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圭室文雄先生の連続講座、本年度最終回

明治大学名誉教授・圭室文雄先生をお招きしての東雲寺文化講座。

2017年度第三回(最終回)は

9月24日(日)15時〜16時30分

東雲寺本堂を会場に開催します。

今回の演題は「泉岳寺と四十七士」です。

参加希望の方は、会場や資料準備のため、予めご一報ください。



2017.09.21 Thursday 07:44
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さん喬・新治二人会 第9回成瀬名物「東雲寺寄席」

 今年も成瀬名物「東雲寺寄席」を開催します。

 柳家さん喬師匠、露の新治師匠の二人会です。さん喬師匠は2017年4月29日に紫綬褒章を受章されました。

 ゲストにめおと楽団ジキジキのお二人をお迎えします。ジキジキのお二人は東雲寺寄席出演が二度目です。

 

 9月1日より予約受付をいたします。

 ご希望の方は、郵便、FAX、Eメールでお申し込みください。

 

    郵便 〒194−0044

                 町田市成瀬4−14−1 東雲寺

    FAX 042−721−2964

    Eメール butudou-sogen@vesta.ocn.ne.jp



2017.08.29 Tuesday 06:45
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夏期文化講座開催


 

  圭室文雄先生(たまむろ・ふみお、明治大学名誉教授)を講師にお迎えし、8月27日午後3時から「成田不動(新勝寺)の歴史」のご講演をいただきました。

  次回は9月24日(日)15時〜16時30分「泉岳寺と四十七士」の予定です。



2017.08.28 Monday 10:27
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子ども坐禅会

2017082616310000.jpg
   8月26日朝7時〜8時、夏休み最後の土曜日に子ども坐禅会を開催しました。

 成瀬台などの近隣の子どもたちや保護者の方たち、住職の家族が整体でお世話になっている矢野川先生が指導されている極真空手矢野川道場の子どもたちと先生たち、合わせて百十数名が参加してくださいました。

 『般若心経』を読み、開会の挨拶の後、私たちをはじめ宇宙のあらゆる事物を構成する四大五蘊や私の生命につながる「七世の父母」のお話しをしました。そして坐禅の坐り方、二十分ほどの坐禅。小さなお子さんが少しお話ししていましたが、子どもたち70名ほどと大人の方たち40名ほどが本堂いっぱいに居ながら、シーンと静まりかえった時間、空間の中で坐禅を修行しました。



2017.08.26 Saturday 16:38
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詠範会の皆さんが無常御和讃のお唱え

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   8月23日10時、曹洞宗東京都宗務所詠範会研修会開催に先立ち、講師の片岡修一師範に導師をお務めいただき、参加者全員で、能宣東堂の供養のため、「舎利礼文」を読経、「無常御和讃」を奉詠くださいました。



2017.08.23 Wednesday 11:17
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東雲寺境内の桜と櫻龍会のことなど

 1997(平成9)年4月に東雲寺第二十一世重興秋芳能宣大和尚(柚木能宣、2017年6月18日寂、享年92歳)が出版した『東雲寺史』の「あとがき」に次のような文章がある。

 

   たしか明治の終わり頃と聞いて居りましたが、横参道の一部五十米程の道路の片側に櫻の木12、3本植樹してあり、昭和10年頃には見事に花を咲かせて多くの人の目を楽しませて呉れました。ところが戦後間もなく切りとられることになって了いました。私はその吉野櫻の花を忘れることができず、再び其の花の実現を夢見て昭和三十二年春、檀徒の広瀬由蔵翁にご寄進頂き、寺の地形に合わせてトランプのスペード型に植樹していただいたのが現在の櫻並木です。苗木を植えながら翁は「やがて『東雲寺吉野の櫻咲きにけり』となる」と即興的に一句ものされたのが印象的でした。それから何年か後に多くの方が爐気らめぐり瓩砲出で下さるようになりました。それからは例え数は少なくとも一年中どこかで何かの花が咲いていることを目標に花木を植えてきました。(後略)

 

