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合掌の仕方(道元禅師『赴粥飯法』による)

  東雲寺仏教講座「『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』を読む」を開催している。いつもは毎月第四日曜日の午後開催なのだが、5月の第四日曜日は所沢市薬王寺さまの結制法要に随喜参列のため、第三日曜日5月21日開催となった。
  『赴粥飯法』とは禅の修行道場などでお粥やご飯をいただくときの作法ということだ。講座で使用するテキストは道元禅師(1200〜53年)が越前(福井県)永平寺において書き示されたと考えられている著作である。入堂法(にゅうどうほう=僧堂〈坐禅堂〉に入るときの作法)、上牀法(じょうしょうほう=各自の坐位に上がる作法)・下鉢法(あはつほう=応量器〈修行者が携帯する食器〉を高いところから下ろす作法)・展鉢法(てんぱつほう=応量器を展開し、入れ子状に重ねられた五つの小鉢などを並べる作法で、受食の用意をすること)・行食法(ぎょうじきほう=給仕人が食物を配る作法)・受食法・洗鉢法などが細かに丁寧に示されている。
食事に関する作法集なのだが、僧堂(坐禅堂)への入り方や合掌の仕方などが具体的に書き示されているので、いくつか紹介したい。
 まず、最初に僧堂(坐禅堂)へ入るときの注意事項である。原漢文だが、書き下し文にする。


  大衆は一時に入堂す。入堂の間、黙然として行き、点頭語笑することを得ず。一時に入堂し、堂に在りては言語説話することを得ず。唯だ黙するのみ。


 修行者たちは一斉に僧堂(坐禅堂)に入る。入堂するときは黙々として行き、頷き合ったり、話をしたり、笑ったりしてはいけない。一斉に入堂した後は、僧堂(坐禅堂)内で話をしてはいけない。ただ黙っている、という教えである。
 次に合掌の仕方と僧堂(坐禅堂)への入り方。


  入堂の法。合掌を面前に欧欧篤る。合掌するには、指頭は当に鼻端に対すべし。頭低るれば指頭も低れ、頭直ければ指頭も直し。頭若し少しく斜めなれば、指頭もまた少しく斜めなり。其の腕は胸襟に近づかしむること莫れ。其の臂は脇下に築かしむること莫れ。

 前門より入るには、上下間の者、並びに南頬より入る。先ず左足を挙げて入り、次に右足を入れて行く。北頬並びに中央より入らざる所以は、蓋し住持人を尊崇するならん。住持人は当に須らく北頬並びに中央より入るべし。若し中央より入るには、先ず右足を挙ぐるが乃ち正儀なり。


 僧堂(坐禅堂)への入り方。顔の前に手を合わせ合掌して入る。合掌は、指先が鼻の高さになるようにする。頭を下げるときは指先も同様に下げる。頭がまっすぐのときは、指先もまっすぐであり、頭を少し傾けるときは指先も少し傾けるのである。合掌のときの腕は胸や襟元に近づけてはいけない。その臂は脇の下につけず、横に張るようにする。
 坐禅堂の正面から入る場合、坐禅堂内の中央より右側、あるいは左側の座位に坐る人は、入口の左側(南側)から入るのである。このときまず左足から入り、次に右足を入れる。入口の右側(北側)とか中央から入らない理由は、住職を尊ぶためである。住職は入口の右側や中央から入るのである。中央から入る入るには、まず右足から入るのが正しい方法である。
 さらに坐禅する場所に上がる法。


  上牀の法。隣位に問訊す。所謂、牀座に向いて問訊すれば、則ち上下肩に問訊するなり。順に上肩を転じ〈上肩とは左肩なり〉、次に対座に問訊す。(後略)


 僧堂(坐禅堂)内の禅牀(ぜんしょう=坐禅する場所・座位)への上がり方。僧堂の坐位で自己の左右両隣り〔の人〕に合掌し頭を下げて挨拶する。このとき、自分の坐位に向かって挨拶すると、左右両隣り〔の人〕に挨拶したことになる。次に左側に転じて、向かい側の坐位〔の人〕に合掌して頭を下げ挨拶するのである。
 40年ほど前に『赴粥飯法』を読んでいて、臂を張って合掌し、その指先が鼻の高さになるようにという教えを目にして、師匠や先輩たちが言っていた合掌の仕方は、このことだったかと納得した。



