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8月15日お盆法要を修行

8月15日午前9時、11時の2回、東雲寺盂蘭盆会合同供養法要を修行。

写真は11時の法要にご参列の皆さま。

木陰で法要に参列いただき、この後に本堂の外、正面の香炉でご焼香いただきました。

猛暑の中、本当にご苦労さまでした。



2020.08.15 Saturday 18:02
曹洞宗あれこれ comments(0)
「蒲團(ふとん)」とは坐禅で使用する「坐蒲(ざふ)」のことか?

 東雲寺坐禅会の「たより」で、現在、道元禅師(1200〜53年、日本曹洞宗の高祖、大本山永平寺開山)の主著『正法眼蔵』の「行持下」の巻を拝読している。少し前に読んだところに次のような文章があった。

 

 長慶の慧稜和尚は、雪峰下の尊宿なり。雪峰と玄沙とに往来して、参学すること僅二十九年なり。その年月に蒲団二十枚を坐破す。

 

 有徳の高僧である長慶慧稜和尚さまが雪峰義存さまと玄沙師備さまのもとで二十九年もの間、坐禅修行し、その間に蒲団を二十枚敷き破った、というのである。
 この「蒲団」について、私は「坐蒲(坐禅に用いる丸い座布団)」と解説したのだが、現在、東雲寺坐禅会で使用しているような丸い坐蒲だったのかどうか、ちょっと心配になった。


 参照させていただいている先生方の解釈を改めて見てみると、


  春日佑芳先生「坐禅の蒲団」
  水野弥穂子先生「蒲団(坐蒲、坐禅の時用いる円形のクッション)」
  森本和夫氏「蒲団(坐禅に用いる敷物)」
  安良岡康作氏「坐禅の時に臀の下に敷く、円い蒲団」
  石井修道先生「坐蒲」
  盒狂陳氏「蒲団(坐禅の時に敷く長方形の敷物)」


などであった。円形の坐蒲と解釈している先生方がおられる一方で、そのまま「蒲団」とされている方、あるいは「長方形の敷物」とされる方もいた。
 「蒲団」が丸い坐蒲のことかどうかを確認したくて、数種類の辞書、事典で調べてみた。その中に次のような解説があった。

  ふ-とん【蒲団】 坐禅のとき、尻の下に敷いて背筋を正しく端座しやすくする円形の敷物。*坐禅用心記「蒲団〈経亘一尺二寸、周囲三尺六寸〉」 (石田瑞麿著『例文 仏教語大辞典』小学館、1997年)

 

 道元禅師から四代目の祖師である瑩山禅師(1264〜1325年、曹洞宗の太祖、大本山總持寺開山)の著作『坐禅用心記』に注記の部分ではあるが、丸い坐蒲の寸法があることが分かった。

 そこで友人のK師(曹洞宗宗務庁課長)を通じて曹洞宗総合研究センターに、瑩山禅師の『坐禅用心記』には「蒲團(經亘一尺二寸、周圍三尺六寸)」という記述があるが、蒲団や坐蒲についての研究論文があるかどうかを調べていただいた。翌日、K師から坐蒲についての研究者はいない、研究論文もないとの電話があった。なお、「蒲團」の「團」にはまるいという意味があるので丸い坐蒲と考えてよいのではないかとのことであった。さらにK師にお願いして師と永平寺で同安居(同時期に修行)の尾崎正善先生(曹洞宗の儀礼などの研究者。元鶴見大学准教授、曹洞宗総合研究センター講師、横浜市瀬谷区徳善寺住職)にも問い合わせしていただくと、坐蒲・蒲団の研究論文はない。なお、『坐禅用心記』の「經亘一尺二寸、周圍三尺六寸」は割註なので、瑩山禅師が記したものではない可能性があるとの指摘があったとのことだった。

 

