ヶ坂)、宗保院(原町田)、相模原市の泉龍寺(南区上鶴間本町)、大和市の定方寺(下鶴間)、横浜市の福昌寺(青葉区恩田町)、そして松岳院の7ヵ寺である。この組寺のお付き合いは江戸時代からのものだと思う。 毎朝、朝の勤行の後、東雲寺本堂の向拝や濡縁の拭き掃除をしていると、松岳院さまの朝7時の梵鐘の音が聞こえる。東雲寺の東側の丘の向こう側に松岳院さまがあって、恩田町の福昌寺さまとともに東雲寺に一番近いお寺である。
北川久憲老師と私とは48年ほどのお付き合いである。 久憲老師が16歳のときに松岳院の住職だった師父が逝去されたとお聞きしている。ご苦労の中で修行を積まれ、若干21歳で松岳院住職に就任。平成26年に現住職・泰人方丈さまに住職を交代するまで53年間という長期にわたり住職をお務めだった。 東雲寺の先代住職も23歳で師父を送り25歳で住職した。境遇が似ている先輩後輩で馬が合っているように見えていた。 かつては大規模のご葬儀があると久憲老師にもご助力いただいたし、近隣寺院の恒例行事や慶弔事には必ず顔を合わせていた。こうした後では必ずと言って良いほど、各寺院でのお斎の後で席を変え小料理屋などで二次会をやっていた。 久憲老師は興が乗ると、求めに応じて座敷の隅に座布団を数枚重ねで高座を作り、 四代目柳亭痴楽の噺「 恋の山手線 」ーー「上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り、彼女は奇麗なうぐいす芸者( 鶯谷 )、にっぽり( 日暮里 )笑ったあのえくぼ、. 田畑( 田端 )を売っても命懸け・・・」を演じた。お若いころは毎日のように酒宴になっていたと思われる。いつごろからか、キリンビールの一番搾りとか銀河高原ビールしか飲まないために、久憲老師が行く先々の寺院や小料理屋ではそれらを予め準備するようになったし、箱根や熱海の旅館では取り寄せをしてもらっていた。 そうしたことがあってか、久憲老師が、一時期、健康を損ねたことがあった。掛かりつけ医の小林先生に「東雲寺さんに人間ドックを紹介してもらいなさい」と勧められ、以後、定期健診を受けるようになり、数年後、健康を取り戻すことができたと、ご自身でおっしゃっていた。 ご苦労された姿を微塵も見せず、感じさせず、生き方、暮らしぶり、行住坐臥のすべてが軽妙洒脱な方だった。 曹洞宗門内では神奈川県東部の第4教区長を2期8年、その間に宗務所会議長、さらに梅花主事4年、社会歴では保護司27年間、民生委員3年間をなさり、私の記憶違いでなければ青葉区の選挙管理委員もなさっていたと思う。 大峰山松岳院の53年もの長き住職就任期間中、久憲老師が伽藍新築や境内、墓地の整備のほぼすべてをなさっておられた。 松岳院25世全峰久憲大和尚の遺偈は次の通り。 一滴一凍 八十五年 末後端的 夢中説禅
私は久憲老師の本葬で、現住職・北川泰人師から起龕仏事師を依頼されたので、老師のお徳を偲びつつ法要儀式をお勤めした。 最後に拙作香語を記す。 洒脱軽風老古仙
久しぶりの本屋さん
八重洲ブックセンター、渋谷の大盛堂書店、東急本店にあったMARUZEN&ジュンク堂書店などが閉店してしまい、また神保町の書泉グランデは品ぞろえが変わってしまい、三省堂は建て替え中(仮店舗があることを後で知った)等などで、本格的な本屋さんに行けてなかった。町田にも本屋さんはあるが、文庫、新書、雑誌、実務書、参考書などで哲学とか宗教、歴史、社会運動などの専門書はないか、あっても少しばかりで、本屋さんめぐりで2、3時間くらい楽しんできた本好きにとっては、残念ながらとても満足できるような本屋さんではない。 久しぶりに時間ができて、新宿の紀伊國屋書店で45分ほど本屋さんを楽しんだ。どこに何があるかを探してから、それぞれのコーナーで本選びをしていると、あっという間に予定時刻になってしまい、重たい本は同書店のウェブストアで購入することにして、軽めの本2冊ほど購入して退店したが、楽しい時間を過ごすことができた。 街の本屋さんは文化の発信地であり、街の本屋さんを復興する動きがあると聞いている。 スマホで読書も良いだろうが、書店の棚に並んだ書籍、その隣の書籍、そのまた隣の書籍が興味をそそられることがある。それはたぶん書店の経営哲学が関係していると思うし、担当店員さんの品ぞろえの腕だと思う。そういう本屋さんにまた巡り会いたい。 雪の河津桜