2017.05.27 Saturday 12:47
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坐禅は「無になる」「何も考えない」ではない

 町田市内にある霊園なのだが、東雲寺が町田市の南端にあり、その霊園が市の北端にあって、車で4、50分の距離のところにある。40年ほど前らしいが、当時、故人が気に入って定めた〈終の棲家〉とのことだった。
 16、7年前に、当時、東玉川学園にお住まいだったYさんが東雲寺坐禅会に参加され、その後にYさんのご両親も参加くださった。そうしたご縁でYさんからお父上の葬儀の依頼がありお勤めした。さらに四十九日忌納骨埋葬法要を町田市北端の霊園で行うことになった。
 この日がちょうど第三日曜だったので朝七時から坐禅会、その後に庭掃除や筍掘りをして、朝食を摂り、シャワーを浴び、着替えて、お檀家さんの年回法要を一座勤める。その後にお迎えに来てくださったYさんの車で霊園に向かう。
 運転はYさんのご子息、故人のお孫さん。
 車が走り出して間もなく、Yさんがセカンドバックから東雲寺坐禅会の会員証(胸につけることができる名札)を取り出し、「父の遺品を整理していたら出てきました」と故人の名札を見せてくれた。また、「私が参加していたときは30名くらいでしたが、最近は多くの方が参禅されているようですね」とか、「坐禅会では『正法眼蔵随聞記』などを読んでましたが、今もなさってるんですか?」などと話かけてくださった。
 この日の坐禅会には64名の方が参加くださったことや現在は『正法眼蔵』「行持」の巻を拝読しているなどとお応えした。
 すると車の助手席に坐っていたYさんのお連れ合いが、「坐禅って、無になることですよね。何も考えないようにするんですか」などと仰った。
 実は車が出発して間もなく、拙は車の進路がとても気になっていて、Yさんからの話しかけに対しても上の空だった。北に向かうべきところを西へ西へと進み、町田市の中心街、つまりわざわざ車が混んでいるところに向かっていたのである。カーナビゲーションシステムで走っているらしいのだが、どう考えても遠回りだった。そんなことを考えていたので、Y夫人の率直な大問題の問いかけに少々まごついてしまった。
 東雲寺坐禅会では折にふれて申し上げて来たことだが、坐禅は何も考えないとか無になるというものではない。拙が坐禅会参加者の方たちにお伝えしたいもっとも大事なことのひとつに坐禅は「息慮凝寂の経営などではない」という道元禅師の教えがある。「息慮凝寂の経営」の「息」はやめるということで、思慮をやめて無我無心になって静寂の世界を凝視することに力を尽くすという意味である。それはお釈迦さまはじめ歴代の祖師方が正しく伝えて来た仏教・禅の教えではなく、坐禅についての正しい理解ではないという道元禅師の教えなのである。
しかし、世間に広まっている「坐禅」のイメージは「無になる」「何も考えない」というY夫人の言葉通りなのだ。
 ようやく西向きから北向きへ変わった車の進路に気を奪われながら、「何も考えない」ということは、気を失うか死ぬ以外にはあり得ないということが碩学によってすでに指摘されている。また何も考えないということを考えるようなことになりかねないので、「何も考えない」は坐禅についての正しい理解ではないと応えた。
 さらに「無」ということについては、たとえば今、話をしているが、お互いに発した言葉が相手の耳に届くまでにはわずかな時間が過ぎており、過去の音声を耳にしている。目に映る姿も、わずかに過去の姿である。知覚される以前の〈そのもの〉を私たちは知り、確かめることができない。これは「無」ではなく「空」なのであり「縁起する」世界なのである。仏教はこの世のすべては諸行無常であり諸法無我だと説く。それは仏教の基本的な教えであり、宇宙間の真理だ。
 この真理を坐禅修行の中で心の奥底に静かに沈殿させ、定着させる。すると自ずと自己の有限性をしっかりと見定めることができ、自他に親切に、周囲に優しく、すべてを大切にしつつ生きることができるようになる。これが坐禅だとお話した。



2017.05.12 Friday 10:01
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東雲寺仏教講座「『典座教訓』を読む」を開催

 1月22日午後2時から東雲寺本堂において、仏教講座「『典座教訓』を読む」第6回を開催いたしました。

 今回、取り上げたところには、さまざまなエピソ−ドが下敷きになっている説示が多く、そうした逸話のいくつかを以下に紹介します。

 

潙山踢瓶(いさん てきびょう)

 潙山霊祐が百丈の典座だったとき、俗人の弟子・司馬頭陀(しばずだ)の意に契って大潙山に住することになり、百丈も霊祐に委嘱した。これを聞いて訝る上席の華林善覚に百丈は浄瓶を指し、「これを浄瓶と呼んではならんとすれば、なんと呼ぶか」と問うた。華林は「木切れとはいえません」と返答したが、霊祐は浄瓶を蹴飛ばして出て行ってしまった。

 

洞山麻三斤(とうざんまさんぎん)

  麻三斤は、一着分の、よった麻糸の分量。仏とは何かの問いに仏の衣の反物で答えたもの。麻三斤で仏の真実を何の抵抗もなく示したところに洞山守初の仏法の円熟振りがある。 (禅学大辞典)

 

阿育王の前生譚(あいくおうのぜんしょうたん)

  お釈迦さまが阿難を連れて王舎城で乞食の修行していたとき、沙(砂)遊びをしていた徳勝童子と無勝童子の二人が、お釈迦さまの姿を見て喜び、徳勝童子はお釈迦さまに沙を糗に見立てて供養し、無勝童子は随喜し合掌し偈を唱えた。お釈迦さまは阿難に「この童子は私の入槃涅槃して百年後に、阿育という転輪聖王になり、仏の教えをもって国を治め、多くの仏塔を建立して供養し、衆生を安楽にするであろう」と予言し、童子から供養された沙をお釈迦さまが経行するところに塗って敷きつめるように指示した。

 

長者窮子(ちょうじゃぐうじ)

 家出をして長い間放浪し困窮した男「窮子」を、父親である長者が見つけ、彼を掃除人として雇い入れ、次第に後継者としてふさわしい人物に育成した後に、父親であることを明かして財宝を譲る。仏が機の熟するのを待って衆生に教えを説いて救うことにたとえたもの。

 



2017.01.23 Monday 17:52
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他は是れ吾れにあらず 更に何れの時をか待たん

   仏教講座で読んだ『典座教訓』の一部を以下に紹介したい。
   道元禅師が中国留学中に出会った老典座とのやりとりで、道元禅師ご自身がこうした経験によって、自分はいささか修行とは何かを会得することができたと述べている有名なエピソードの一つである。


  山僧、天童に在りし時、本府の用典座、職に充てらる。予、斎罷る因り、東廊を過ぎて超然斎に赴けるの路次、典座は仏殿の前に在りて苔を晒す。手に竹杖を携え、頭には片笠も無し。天日は熱く、地甎も熱きも、汗流して徘徊し、力を励まして苔を晒し、稍々苦辛するを見る。背骨は弓の如く、竜眉は鶴に似たり。
  山僧、近前づきて、便ち典座の法寿を問う。座云う、「六十八歳なり」と。山僧云う、「如何んぞ行者・人工を使わざる」と。座云う、「他は是れ吾れにあらず」と。山僧云う、「老人家、如法なり。天日且つ恁のごとく熱し、如何んぞ恁地にする」と。座云う、「更に何れの時をか待たん」と。山僧、便ち休す。廊を歩むの脚下、潜かに此の職の機要たるを覚る。 (講談社学術文庫、原漢文)