 お釈迦さま時代から坐蒲があったわけではないだろうから、いつから坐蒲、丸い蒲団が坐禅に使用されるようになったのか、この際、調べてみようと思った。ただ、先行論文がないというのだから、五里霧中である。手掛かりがなく、方針も見込みも立たず、結論にはたどり着けるかどうか分からない。たどり着けないかも知れない。

 道元禅師が中国から帰国して間もない1227(嘉禄3)年に著した、すべての人に坐禅を勧める『普勧坐禅儀』には次のような文章がある。

 

  尋常、坐処には、坐物を厚く敷き、上に蒲団を用うべし。或いは結跏趺坐、或いは半跏趺坐す。謂く結跏趺坐は、まず右の足をもって左のももの上に安く、左の足を右のももの上に安く。半跏趺坐は、ただ左の足をもって右のももを圧すのみなり。

 

 そして道元禅師が京都から越前(福井県)に移り住んだ1243(寛元元)年の冬、改めて説示された『正法眼蔵』「坐禅儀」巻の冒頭には「坐禅は静処よろし。坐蓐あつくしくべし」とある。
 道元禅師の坐禅の教えを記された著述の中に 、坐禅のときに敷くものとして「坐物」「蒲団」「坐褥」という三つの語句が使われている。まずこの三つの語句について調べてみようと思った。



2020.07.11 Saturday 21:40
曹洞宗あれこれ comments(0)
追悼 奈良康明先生

 1月30日(火)14時〜16時、奈良康明先生(2017年12月10日逝去、享年89歳)の本葬儀に参列焼香させていただいた。葬儀の式次第や配役が記された小冊子に奈良先生の遺偈が掲載されていた。禅僧一般が末期に示す四言絶句の遺偈の他に二篇の散文詩の遺偈があった。その内の一つを以下に紹介する。

 

愚直 率直 オッチョコチョイ
後先見ずに走り出し
走りつづけて八十九年
さすがにちょっとくたびれました
功なく 徳なく 悟りもないが
黄泉でも同じく ぶきっちょに 走ってます

 

 先生のお弟子さんの法清寺住職・奈良修一師の解説によると「(前略)禅僧の遺偈は漢詩が普通です。生前から、東堂和尚は自分には漢詩の素養がないし、何も無理に漢詩である必要もない、思いのままを普通の文章で示したいと折に触れて言っていました。(中略)東堂の心情を実直に吐露したものです。弟子の目からは見えない心境を平易な言葉で語っています。確かにこの部分は漢詩には出来ないと思います。それだけに、東堂らしい詩です」とあった。この「東堂」とは禅寺で住職を退任した前住職の呼称である。
 先生は1966(昭和41)年から2006(平成18)年まで台東区下谷の法清寺住職を務められ、現職を退かれた後も熱心に教化活動に取り組まれていた。そして80歳を超えられた先生のもとに福井県の大本山永平寺から西堂(せいどう=禅宗で他の寺を引退した長老で、その寺に来て教化を助けるもの。永平寺の正副住職に次ぐ上席の僧)に迎えたい。若き修行僧たちへ定期的にお釈迦さまや道元禅師の教えを講義してほしいという要請があった。先生はこれを請けられ、2012(平成24)年5月から東京と福井との往復を繰り返された。私などが本山の春秋の大法要に随喜のため上山すると、スーツ姿の先生を見慣れていた拙の目の前に、なんと法衣を纏った先生がおられ、参拝者の方たちなどに講話をなさる先生のお姿を何度もお見かけした。そうした折には先生のお話を障子越しに拝聴させていただいた。

 奈良先生は永平寺の月刊誌『傘松』に「釈尊と道元禅師〜慈悲の実践〜」を連載中で、その行間からは先生のお声が聞こえてくるようだった。昨年11月号の文末には「つづく」とあった。
 奈良先生の本葬儀の参列者への返礼品の中に先生の『他を自分の身にひきあてて 仏教における「慈悲」のこころ』という印刷物が入っていた。昨年7月26日に行われたインタビューの記録で、12月30日発行の書籍の抜刷だった。そこに先生のご著書『ブッダの詩』(NHK出版、2011年)の最後に掲げられている原始仏典『ダンマパダ』の