  東雲寺の石段側に立つお地蔵さまの真向かいに6、70センチほどの記念碑があって、
    「昭和三十二年花まつりの日/吉野桜六十本/施主廣麝蛎◆薪山二十一世能宣代」
  と彫刻されている。これらによって東雲寺の桜が、ちょうど60年前に植えられたことが分かる。
  能宣東堂(東堂は引退した住職をさす言葉。前住職)は桜が好きだった。昭和50年代の初め、お花見の時季に東堂とその友人十数人が酒宴を開いた。客殿の玄関の明かりがかすかに届く場所で車座になり、宴もたけなわになると、渋い声の市川弘治さんが十八番を歌って皆が手拍子をとり、八木文雄さんが自慢の尺八を吹くなど、昔懐かしいスタイルの酒盛りだった。その頃の能宣東堂のレパートリーは、およそ酒宴に相応しいとは言えないような、たとえばシューベルトの『菩提樹』で「泉にそいてしげる菩提樹慕い行きてはうまし夢見つ」とか「匂い優しい白百合の濡れているよなあの瞳」の『北上夜曲』などだった。二十代半ばの私も何か歌うように言われ、ギターを引きながら加山雄三の『君といつまでも』を歌うようなこともあった。
  当時は照明もほとんどない暗い境内の桜を観ながらの宴だったし、この季節はけっこう寒い日が多く、次の年あたりからは客殿の中でのお花見になったように思う。そしてたぶん八木邦治さんあたりが言い出したのだろうと思うが、この花見の会に「櫻龍会」という名前がつけられた。「櫻」はもちろんお花見の桜のことで、「龍」は東雲寺の山号「龍谷山」の龍である。
  東雲寺のご近所で東堂の同級生や先輩後輩、内田宗助さん、広瀬幸作さん、八木松太郎さんなど極ごく親しい仲間たち十数名で発足、能宣東堂が会長になり、会員の皆さんとは三十歳ほど年齢差のある私も名簿の最後の方に会員登録された。ただ、翌々年あたりから、東堂が楽しみにしている気のおけない仲間たちの宴ということを思って、ゲストのような存在だった私は何か用事を作っては出席を遠慮するようにしていた。
  毎年恒例のお花見はずいぶん永く続いたし、今日現在も会は残っているようで、東堂の葬儀の折には櫻龍会として生花をお供えいただいた。
  櫻龍会のメンバー皆が元気なときには、毎年秋に静岡県や山梨県、長野県などの近県にバス旅行に出かけた。そういうとき、お食事処や旅館には歓迎の「櫻龍会御一行様」と書かれた名札が掛けられており、旅館の方たちなどが、何か危ない人たちが来ると勘違いして(確かに一見恐そうな顔の人もいた)、緊張気味に出迎えられたそうだ。しかし、その正体がお寺の住職と愉快なおじさんたちということが分かってホッとする様子が見て取れると、それを面白がって、帰宅後の土産話や思い出話の中で盛り上がっていた。
  櫻龍会の会員でお元気な方も数名おられるが、ここにお名前を挙げた方たちをはじめ会員の多くがすでに亡くなっている。能宣東堂は彼岸で久しぶりの再会を果たしていることと思う。



2017.08.21 Monday 18:49
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百日紅が咲いた

2017082117540000.jpg
 6月22、23日、植木屋さんに東雲寺境内の樹木の剪定をお願いした。 

 毎年のことで、7月13〜15日のお盆を迎えるためなのだが、今年は6月27、28日に柚木能宣東堂の本葬儀があったので、無理を言って、急遽、作業日程をこの時期に入れてもらった。人手が足りなく、経験不足の見習いもいて、先輩の指示を聞き違いして、客殿前の百日紅の枝を全部切り落としてしまった。作業後に親方に聞くと、この百日紅の今年の花は無理だと言った。

 住職は「7月が無理でも良い、遅れても良い、植木屋さんに負けるな、百日紅、頑張れ!!頑張れ!!」と、毎日、言い続けて来た。丸刈りにされたが、しばらくして百日紅の木の幹に若い芽が出て来て、日に日に枝がぐんぐん伸びて来て、約2ヵ月後の本日、8月21日朝、他の百日紅の木から見ると花は若干少ないが、百日紅に花が咲き、花を愛でることができるようになっていた。

 



2017.08.21 Monday 17:55
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圭室文雄先生の連続講座開催

 7月23日15時から、明治大学名誉教授・圭室文雄先生をお迎えし、2017年度の東雲寺文化講座第1回「金刀比羅宮の歴史」を開催しました。

 いつのことか、なぜなのか詳細不明なのですが、東雲寺の東方の道ばたにあったとされる金比羅さまのお堂が、東雲寺の境内に移築され、現在、釈迦堂の斜め後方にお祀りされています。そうしたことで、圭室文雄先生にお願いし、金比羅さまについてお教えいただきました。

 次回は、8月27日(日)15時〜16時30分、「お不動さま」についてご講義いただく予定です。

 