   これを現代語訳しよう。
   私(道元禅師)が中国に留学し太白山天童景徳寺(中国浙江省寧波の東方にある禅寺)において修行していた折、地元寧波府出身の用という方が典座の役職に任じられていた。
   私が昼食を終えて、東側の廊下を通って超然斎という建物に行こうとしていた途中、用典座が仏殿前で海藻(苔)を干していた。典座は竹の杖をついており、頭には日よけの小さな笠さえかぶっていなかった。
   太陽がジリジリと照りつけ、敷き瓦も焼けつくように熱くなっていたが、そうした中で典座は汗を流しながら行きつ戻りつして歩き回り、一所懸命に海藻を干していて、相当に辛そうに見えた。〔用典座の〕背骨は弓のように曲がり、立派な眉は鶴のように白かった。
   私が〔典座〕近づいてお年を尋ねた。典座が「六十八歳になった」と応えた。
   私が尋ねた。「どうして行者(禅の修行道場において諸種の役僧のもとで身の回りの世話や用務をする僧)や人工(寺院内で諸雑事のために雇われた在俗の人)を使って作業をさせないのですか?」と。
   典座が応えて言った。「他の人がしたことは、自分の修行にはならない」と。
   私が尋ねて言った。「ご老僧が仰ることは理に適っております。しかし、この焼け付くような強い陽射しの中です。どうして今そのようにしなければならないのですか?」
   典座が応じた。「〔海藻を干すにはこの強い陽射しの中が最適であって〕この時をはずして何時やろうというのか」と。〔これを聞いて〕私は何も言うことができなかった。私は廊下を歩きながら心の中で典座の役職が非常に重要なものであることが分かった。


と、いうようなエピソードである。
    用典座の名前は「○用」で、名前の下の字だけで呼ぶことが禅寺での礼儀で、相手に敬意を表す呼び方なのである。
  「苔」をキノコとする説もあるが、中村璋八・石川力山・中村信幸訳注『典座教訓・赴粥飯法』(講談社学術文庫)の語注によると「海藻の一種で、水ごけ、青海苔の類。干して保存し、乾苔ともいう。寧波附近は海辺にあって海産物が多く、ここの人々は古くから海藻を好んで食していた」とある。


   坐禅を中心にした修行は、いつでも、どこでも、他ならぬ私自身が心を傾けて、他者にはもちろん自身にも親切に行うものだ。道元禅師の日常生活のすべてが仏道修行という教えである。
 



2016.07.31 Sunday 18:17
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随聞記を読み終えました
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 2012年1月から読み続けて来た『正法眼蔵随聞記』、2016年3月27日の 東雲寺仏教講座「『正法眼蔵随聞記』を読む」第36回で読み終えました。夏の3〜4ヵ月間は東雲寺文化講座を開催して来ましたので、4年間余、熱心な参加者の皆さんのおかげで改めて道元禅師の教えを学習することができました。

 4月からは『典座教訓』を拝読します。
 『典座教訓』の中には、道元禅師が修行のために訪れた中国で、二人の禅寺の典座(台所の主任。炊飯、料理を司る僧侶の役職名。重要な役なので高潔の僧が選ばれる)との強烈な出会い、道元禅師の修行観を大きく変えた出会いなどが感激をもって記されています。


2016.03.29 Tuesday 22:02
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「正法眼蔵随聞記を読む」講座を開催
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 2月28日(日)15時〜16時30分、東雲寺仏教講座「『正法眼蔵随聞記』を読む」第35回を開催しました。
 今回は以下に掲げる第6巻18章段〜21章段を拝読いたしました。
 なお、青文字は柚木の語注。水野弥穂子先生、池田魯参先生などの『正法眼蔵随聞記』訳注を参照しています。


  18  大恵禅師の云く
 示ニ云ク、大恵禅師の云ク、「学道はすべからく人の千万貫銭をおへらんが、一文をももたざらん時、せめられん時の心のごとくすべし。若しこの心有らば、道を得ル事易し。」と云へり。
 信心銘ニ云ク、「至道かたき事なし、但揀択を嫌ふ。」ト。揀択の心を放下しつれば、直下に承当するなり。揀択ノ心を放下すと云フは、我を離るるなり。所謂我ガ身仏道をならんために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を行じゆくなり。たとひ千経万論を学し得、坐禅床をやぶるとも、こノ心無くは、仏祖の道を学し得べカラず。ただすべからく身心を仏法の中に放下して、他に随うて旧見なければ、即ち直下に承当するなり。

    大恵禅師  大慧宗杲=1089〜1163年。中国、宋代の臨済宗の禅僧。圜悟克勤の法を嗣ぐ。看話禅の大成者。
    千万貫銭をおへらん   千万貫の借金を背負った。
    信心銘   中国禅宗第三祖鑑智僧璨(?〜606年)の著。禅寺でしばしば読誦される四言146句の漢詩で仏教の教えの真髄を表現したもの。
    至道かたき事なし・・・  『信心銘』の冒頭にある「至道無難、唯嫌揀択」のことで、無上の大道、仏道も難しいことはない。ただ選り好みすることがいけない。
    直下に   そのままに。少しの余念をまじえずに。
    承当   会得。領得すること。引き受けて責任を持って担当すること。
    床をやぶる   僧堂(坐禅堂)内の坐る場所の床を破るほど坐禅をすること。



  19  春秋に云く
 示ニ云ク、春秋に云く、「石の堅き、是レをわれどもその堅きヲ奪フべからず。丹のあかき、是レをわれどもそノあかき事を奪フべからず。」ト。
 玄沙因に僧問フ、「如何ナルカ是レ堅固法身。」沙云ク、「膿滴々地。」ト。けだし同じ心なるべきか。