 

すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。
すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

 

 が紹介されていた。先生は「この詩を仏教における暴力否定・戦争否定を高らかにうたいあげているお釈迦さんの言葉だと理解してい」ると仰られていた。
 奈良先生は1971(昭和46)年から1993(平成5)までの長きにわたりNHKテレビの「こころの時代」に出演されていた。多くの宗教者、識者などを招いての対談番組だったが、先生の恩師中村元先生との対談は数十回行われ、拙もよく視聴させていただいた。番組の中で中村、奈良両先生がいつも「お釈迦さん」「お釈迦さん」と仰られていて、お二方がお釈迦さまをごく身近に感じておられ、深い敬愛の念をお持ちの様子が窺えた。
 奈良先生はよくご自分を「インド屋」と言っておられた。東京大学印度哲学梵文学科卒業後、インド・カルカッタ大学に留学されていて、インド宗教文化史の「現地」を知る研究者だった。
 また、先生は駒澤大学の学長、総長などの重職を歴任する一方で、東方研究所常務理事、仏教学術振興会理事長、大蔵経データベース化支援募金会事務局長なども務められていた。



2018.02.14 Wednesday 10:32
曹洞宗あれこれ comments(0)
そもそもなぜ葬儀をするのか

   2017年10月23日(月)14時から港区西麻布の大本山永平寺東京別院長谷寺で、国立歴史民俗博物館民俗研究系准教授の山田慎也氏を招いての研修会があった。概要を報告する。(文責、柚木)
 山田氏は大学院時代から和歌山県などで葬儀の手伝いをしながら聞き取り調査をして来た。90年代前半までは山田氏も近所の方たちに交じって葬家に入り、納棺や葬儀の準備、手伝いをすることができたが、90年代後半には葬儀のすべてを葬儀社に任せる形に変化した。
 私たちは自分で体験できない「不可知の死」を他者の死を通して受け容れるのだが、葬儀とは生者と死者を区分し新たな関係を構築することである。土葬や火葬によってご遺体の形を変え、恐怖や悲嘆を宗教儀礼によって癒やしていく。先祖になり、ホトケになるということで死の意味づけをし、最初に焼香するのが喪主ということなどで、社会的な役割を再分配する。それが遺産相続などにもつながっていく。
 かつての葬儀は生活空間である家から寺へ、寺から墓地へ遺体を運ぶ野辺送りが中心だった。その過程、過程で読経が行われた。今日でも行われている式次第の臨終諷経(りんじゅうふぎん〈枕経 まくらぎょう〉)、剃髪(ていはつ)、授戒(じゅかい)、入龕諷経(にゅうがんふぎん)、大夜念誦(たいやねんじゅ)、挙龕念誦(こがんえんじゅ)、引導法語(いんどうほうご)、山頭念誦(さんとうねんじゅ)、安位諷経(あんいふぎん)が実際に行われた。
 江戸時代から重視されていた葬列が明治期に華美、高額となって批判がおこった。中江兆民は「葬儀無用」と遺言したが、近親者などが無宗教の告別式を行い、約1000人が参列した。
 葬列に加わることが参列だったのだが、告別式の普及によって、参列者は現地集合し焼香して解散という形に変わった。
 自宅からお寺、そして墓地へという移動をやめて自宅告別式が行われるようになった。最初は棺を運ぶ輿を安置し、その前で葬儀が行われていた。大正、昭和初期からは祭壇が設けられるようになり、遺影が飾られるようになった。このころから葬儀は死者をあの世に送るということよりも、国葬や市町村葬、社葬などで現世での功績を称える、生前の総決算の場になった。
 戦後の葬儀は引導作法の行われる葬儀と告別式が一体化し、家的葬儀よりも社会的葬儀となり、会葬者も増加、お通夜が告別式化していった。そして地域共同体に代わって葬儀社が葬儀を行うようになる。
 現在、葬儀の簡略化が進み、七日七日の法要や百ヵ日忌が行われなくなり、儀礼の意味も分からなくなっている。僧侶も葬儀に部分的にしか関与せず、一方で戒名のインフレ化がおこり、経済取り引きのようなことが批判されている。
 バブル崩壊後、少子高齢化が進み、終末期医療の長期化によって経済的に困窮するとか後継者がいないなどの問題が顕在化し、会葬を辞退する「家族葬」、通夜なしの「一日葬」、儀礼を必要としない「直葬」が出現。関西では火葬場から遺骨を持ち帰らない「〇葬(ぜろそう)」もある。さらに「散骨」「樹木葬」などが行われ、既存の墓も「墓じまい」して「永代供養墓」への合祀がなされている。こうした状況は都市から地方へ広がっていく。
 そもそもなぜ葬儀をするのかを皆で考えなければいけない。「死」を認識できるのは人間だけだ。大津波ですべてを流された高齢者施設の前にジュースが供えられ、事故現場にたくさんの花が供えられている。仏壇に食べ物を供える。死者がジュースを飲むのか、食べ物を食べるのか、と聞かれたら、誰も飲む、食べるとは言わない。けれども、その供えてしまうメンタリティ。これこそが死者を思う一つの原点であり、死者儀礼の基本だろう。そうしたことをどうやって改めて現代の葬儀の中で認識し、認識させていくのか。つまり「死」の意味づけということが必要である。そのときに僧侶への信頼というものも問われてくる。一般の人々と僧侶とが疎遠になっており、対話を通して相互に理解し合うことが必要だ。
 家的葬儀が限界を迎え、「家族」自体も限界に来ている。死者を追悼し、死者と生者とのつながりを改めて作り上げていく死者儀礼が必要。そこに宗教者が果たすべき大きな役割がある。