2017.07.25 Tuesday 16:01
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夏の子ども坐禅会

 毎年恒例の東雲寺「夏の子ども坐禅会」(第一回)が、夏休み最初の日曜日、7月23日朝7時から開催。

 小学生、幼稚園児41名、保護者の方たちや東雲寺坐禅会のメンバー48名がご参加くださいました。

 子どもたちに何をどうお話するかを考えて、悩んだあげくに、当日朝を迎えますが、毎年、とても緊張します。

 

  次回8月の子ども坐禅会は、夏休み最後の土曜日、8月26日の朝7時〜8時に開催予定です。



2017.07.25 Tuesday 08:33
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東雲寺の衝立

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  東雲寺の本堂に年月を経て色あせた衝立(縦100✕横90僉砲ある。

  一面に「竹に雀」の絵、もう一面に「此の道よ里 わ連を生可須見知奈し この道越歩く」という草書体の書が表具されたものである。この言葉自体は武者小路実篤(1885〜1976年)の「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」だが、筆跡から見て、書を認めたのは先代住職柚木能宣大和尚(2017年6月18日遷化〈逝去〉)だと思われる。万葉仮名まじりの草書体の書のため、拙は衝立として使い続けながらも、きちんと読むことなく漠然と見ているだけで、最近まで一部判読できずにいた。
 先代能宣大和尚は、1925(大正14)年7月23日、東雲寺十九世柚木祖岳・トシ夫妻の一女五男の末っ子として誕生。

 1938(昭和13)年6月に師父・祖岳さまのもとで仏門に入る一方、横浜商業高校(Y校)へ進み、さらに戦中戦後に駒澤大学東洋学科において修学。
 1945(昭和20)年4月、先代は学徒動員で徴兵、岐阜県各務原で新兵訓練を受け、房総半島からの敵軍上陸に備えるため、東海道線が爆撃を受けたために、中央線経由で千葉県習志野に移ったそうだが、その直後の8月15日に敗戦、無事復員できた。
 1947(昭和22)年3月、先代は大本山總持寺で修行、5月に師父の祖岳さまの法を嗣ぎ、次いで7月に大本山永平寺、9月に大本山總持寺で瑞世(「一夜住職」としての儀式)を行っている。
 そして同年9月末日に駒澤大学を卒業。
 翌1948(昭和23)年3月8日、祖岳さまが遷化、この前後に、当時、南村立第二小学校の校長だった亀山道鱗師(高ヶ坂祥雲寺住職)の勧めで代用教員として勤務、後に教員免許を取得、1971(昭和46)年まで二十三年間、教員生活を送っている。
 先代が生前よく口にしていたことのひとつに「東雲寺が乗っ取られそうだった」ということがあり、祖岳さまの遷化後、先代と兄弟子K師との間で後継争いがあったという。東雲寺の本寺・雲松院(横浜市港北区小机町)の当時住職だった内野昇陽さまの説得、後押しで、先代能宣師が東雲寺住職になることになって、1950(昭和25)年4月22日に正式に住職就任、弱冠24歳9ヵ月で東雲寺を護る立場になった。
 この兄弟子K師というのは、先代の実兄たちのことではない。兄たちは、早世した次男をはじめ、病気や戦争によって次々と後継者としての道から外れて行き、周囲の関係者たちが「五男の能宣を後継にしよう」ということになったのだろうと思われる。それが祖岳さまが遷化される前年に、先代能宣師に後継者としての資格を取得させるための手続きを慌ただしく行っていることからも推測できる。
 一女五男の末っ子として生まれた先代は、まさか自分が父親の跡を継いで僧侶になるとは思っていなかった。実業家への道を歩む夢を持っていた先代が、周囲からの働きかけによって、駒澤大学に進むことになったようである。
 先代は、「Y校」出身を誇りにし、経理や簿記が得意だった。最晩年まで私的な収支の家計簿をつけていたし、住職在任中は、どんなに遅くなっても、その日の東雲寺の収支を出納帳に記入していた。十数年前に、収入欄と支出欄の数字が逆になっていたことを友人の会計士さんから指摘され、「そろそろ若檀那に住職を譲ってはどうですか」と言われたことがあった。それからしばらくして先代から拙への住職交替となった。
 先代が四、五十歳代のときには、すでに自他共に認める能書家になっていたが、先代が二十代で書いた若々しい文字のお位牌が何軒かの檀家さんの仏壇に残っている。たぶん必要に迫られ、先代は書道を習ったようだ。そのときに指導者から与えられた仮名文字の課題だったのか、それとも自分が好きな言葉だったのか不明だが、実篤の「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」を書き、本堂の衝立にしていた。
 先代は小学校教師をしながら東雲寺住職を務めている自分に「この道だ」と言い聞かせていたのだろうか。

 



2017.07.09 Sunday 17:53
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