    春秋   呂氏春秋。孔子が編纂したという『春秋』にならって、中国戦国時代末期、秦の呂不韋が食客を集めて作成させたといわれる。百科全書的史論書。26巻。
    「石の堅き、是レをわれどもその堅きヲ・・・」  『呂氏春秋』「清廉」に「石は破るべきなり、而も堅を奪うべからず。丹は磨くべきなり、而も赤を奪うべからず」とある。
    丹  硫黄と水銀との化合した赤土。辰砂。また、オレンジ色の日本画顔料。古くから鉛に硫黄と硝石とを加えて焼いて作った四酸化三鉛。鉛丹。
    玄沙   玄沙師備(835〜908年)。中国の唐末五代の禅僧。雪峰義存の法を嗣ぐ。
    堅固   物のかたくしっかりしていること。転じて、心がしっかりと定まって動かないこと。すこやかなこと。達者。
    法身   仏門に入って髪を剃り法衣を着た僧体。僧侶の身。
    膿滴々地   体中、膿がポタポタたれるような姿。



  20  古人云く知因識果の知事に属して
 示ニ云ク、古人云ク、「知因識果の知事に属して、院門の事すべて管ぜず。」ト。言フ心は、寺院の大小ノ事、すべからク管ぜず、ただ工夫打坐すべしとなり。
 また云ク、「良田万頃よりも薄芸身にしたがふるには如カず。」
  「施恩は報をのぞまず、人に与へておうて悔ユる事なかれ。」
  「口を守ル事鼻のごとクすれば、万禍及バず。」と云へり。
  「行堅き人は自ラ重んぜらる。才高き人は自ラ伏せらる。」
  「深ク耕して浅く種ウる、なほ天災あり。自ラ利して人を損ずる、豈果報なからんや。」
 学道の人、話頭を見る時、目を近ヅけ力をつくして能々是レを看ルベシ。

    知因識果   因果の道理をよく知っていること。
    知事   禅寺で、寺院の運営をつかさどる責任ある六つの役職。都寺(寺院の一切の事務を監督する役職)・監寺(寺内の事務を監督する役職)・副寺(禅宗寺院で会計を担当する役職)・維那(寺院で僧に関する庶務をつかさどり、またそれを指図する役職)・典座(寺院で大衆の食事をつかさどる役職)・直歳(寺院で伽藍の修理、山林・田畑などの管理、作務を管掌する役職)の総称。
    院門の事   寺院の運営、経営に関すること。
    工夫打坐   坐禅修行に精進すること。
    頃  中国で用いられた土地面積の単位で耕地百畝。実面積は時代によって異なるが、およそ六ヘクタール、一万八千坪前後。
    薄芸   つたない一芸。わずかな技能。わずかな芸。
    話頭   祖師方の言葉や〈さとり〉の機縁などを記した文言。古人が示した坐禅修行者の規範となる語句である「古則」や坐禅修行者に対して言葉で与える課題である「公案」などのこと。



  21  古人の云く百尺の竿頭に更に一歩を進むべし
  示ニ云ク、古人の云ク、「百尺の竿頭に更ニ一歩を進むべし。」ト。この心は、十丈のさをのさきにのぼりて、なほ手足をはなちて即ち身心を放下せんがごとし。
是レについて重々の事あり。
 今ノ世の人、世を遁れ家を出たるに似れども、行履をかんがふれば、なほ真の出家にては無きも有り。所謂出家と云フは、先づ吾我名利をはなるべきなり。是レをはなれずしては、行道頭燃をはらひ、精進手足をきれども、ただ無理ノ勤苦のみにて、出離にあらざるも有り。大宋国にも離レ難き恩愛をはなれ、捨テ難キ世財をすてて、叢林に交ハリ、祖席を経れども、審細にこの故実を知らずして行じゆくによりて、道をもさとらず、心をも明らめずしていたづらに一期をすぐすも有り。

    百尺の竿頭に更ニ一歩を進むべし   長沙景岑(生没年不明、中国唐代の禅僧。南泉普願の法を嗣ぐ)の頌に「百尺竿頭不動の人、然も得入すといへども未だ真となさず、百尺竿頭須らく歩を進むべし、十方世界これ全身」(『景徳伝灯録』巻十)がある。
    重々の事  理解や解釈に段階的なものがあるということ。
    行履   禅宗で日常一切の行為。修行之の経過、行状。
    名利  名誉と利得。名聞利養。名聞は名誉が世間に広まること。利養は利をもって身を養うこと。
    頭燃をはらひ   頭燃をはらう。頭に火がついているのを消す意。頭に燃えついている火は誰でも一刻の猶予もなく消すように、専一に仏道修行に精進することをいう。
    精進   ひたすら仏道修行に励むこと。


そノ故は、人の心のありさま、初めは道心をおこして、僧にもなり知識に随へども、仏とならん事をば思ハずして、身の貴く、我が寺の貴き由を施主檀那にも知られ、親類境界にも云ひ聞かせ、何にもして人に貴がられ、供養ぜられんと思ひ、あまつさへ僧ども不当不善なれども我れ独り道心も有り、善人なるやうを、方便して云ひ聞カせ、思い知らせんとするやうもあり。是レは言フニ足らざるの人、五闡提等の在世の悪比丘のごとく、決定地獄の心ばへなり。是レを物もしらぬ在家人は、道心者、貴き人、なんど思フもあり。
    施主  檀越の訳語。供養主。三宝を信じて財物を施す人。
    檀那   檀那波底の略。檀越、すなわち布施をする人を寺や僧の側からいう語。
    親類境界   親類と自分の勢力の及ぶ範囲の人。
    不当不善   無法な行い、悪い行い。
    五闡提   五人の悪比丘(修行僧)。闡提は一闡提のことで、icchantikaの音写。断善根・信不具足と訳される。仏法を信じることなく、成仏の素質を欠く者のこととされる。昔、怠け者でお経も読まない悪比丘が命をつなぐために坐禅修行のふりをして人々の供養を受けるなどの罪業を積んだ。そのため、八千劫というものすごく永い間、偽りによって供養を受けた罪の償いをしたという。