2017.12.10 Sunday 14:21
曹洞宗あれこれ comments(1)
曹洞宗関東地区有道会東京大会

2017年11月6日(月)13時から浅草ビューホテルにて、第41回関東地区有道会東京大会が開催されました。

10年後の寺院はどうなるのか?

寺院の将来像をさまざまな調査結果、統計などから予測し、識者5人から有益で刺激的な提言を頂戴しました。

実行委員会のひとりとして大会の裏方をさせていただきました。

 

 



2017.11.07 Tuesday 21:41
曹洞宗あれこれ comments(0)
總持寺にお参りしています
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御征忌、瑩山禅師のお命日の法要


2016.10.14 Friday 15:00
曹洞宗あれこれ comments(0)
特派布教の清興で雅楽の演奏
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曹洞詔音会の僧侶が五曲を生演奏。


2016.06.03 Friday 16:39
曹洞宗あれこれ comments(0)
特派布教に参加しました
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東京都宗務所主催特派布教に参加しました。
中野老師の法話を拝聴しました。


2016.06.03 Friday 16:11
曹洞宗あれこれ comments(0)
救命講習会を受講しました
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12月3日午後、町田市原町田の宗保院さまで、救命講習会が開催され、心肺蘇生、AEDの使用法、気道異物除去法などの学科と実技の講習を受講、最後に効果測定のテストを受けました。写真は心肺蘇生の胸部圧迫前に行う呼吸の確認。


2015.12.03 Thursday 16:58
曹洞宗あれこれ comments(0)
本日の境内の紅葉
2015120120480000.jpg
今年は紅葉の前にほとんど葉が散ってしまいましたが、境内の幾本かの楓が紅葉し始めました。


2015.12.01 Tuesday 20:54
曹洞宗あれこれ comments(0)
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