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追悼 奈良康明先生

 1月30日(火)14時〜16時、奈良康明先生(2017年12月10日逝去、享年89歳)の本葬儀に参列焼香させていただいた。葬儀の式次第や配役が記された小冊子に奈良先生の遺偈が掲載されていた。禅僧一般が末期に示す四言絶句の遺偈の他に二篇の散文詩の遺偈があった。その内の一つを以下に紹介する。

 

愚直 率直 オッチョコチョイ
後先見ずに走り出し
走りつづけて八十九年
さすがにちょっとくたびれました
功なく 徳なく 悟りもないが
黄泉でも同じく ぶきっちょに 走ってます

 

 先生のお弟子さんの法清寺住職・奈良修一師の解説によると「(前略)禅僧の遺偈は漢詩が普通です。生前から、東堂和尚は自分には漢詩の素養がないし、何も無理に漢詩である必要もない、思いのままを普通の文章で示したいと折に触れて言っていました。(中略)東堂の心情を実直に吐露したものです。弟子の目からは見えない心境を平易な言葉で語っています。確かにこの部分は漢詩には出来ないと思います。それだけに、東堂らしい詩です」とあった。この「東堂」とは禅寺で住職を退任した前住職の呼称である。
 先生は1966(昭和41)年から2006(平成18)年まで台東区下谷の法清寺住職を務められ、現職を退かれた後も熱心に教化活動に取り組まれていた。そして80歳を超えられた先生のもとに福井県の大本山永平寺から西堂(せいどう=禅宗で他の寺を引退した長老で、その寺に来て教化を助けるもの。永平寺の正副住職に次ぐ上席の僧)に迎えたい。若き修行僧たちへ定期的にお釈迦さまや道元禅師の教えを講義してほしいという要請があった。先生はこれを請けられ、2012(平成24)年5月から東京と福井との往復を繰り返された。私などが本山の春秋の大法要に随喜のため上山すると、スーツ姿の先生を見慣れていた拙の目の前に、なんと法衣を纏った先生がおられ、参拝者の方たちなどに講話をなさる先生のお姿を何度もお見かけした。そうした折には先生のお話を障子越しに拝聴させていただいた。

 奈良先生は永平寺の月刊誌『傘松』に「釈尊と道元禅師〜慈悲の実践〜」を連載中で、その行間からは先生のお声が聞こえてくるようだった。昨年11月号の文末には「つづく」とあった。
 奈良先生の本葬儀の参列者への返礼品の中に先生の『他を自分の身にひきあてて 仏教における「慈悲」のこころ』という印刷物が入っていた。昨年7月26日に行われたインタビューの記録で、12月30日発行の書籍の抜刷だった。そこに先生のご著書『ブッダの詩』(NHK出版、2011年)の最後に掲げられている原始仏典『ダンマパダ』の

 

すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。
すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

 

 が紹介されていた。先生は「この詩を仏教における暴力否定・戦争否定を高らかにうたいあげているお釈迦さんの言葉だと理解してい」ると仰られていた。
 奈良先生は1971(昭和46)年から1993(平成5)までの長きにわたりNHKテレビの「こころの時代」に出演されていた。多くの宗教者、識者などを招いての対談番組だったが、先生の恩師中村元先生との対談は数十回行われ、拙もよく視聴させていただいた。番組の中で中村、奈良両先生がいつも「お釈迦さん」「お釈迦さん」と仰られていて、お二方がお釈迦さまをごく身近に感じておられ、深い敬愛の念をお持ちの様子が窺えた。
 奈良先生はよくご自分を「インド屋」と言っておられた。東京大学印度哲学梵文学科卒業後、インド・カルカッタ大学に留学されていて、インド宗教文化史の「現地」を知る研究者だった。
 また、先生は駒澤大学の学長、総長などの重職を歴任する一方で、東方研究所常務理事、仏教学術振興会理事長、大蔵経データベース化支援募金会事務局長なども務められていた。