このきはをすこしたち出でて、施主檀那をも貪ラず、親類恩愛をもすてはてて、叢林に交ハり行道するも有れども、本性懶墮懈怠なる者は、ありのままに懈怠ならん事もはづかしきかして、長老首座等の見る時は相構へて行道する由をして、見ざル時は事にふれてやすみ、いたづらならんとするも有り。是レは在家にしてさのみ不当ならんよりはよけれども、なほ吾我名利のすてられぬ心ばへなり。
    叢林   禅林、栴檀林ともいう。禅の修行道場。樹木がたくさん群がって生えている林のことだが、修行僧が和合して一つ所に住することが樹林のように静寂であることから、禅の修行道場のことをいう。
    本性   生まれつき。
    懶墮   おこたる。なまける。無気力。
    懈怠   おこたる。なまける。怠り。
    長老  住職。住持・和尚を称する敬称。小比丘が大比丘を呼ぶ尊称。曹洞宗では立職以後転衣に至る時代の呼称。
    首座   禅の修行道場で修行僧の第一座に坐るもの。
    いたづらならんとする   なすこともなくしていること。


またすべて師の心をもかねず、首座兄弟の見不見をも思はず、つねに思はく、仏道は人のためならず、身のためなりと云ツて、我ガ身心にて仏になさんと真実にいとなむ人も有り。是レは以前の人々よりは真の道者かと覚ユれども、是レもなほ吾我を思ツて、我ガ身よくなさんと思へる故に、なほ吾我を離レず。また輅菩薩に随喜せられんと思ひ、仏果苦提を成就せんと思へる故に、名利の心なほ捨てらざるなり。
    心をもかねず   他の人の気持ちになって、その思惑を考えること。
    首座兄弟   首座や兄弟弟子。
    随喜   人の善事を見て随順・歓喜すること。
    仏果菩提   修行の因によって到達した仏の〈さとり〉の境界。


是レまではいまだ百尺の竿頭をはなれず、とりつきたるごとし。ただ身心を仏法になげすてて、更に悟道得法までものぞむ事なく修行しゆく、是レを不汚染の行人と云フなり。「有仏の処にもとどまらず、無仏の処をもすみやかにはしりすぐ。」と云フ、この心なるべし。
    不染汚の行人   修証一等、修行と〈さとり〉とを二つに見ないで仏祖がなさって来られた只管打坐の坐禅修行を護持・持続する修行者。
    有仏の処にも   趙州従諗は大衆に示した、「仏のところにも住まってはいけない。仏でないところもも急いで走り過ぎなさい」(『真字正法眼蔵』80) 

 


2016.02.29 Monday 11:45
道元禅師の教え comments(0)
東雲寺仏教講座開催
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   1月24日(日)15時〜16時30分、東雲寺仏教講座「『正法眼蔵随聞記」を読む」第34回を開催しました。
 『正法眼蔵随聞記』第6巻14章段〜17章段を拝読、道元禅師の教えを学びました。


『正法眼蔵随聞記』第六巻
  十四  世間の人自ら云く
一日示ニ云ク、世間の人、自ラ云ク、「某甲師の言を聞クに、我が心にかなはず。」ト。
我レ思フに、こノ言非なり。そノ心如何。若シ聖教等の道理を心得をし、すべてその心に違する、非なりと思フか。若シ然らば、何ぞ師に問ふ。またひごろの情見をもて云フか。若シ然らば、無始より以来の妄念なり。
学道の用心と云フは、我ガ心にたがへども、師の言、聖教のことばならば、暫く其レに随ツて、本の我見をすてて改めゆく、この心、学道の故実なり。


    聖教   お釈迦さまが説いた教え。また、それを記した経典。
    情見   妄情分別の見解。真実をはずれた凡夫迷情の認識・見解をいう。常日頃から自分が振り回されているところの「価値判断」。日頃の自分の考え。
    無始より以来の妄念   その起源がいつとも知れない過去から引きずっている根拠のない妄想のようなもの。妄念=根拠もなく起こる真実でない思い。
    学道の用心   仏教の教えを学ぶ上での心がけ。
    本の我見   それまで自分が抱いていた妄想のような考え方。もとからの自分の見解。
    学道の故実   仏教の教えを学び修行する際の手本となるもの。仏教を学ぶ際の秘訣。


我れ当年傍輩の中に我見を執シて知識をとぶらひし、我ガ心に違スルをば、心得ずと云ツて、我見に相叶フを執シて、一生虚シく仏法を会せざりしを見て、知発して、学道は然ルベカラずと思ウて、師の言に随ツて、暫く道理を得き。そノ後看経の次に、ある経に云ク、「仏法を学せんとおもはば、三世の心を相続する事なかれ。」と。知りぬ、先の念を記持せずして、次第に改めゆくべきなり。
書に云ク、「忠言は耳にさかふ。」と。我がために忠なるべき言、耳に違するなり。違すれども強て随はば、畢竟じて益あるべきなり。


    当年   かつて。その昔。かつて修行時代に。
    傍輩   修行仲間。同一の師匠につく友人、仲間。
    知発して   知ることによって心が開けること。
    看経   お経を読むこと。経文を看読すること。眼で経文をみて心を法理に照らす。黙読。儀式や供養のための読経とは異なる。
    三世の心を相続する   「心」を過去・現在・未来という三世にわたって確固として存在するもののように考えること。
    記持   心にきざんで忘れないこと。
    書に云ク  『孔子家語』に「良薬は口に苦けれど病に利あり、忠言は耳に逆らえども行に利あり」とある。

   