3月8日早朝、雪の河津桜。
佐々木宏幹先生のお通夜
3月3日(日)18時、港区高輪の泉岳寺さまで、2月26日に逝去された駒澤大学名誉教授・佐々木宏幹先生(享年93歳)のお通夜に参列、お焼香させていただいた。先生は宗教人類学、宗教文化論がご専門で、シャーマニズム研究では国内外に知られた方だった。駒澤大学や曹洞宗教化研修所の関係者の皆様のお力で通夜、葬儀が設定されたと思われる。 私は今から50年ほど前の曹洞宗宗務庁に就職した当時から、佐々木先生と親しい上司や先輩方の紹介でさまざまな仕事でお世話になっていた。蛙蝉会(あぜんかい)という曹洞宗にご縁のある各界の著名人、有識者による曹洞宗の未来を構想する会合では、佐々木先生がコーディネーター・幹事のお一人で(先生は当時40代半ば)、蛙蝉会の提言書のまとめ、校正、ゲラのチェックなどをお願いしており、上司の井上正憲課長(故人)の指示で、先生のご自宅(横浜市青葉区しらとり台)に伺うことになったところ、先生から自宅の最寄りの「青葉台駅で下車して、国道246線のガード近くの赤提灯で飲んで待ってなさい」というお電話をいただいた。 ビールを頼んでチビチビやっていると、先生とその後輩にあたる峰岸孝哉先生(故人)がタクシーで来店、お二人ともすでに御酒を召し上がっておられるご様子だったが、佐々木先生はテキパキと用件を処理され、私は役目を果たし少し御酒をいただいて帰宅した。これが先生と直接お話しした最初のような感じがする。 この前後だったが、佐々木先生が主導されていた曹洞宗檀信徒意識調査が全国各地で実施された。私も調査員の一番若手として調査活動の途中からだったが山口県、北海道、富山県、長崎県、兵庫県、東京都などで、檀信徒との面接アンケート調査を行った。その間、合宿での研究会があって、佐々木先生門下の研究者たち、助手や大学院生たちの熱心な議論に衝撃を受けた。 曹洞宗が部落差別問題と出会った当初も佐々木先生は委員会に名を連ね、さまざまなアドバイスをしてくださったが、その後、徐々に私とは疎遠になってしまっていた。
お通夜には僧俗数百人参列していたように思う。本堂内には深澤信善師(元全日本仏教会事務総長)、中野重哉師(元愛知学院大学理事長)、森道輝師(曹洞宗埼玉県第2宗務所所長)、衣笠晃暢師(全日本仏教会社会人権部長)など佐々木先生の教化研修所の後輩たちが参列されていた。保土ヶ谷区上星川「花しん」の老川文枝さん、石井修道先生(駒澤大学名誉教授)のお顔も見えた。 お通夜の読経後に佐藤憲昭先生(駒澤大学名誉教授。佐々木先生の一番弟子?)が佐々木先生の思い出を出会い、講義、国際学会、縁談などの7つの箇条書きでお話くださった。佐藤先生のお話しを聞きながら、佐々木先生のご業績を偲ぶとともに、その偉大さを改めて感じた。 佐々木先生のご冥福をお祈りする。
ダンス公演「テとテのボレロ」を鑑賞
3月3日(日)14時30分、和光大学ポプリホール鶴川ホールで行われた「テとテのボレロ」というダンスパフォーマンスを鑑賞しました。写真は公演直前のリパーサル風景。 孫のK君が出演していました。 K君たち、主に町田市内の小学校3年生〜6年生の21人は2月4日以来、土日、祝祭日など10日間、アーティスト・仁田晶凱氏(振付家・ダンサー)の指導によるワークショップを通して「テとテのボレロ」を作り上げたとのこと。 「ボレロ」(モーリスラヴェル作曲)のダン・ダダダダン、ダン・ダダダダンというリズムが繰り返される中で、K君たちが体全体、特に手のさまざまな動きによる表現で自分たちの思いを観客である私たちに伝えてくれました。 涙もろいジィジは最後のクライマックスで泣きそうでした。K君たち21人の子どもたちの努力の成果がよく分かる舞台でした。
東雲寺東側丘の上の河津桜
3月2日朝7時半ころ撮影、河津桜が満開です。 東雲寺仏教講座「『スッタニパータ』を読む」(第31回)開催
2月25日14時〜15時半、東雲寺仏教講座「『スッタニパータ』を読む」(第31回)を開催しました。 第4「八つの詩句の章」の12経「並ぶ応答 小篇」885詩句〜13経「並ぶ応答 長篇」914詩句までを読んで教えを学びました。 |