2018.02.14 Wednesday 10:32
曹洞宗あれこれ comments(0)
そもそもなぜ葬儀をするのか

   2017年10月23日(月)14時から港区西麻布の大本山永平寺東京別院長谷寺で、国立歴史民俗博物館民俗研究系准教授の山田慎也氏を招いての研修会があった。概要を報告する。(文責、柚木)
 山田氏は大学院時代から和歌山県などで葬儀の手伝いをしながら聞き取り調査をして来た。90年代前半までは山田氏も近所の方たちに交じって葬家に入り、納棺や葬儀の準備、手伝いをすることができたが、90年代後半には葬儀のすべてを葬儀社に任せる形に変化した。
 私たちは自分で体験できない「不可知の死」を他者の死を通して受け容れるのだが、葬儀とは生者と死者を区分し新たな関係を構築することである。土葬や火葬によってご遺体の形を変え、恐怖や悲嘆を宗教儀礼によって癒やしていく。先祖になり、ホトケになるということで死の意味づけをし、最初に焼香するのが喪主ということなどで、社会的な役割を再分配する。それが遺産相続などにもつながっていく。
 かつての葬儀は生活空間である家から寺へ、寺から墓地へ遺体を運ぶ野辺送りが中心だった。その過程、過程で読経が行われた。今日でも行われている式次第の臨終諷経(りんじゅうふぎん〈枕経 まくらぎょう〉)、剃髪(ていはつ)、授戒(じゅかい)、入龕諷経(にゅうがんふぎん)、大夜念誦(たいやねんじゅ)、挙龕念誦(こがんえんじゅ)、引導法語(いんどうほうご)、山頭念誦(さんとうねんじゅ)、安位諷経(あんいふぎん)が実際に行われた。
 江戸時代から重視されていた葬列が明治期に華美、高額となって批判がおこった。中江兆民は「葬儀無用」と遺言したが、近親者などが無宗教の告別式を行い、約1000人が参列した。
 葬列に加わることが参列だったのだが、告別式の普及によって、参列者は現地集合し焼香して解散という形に変わった。
 自宅からお寺、そして墓地へという移動をやめて自宅告別式が行われるようになった。最初は棺を運ぶ輿を安置し、その前で葬儀が行われていた。大正、昭和初期からは祭壇が設けられるようになり、遺影が飾られるようになった。このころから葬儀は死者をあの世に送るということよりも、国葬や市町村葬、社葬などで現世での功績を称える、生前の総決算の場になった。
 戦後の葬儀は引導作法の行われる葬儀と告別式が一体化し、家的葬儀よりも社会的葬儀となり、会葬者も増加、お通夜が告別式化していった。そして地域共同体に代わって葬儀社が葬儀を行うようになる。
 現在、葬儀の簡略化が進み、七日七日の法要や百ヵ日忌が行われなくなり、儀礼の意味も分からなくなっている。僧侶も葬儀に部分的にしか関与せず、一方で戒名のインフレ化がおこり、経済取り引きのようなことが批判されている。
 バブル崩壊後、少子高齢化が進み、終末期医療の長期化によって経済的に困窮するとか後継者がいないなどの問題が顕在化し、会葬を辞退する「家族葬」、通夜なしの「一日葬」、儀礼を必要としない「直葬」が出現。関西では火葬場から遺骨を持ち帰らない「〇葬(ぜろそう)」もある。さらに「散骨」「樹木葬」などが行われ、既存の墓も「墓じまい」して「永代供養墓」への合祀がなされている。こうした状況は都市から地方へ広がっていく。
 そもそもなぜ葬儀をするのかを皆で考えなければいけない。「死」を認識できるのは人間だけだ。大津波ですべてを流された高齢者施設の前にジュースが供えられ、事故現場にたくさんの花が供えられている。仏壇に食べ物を供える。死者がジュースを飲むのか、食べ物を食べるのか、と聞かれたら、誰も飲む、食べるとは言わない。けれども、その供えてしまうメンタリティ。これこそが死者を思う一つの原点であり、死者儀礼の基本だろう。そうしたことをどうやって改めて現代の葬儀の中で認識し、認識させていくのか。つまり「死」の意味づけということが必要である。そのときに僧侶への信頼というものも問われてくる。一般の人々と僧侶とが疎遠になっており、対話を通して相互に理解し合うことが必要だ。
 家的葬儀が限界を迎え、「家族」自体も限界に来ている。死者を追悼し、死者と生者とのつながりを改めて作り上げていく死者儀礼が必要。そこに宗教者が果たすべき大きな役割がある。



2017.12.10 Sunday 14:21
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曹洞宗関東地区有道会東京大会

2017年11月6日(月)13時から浅草ビューホテルにて、第41回関東地区有道会東京大会が開催されました。

10年後の寺院はどうなるのか?

寺院の将来像をさまざまな調査結果、統計などから予測し、識者5人から有益で刺激的な提言を頂戴しました。

実行委員会のひとりとして大会の裏方をさせていただきました。

 

 



2017.11.07 Tuesday 21:41
曹洞宗あれこれ comments(0)
總持寺にお参りしています
2016101415000000.jpg
御征忌、瑩山禅師のお命日の法要


2016.10.14 Friday 15:00
曹洞宗あれこれ comments(0)
特派布教の清興で雅楽の演奏
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曹洞詔音会の僧侶が五曲を生演奏。


2016.06.03 Friday 16:39
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特派布教に参加しました
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東京都宗務所主催特派布教に参加しました。
中野老師の法話を拝聴しました。


2016.06.03 Friday 16:11
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救命講習会を受講しました
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12月3日午後、町田市原町田の宗保院さまで、救命講習会が開催され、心肺蘇生、AEDの使用法、気道異物除去法などの学科と実技の講習を受講、最後に効果測定のテストを受けました。写真は心肺蘇生の胸部圧迫前に行う呼吸の確認。


2015.12.03 Thursday 16:58
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本日の境内の紅葉
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今年は紅葉の前にほとんど葉が散ってしまいましたが、境内の幾本かの楓が紅葉し始めました。


2015.12.01 Tuesday 20:54
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松田文雄老師の遺偈
2015112513010000.jpg
松田文雄先生の遺偈

愚のごとく魯のごとく 
八十八年
縁に随い 歩みを運ぶ
万象 これ禅 


2015.11.25 Wednesday 13:02
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松田文雄老師の通夜に参列しました

 神奈川県小田原市板橋の香林寺ご住職・松田文雄先生のお通夜に参列いたしました。
 先生は駒澤大学教授、文学部長、総長などを歴任され、さらに大本山總持寺西堂、同顧問をお務めでした。
 かつて曹洞宗「同和」審議会第2専門部会(「曹洞宗全書」の差別事象の点検、評価、総括など)や曹洞宗現代教学センターなどでたいへんお世話になりました。いつも淡々とされ、桜井秀雄先生、鏡島元隆先生(いずれも故人)らと誠実かつ適切にお取り組みいただきました。
 お通夜に参列し、お別れをしてまいりました。


2015.11.24 Tuesday 22:31
曹洞宗あれこれ comments(0)
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