  十五  人の心元より善悪なし
一日雑話の次に云ク、人の心元より善悪なし。善悪ハ縁に随ツておこる。仮令、人発心して山林に入る時は、林家はよし、人間はわるしと覚ユ。また退心して山林を出る時は、山林はわるしと覚ゆ。是レ即ち決定して心に定相なくして、縁にひかれてともかくもなるなり。故に善縁にあへばよくなり、悪縁に近づけばわるくなるなり。我が心本よりわるしと思ふことなかれ。ただ善縁に随ふべきなり。


    雑話   さまざまな話をすること。いろいろ話すこと。
    仮令   仮に。たとえば。
    林家   山林の中の住まい。
    人間   人の住むところ。世の中。
    定相   一定の姿形。


また云ク、人ノ心は決定人の言に随ふと存ず。
大論に云ク、「喩ヘば愚人の手に摩尼を以てるがごとし。是レを見て、『汝下劣なり、自ラ手に物をもてり。』と云フを聞イて思はく、『珠は惜しし、名聞は有り。我レは下劣ならじ。』と思ふ。思ひわずらひて、なほ名聞に引カれて、人の言について珠をおいて、後に下人に取らしめんと思ふほどに珠を失フ。」と云フ。


    大論  『大智度論』のこと。『大品般若経』の注釈書。百巻。仏教の百科全書的な書籍。竜樹(ナーガルジュナ=一五〇〜二五〇年頃のインド大乗仏教中観派の祖)著と伝えられる。
    摩尼   珠玉の総称。摩尼珠。竜王の脳中から出て、望みをすべてかなえるという珠玉。如意宝珠。
    下劣   下品で卑しいこと。
    自ラ手に物をもてり   「高貴な」人間ならば自分で物を持つようなことはせずに従者に持たせるはずではないか、という批判が込められている。
    名聞   世間での評判や名声。世間の評判。世間体。
    下人   従者。召し使い。「下男」や「下女」。身分が卑しいとされる人。


人の心は是ノごとシ。一定此ノ事我がためによしと思へども、人の語につく事あり。されば、何に本よりあしき心なりとも、善知識にしたがひ、良キ人ノ久シク語ルを聞ケば、自然に心もよくなるなり。悪人にちかづけば、我が心にわるしと思へども、人の心に暫く随ふほどに、やがて真実にわるくなるなり。
また、人の心、決定してものをこの人にとらせじと思へども、あながちにしひて切に重ねて云へば、にくしと思ひながら与フルなり。決定して与へんと思へども、便宜あしくて時すぎぬれば、さてやむ事も有り。


    一定   絶対に。
    善知識   徳の高いすぐれた指導者。
    あながちに   あまりに強引に。身勝手に。強いて。必要以上に。異常なまでに。道理に違ってまでも。
    便宜   都合のよいこと。よい機会。何かのついで。
    さてやむ事   そのままになってしまうこと。


然らば、学人道心なくとも、良キ人に近づき、善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞き見ルべきなり。こノ言一度聞き見れば、今は見聞かずともと思フ事なかれ。道心一度発したる人も、同じ事なれども、聞くたびにみがかれて、いよいよよきなり。況ンや無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度々重なれば、霧の中を行く人の、いつぬるるとおぼえざれども、自然に恥る心もおこり、真の道心も起るなり。

    つれなくとも   相手にしない。無関心のこと。
    霧の中を行く人の・・・  潙山霊祐の語「善者に親近すれば霧露の中に行くが如し。 衣を湿さずといえども、時々に潤有り」(『潙山警策』)


故に、知りたる上にも聖教をまたまた見るべし、聞くべし。師の言も、聞キたる上にも聞きたる上にも重ネ重ネ聞くべし。弥深き心有るなり。道のためにさはりとなりぬべき事をば、かさねて是レに近づくべからず。善友にはくるしくわびしくとも近づきて、行道すべきなり。

    わびしくとも  面白くなくても。


  十六 大恵禅師ある時
 示ニ云ク、大恵禅師、ある時尻に腫物を出す。
 医師是レを見て、「大事の物なり。」と云フ。
 恵云ク、「大事の物ならば死すべしや。」
 医云ク、「ほとんどあやふかるべし。」
 恵云ク、「若シ死ぬべくは弥坐禅すべし。」と云ツて、なほ強盛に坐したりしかば、かの腫物うみつぶれて、別の事なかりき。
 古人の心是ノごとシ。病を受ケては弥坐禅せしなり。今の人の病なからん、坐禅ゆるくすべからず。
病は心に随ツて転ずるかと覚ユ。世間にしやくりする人、虚言をもし、わびつべき事をも云ひつけつれば、其れをわびしき事に思ひ、心に入れて、陳ぜんとするほどに、忘レてその病止るなり。我レも当時入宋の時、船中にして痢病をせしに、悪風出来ツて船中さわぎし時、病忘レて止まりぬ。
 是レを以つて思ふに、学道勤学して他事を忘れば、病もおこるまじきかと覚ユるなり。


    大恵禅師  大慧宗杲=一〇八九〜一一六三年。中国、宋代の臨済宗の禅僧。圜悟克勤の法を嗣ぐ。看話禅の大成者。
    強盛   一層猛烈に。勢い強く盛んに。
    わびつべき事   落胆するようなこと。力を落とすようなこと。謝らなければならないようなこと。
    わびしき事   つらいこと。悲しいこと。
    心に入れて   本気になって。
    陳ぜんとする   言い返そうすると。言い訳をしようとすると。
    我レ当時入宋の時  道元禅師が二十四歳の時、一二二三(貞応二)年二月二十二日に京都・建仁寺を発ち、三月上旬に博多着。下旬に宋に渡る船で出航し四月には明州慶元府寧波の港に着いたと考えられている。



  十七 俗の野諺に云く
 示ニ云ク、俗の野諺に云ク、「啞せず聾せざれば家公とならず。」ト。云フ心は、人の毀謗をきかず、人の不可を云はざればよく我が事を成ずるなり。是ノごとクなる人を、家の大人とす。
是レ即チ俗の野諺なりと云へども、取つて衲僧の行履としつべし。他のそしりにあはず、他のうらみにあはず、いかでか我が道を行ぜん。徹得困の者、是レを得べし。


    啞せず聾せざれば   まったくものを言わず、何も聞こえないようにしなければ。
    【柚木 注】 負のイメージや価値を言うために、「障害」をもつ人たちを持ち出し比喩として使うべきでない。『正法眼蔵随聞記』六巻十一章段の説示には「聾者」や「唖者」、この六巻十七章段には「啞せず聾せざれば」の語があるが、障害者を貶めるような意味はないとは思うが、今日の視点で考えると、他の表現の仕方があるのではないかと思う。
    家公   一家の主人公。
    家の大人   一家の主人公、一家の主。
    衲僧の行履   破れ衣をまとって修行にはげむ正当な禅の修行者の行住坐臥、すべての行為。
    徹得困   徹底して努力精進すること。

 


2016.01.25 Monday 09:43
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道元禅師の教え
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   3月22日15時〜16時30分、「東雲寺仏教講座『正法眼蔵随聞記』を読む」第28回を開催しました。
 『正法眼蔵随聞記』第五巻八章段「三覆して後に云へ」などを拝読しました。その一部を以下に紹介します。

 示ニ云ク、「三覆して後に云ヘ。」と云フ心は、おほよそ物を云ハんとする時も、事を行はんとする時も、必ズ三覆して後に言ひ行フべし。先儒多くは三たび思ひかへりみるに、三タびながら善ならば言ひおこなへと云フなり。宋土の賢人等の心は、三覆をばいくたびも覆せよと云フなり。言よりさきに思ひ、行よりさきに思ひ、思ふ時に必ズたびごとに善ならば、言行すべしとなり。衲子もまたかならずしかあるべし。我レながら思フ事も云フ事も、主にも知られずあしき事も有るべき故に、先づ仏道にかなふやいなやとかへりみ、自他のため益有りやいなやと能々思ひかへりみて後に、善なるべければ、行ひもし言ひもすべきなり。行者若シこの心を守らば、一期仏意にそむかざるべし。

 何かものを言うとき、何か行動を起こすとき、必ず三回考え直してから、言葉を口にし、行動しなさいという教えです。
 この三回というのは、何回もということだと仰います。何回も考えて、その度ごとに仏教の教えに照らして善いことならば言葉を発し、行動を起こしなさい。
 自分では善いことと思っていても、気づかずに相手の人の心を傷つけたりすることもあるから、仏教の教えに適っているか、自分にとっても、相手の人にとっても利益があるかどうかを考えなさい。
 このように何度も考えて、言葉を発し、行動するなら、一生の間、お釈迦さまの御心に適うでしょう。
 という道元禅師のお教えでした。

 この説示の中にある「利益」は金銭的や物質的な利益というようなことではなく、仏教の教えにしたがって日々の生活を送り、自らの人生をまっとうすることにプラスになるかどうか、ご利益(りやく)があるかどうかということで、もっと突き詰めて言えば、自未得度先度他(じみとくどせんどた)ーーおのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願しいとなむなりーーの心を自分はもちろん、相手の人にもおこさせることができるかどうか、菩提心をおこし続けることにプラスになるかどうかということだと思うというようなことをコメントしました。

 

 


2015.03.23 Monday 15:41
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やや日数をふるに元和尚すこぶる異解をあらわす
 現在、曹洞宗教団の機関誌『曹洞宗報』に駒澤大学総長・池田魯參先生の「伝光録  さらなる宗旨の展開」が連載されています。『伝光録』とは大本山總持寺ご開山・瑩山紹瑾禅師の提唱録で、お釈迦さまから道元禅師のお弟子の懐弉さままでの五十三人の祖師方の相承(師匠より弟子が正しい教えを承け嗣ぎ、さらにその弟子に伝えていくこと)の略伝です。『曹洞宗報』2015年3月号に連載63回目「孤雲懐弉・師資道合」と題された文章が掲載されていました。その一部を以下に引用紹介します。

 安貞元(1227)年、道元禅師は建仁寺に帰った。禅師が大宋国から伝えた正法を弘めようとしているという評判を聞いた懐弉は、自分はすでに天台止観の根本義を究め、浄土門の奥義に精通し、加えて多武の峰の見性成仏の宗旨をさとったが、一体、禅師は何を伝えようというのかと疑い、試しに禅師の下を訪ねた。初対面の談話で、二、三日の間は懐弉が理解していた通りで、自己の本性を明らめて霊妙不可思議な智慧をさとる話をした。懐弉はその通りとうべない、自分の理解で間違いなかったと喜び一層敬慕の念を強めた。しかし日数が経つにつれて段段禅師のいうことが理解できなくなった。懐弉はびっくりして問い正すが、どれも懐弉の思いの外の宗義で、自分の理解とは異なるものであった。そこで一念発起して教えを受けたいと申し出た(後略)

 この引用文の中頃「初対面の談話で」以下の文章に注目していただきたいと思います。
 初めの二、三日間、道元禅師の教えを聞いた懐弉さまは、自分の仏教理解と同じだと思って喜んだ。しかし、日にちが経つにつれ、道元禅師の仰ることが理解できなくなった、というのです。
 『伝光録』の提唱者・瑩山禅師は、義介さまのお弟子、懐弉さまの孫弟子です。懐弉さまのもとで得度受戒し正式な僧侶になった方です。
 きっと瑩山禅師は、懐弉さまご自身からか、師匠の義介さまから、この話をお聞きになっていたのだろうと思います。また、この提唱が行われた場に義介さまが同席されていた可能性もあります。だからこの話は懐弉さまご自身、あるいは懐弉さまのお側近くに仕えていた義介さまが語った「実話」だろうと思うのです。
 では、懐弉さまが、初め道元禅師の教えが自分の仏教理解と同じと思い、日にちが経つにつれ理解できなくなったというのは、どういうことだったのでしょうか。
 懐弉さまは、当時の仏教界を席巻していた「本覚思想」の影響下にあった「天台止観の根本義を究め、浄土門の奥義に精通し、加えて多武の峰の見性成仏の宗旨をさとった」方でした。
 対する道元禅師は、「本覚思想」に疑問を抱き、中国で正しい仏教・禅の教えを学び、正法を会得して帰国したばかりでした。
 入矢義高著『増補 求道と悦楽  中国の禅と詩』(岩波現代文庫、2012年)に次のような文章があります。入矢先生は中国の禅語録研究の権威で、駒澤大学の故・石川力山先生や石井修道先生らが内地留学で、京都大学、花園大学などで入矢先生の指導をいただいていました。


(前略)そもそも禅においては、「自己完結」こそはもっとも忌むべき外道のありかたであるはずである。なんとなれば、「仏向上」とは、仏または道を目ざして向上することではなくて、「仏の向上」へ超え出ることであり、仏のさらに向こうへ踏み出ることだからである。そして、仏を超出するとは、超出し得た「自己」をもさらに(また同時に)超出することでなくてはならぬからである。したがって「仏向上」の行は永遠に完結することはない。もしある完結態に達したとしたら、それはすでに「向上」行ではないことになる。

 「自己の本性を明らめて霊妙不可思議な智慧をさとる」ことで「完結態」に達し、修行軽視、さらには修行不要を説く「本覚思想」と、仏を超出し得た自己をさらに超出しようとする坐禅修行の限りなき継続を説く道元禅師の「身心一如」「修証一等」の教えとでは、指し示す方向性がまったく正反対なのです。
 私たちは、〈心〉中心の「本覚思想」の影響下から脱して、坐禅修行する道を歩み続けるのみなのです。 

 


2015.03.15 Sunday 13:07
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年頭にあたって

 2015年の年頭にあたり道元禅師の教えを拝読して、仏道修行の原点を見つめ直したい。
 現在、毎月第4日曜日の15時〜16時30分、東雲寺仏教講座「『正法眼蔵随聞記』を読む」を開催している。道元禅師の説法をお弟子の懐奘さまが聴き書きした「随聞記」を拝読しながら、仏教とは何か? 修行とは何か? などを学び、考えている。これは毎年7月〜10月ころの東雲寺文化講座の開催月を除き、2012(平成24)年1月から開講して来たもので、昨年最後の日曜日12月28日の講座が第25回目だった。この回の講座で取り上げた「随聞記」第5巻の説示から二つの教えを紹介する。

  (前略)学人静坐して道理を以てこノ身之始終を尋ヌベシ。身躰髮膚者父母之二滴、一息に駐りぬれば山野に離散して終ニ泥土と作る。何ヲ以テノ故にか身を執セんや。
   況ンヤ法を以テ之レを見れば十八界之聚散、何の法をか定メて我身と為ん。教内教外別ナりト雖モ、我身之始終不可得なる事、之レを以て行道之用心と為る事、是レ同じ。先づこノ道理を達する、実ニ仏道顕然ナル者なり。 (五巻第二章段)


 以下に意訳を試みる。
 仏教の教えを学びその教えに遵って修行しようとする人は、静かに坐禅し、無常、無我の道理をもって、我が身の始まり、行く末を考えてみるべきである。この身体はすべてこれ父母の精子と卵子の出会いがきっかけであり、一旦この呼吸が止まれば、この身体を構成している諸要素は分離して山野に帰り、ついには泥土になるのである。永遠不変の常なるものなどはないのだから、どうしてこの身に執着できるだろうか。
 ましてや一切万有のあり方である理法によって私たちの身体を観察すれば、眼・耳・鼻・舌・身・意の「六根」という感覚器官、その対象となる色・声・香・味・触・法の「六境」、それらによって成立する眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識という認識作用の「六識」の十八種の諸要素の組み合わせ、集合離散によるもので、どこに実体的な存在の我が身があるというのだろうか、ありはしない。「十八界之聚散」という仏教の教えや「身躰髮膚者父母之二滴」という仏教以外の教えがあると言っても、我が身の始まりから行く末まで不可得(=空)であって、これをもって修行の心得とするのは同じである。
 まず、我見(本来実体のない自我を実体視して執着すること)を離れて我が身に執着しないという道理に深く通じることが、本当に仏道を明らかにすることに他ならないのだという教えだ。
 道元禅師の説示をもうひとつ拝読しよう。

  (前略)古人云ク、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」ト。よき人に近ヅけば、覚エざるによき人となるなり。
   昔、倶胝(ぐてい)和尚に使へし一人の童子のごときは、いつ学し、いつ修したりとも見えず、覚エざれども、久参に近づいしに悟道す。
   坐禅も自然に久シくせば、忽然として大事を発明して坐禅の正門なる事を知る時も有ルべし。(五巻第三章段)


 以下に再び意訳を試みる。
 古人の言葉に「霧の中を歩いて行くと、知らないうちに着物がしっとりとしてくる」という教えがある。これは優れた人に近づき親しくさせていただいていると、気づかぬうちに智徳が身について人間として磨かれるということである。
 昔、倶胝和尚という方のお側近くに仕えていた一人の童子などは、いつ仏教を学び、いつ修行したとも思われないし、童子自身も気づかなかったが、永い間、仏教の教えを学び修行を積んだ倶胝和尚のような方の身近にいたので、〈さとり〉をひらくことができた。
 坐禅も自然に長い間修行していると、忽然として〈さとり〉の世界を目の当たりにして、坐禅が仏教の正しい教えであることを分かるときがあるのだという教えである。
 我見を離れ、我が身に執着せず、坐禅修行を続けてまいります。今年もよろしくお願いいたします。



2015.01.04 Sunday 17:07
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