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令和6年能登半島地震
2024(令和6)年1月1日、朝8時半〜15時半の七時間ほど毎年恒例のことだが、東雲寺本堂で年賀客の挨拶を受ける。40組60人くらいのお檀家さん方である。昼食とトイレ以外は本堂に詰めて応対接客、近所に住む娘や孫たちにお茶出しの手伝いをしてもらった。毎年、ほぼ最後の頃に顔を見せてくださる檀家さんがお帰りになると、椅子やテーブルを片付け、掃除機をかけるなどをして、庫裡で娘たち夫婦や孫たちとの新年会を始める準備をしていた。 16時10分、令和6年能登半島地震。 こうしたことから、この度の能登半島地震による祖院の被害を心配していたが、テレビの報道は当初は珠洲市や輪島市の断片的な情報ばかりで、輪島市内西部にある旧鳳珠郡門前町についての情報がまったくなかった。 複数の友人からのラインでは耐震工事を行った建物は何とかもっているが、廻廊が全壊などの情報が寄せられた。 数日後、民放の午前中のワイドショーで門前町總持寺祖院の被害の状況がレポートされ、戦国武将前田利家の妻お松の方をお祀りしている芳春院、廻廊、水屋が全壊、参道の石畳もめくれ上がっている様子が映し出された。 その後、NHKのニュース、新聞報道などでも祖院副監院(寺院の総務担当)高島弘成師が国の登録有形文化財となっている17の歴史的な建造物すべてに被害がでているとの説明をする姿が報じられた。 高島師は14年間、苦労を重ねてようやく形になったところでまた被害が出てしまった。耐震化したのになぜ、と思うところもあり、言葉にならない。今は復興のことは考えられないが、やるべきことを一つ一つやるしかないと話しておられた。なお、祖院の役僧や修行僧に怪我人は出ておらず、門前町の避難所での避難生活をしているとのことだった。 人的被害 死者232人(すべて石川県) 重傷者263名(石川、新潟、富山) 軽傷者762人 住家被害 全壊65棟 半壊1026棟 一部破損1万821棟 床上床下浸水25棟 石川県内断水約4万9990戸 同 停電約6400戸 これらはいずれも暫定値であって、被害の全容は未だ不明である。
大熊照夫監督作品『シリーズ映像でみる人権の歴史』
『視聴覚教育』(日本視聴覚教育協会)2023年3月号に渡部実氏(映画評論家・日本大学藝術学部映画学科講師)の「『シリーズ映像でみる人権の歴史 第1巻〜第10巻』 日本における部落差別の歴史と構造を平明に描く」という映像作品の紹介文が掲載されていた。私の30年来の友人・大熊照夫氏(東映教育映像部映画監督)の作品に対する好意的と思われる評論だった。以下にその一部を紹介する。
昨年、2022年(令和4年)は、日本に長く続いた部落差別の撤廃運動の一翼を担った団体、全国水平社が創立(1922年)されて100周年の年であった。今回ご紹介する「シリーズ映像でみる人権の歴史 第1巻〜第10巻」(2022年/東映教育映像部/プロデューサー・中鉢裕幸、大高彰/構成・監督・大熊照夫)は日本人の意識下でいまだに続く差別の問題を歴史を遡って検証し、解説した企画作品である。1巻から10巻までの大部の構想であるが、主な鑑賞対象者は小学生、中学生となっている。差別という人権を考える上でもっとも大事な問題を映像で見せる。しかも教育用に製作することには、製作側によほどの配慮があってしかるべきだが、このシリーズは長年、教育映画に携わってきた東映教育映像部の作品であり、さすがに構成、内容はしっかりしている。
『シリーズ映像でみる人権の歴史』の第1巻は2012、3年ころに撮影が始まったように記憶している。このシリーズは、上杉聰(評論家、部落史研究家、関西大学講師)、外川正明(同和教育、京都教育大学名誉教授)両氏の企画・監修で、粗編の段階などで両先生に観てもらい、例えば「銀閣寺の上空に月が欲しい」というような、さまざまな無理難題を突きつけられ、大熊監督がぼやいていたことを思い出す。両先生間で意見が分かれるようなことがあったり、シリーズの途中で頓挫するかと思うような事態もあったようだ。が、その度にプロデューサーや大熊氏らが粘り強く働きかけ、とりくみを続けて、10年ほどの時間をかけて10作品のシリーズを完成させた。 東雲寺の被災地支援、人道支援等の募金活動にご協力いただきありがとうございます
募金にご協力いただきありがとうございました。
東日本大震災義援金 2022年7月4日現在
沢知恵著『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』「音楽の力と入所者の思い 抑圧と解放のはざまで」
以前のブログに貞明皇后(1884〜1951年、大正天皇の皇后)の短歌「つれづれの 友となりても慰めよ 行くことかたき われに代りて」にメロディが付され、全国十三ヵ所の国立ハンセン病療養所で歌われていたことを紹介した。この『つれづれの』を歌っていた入所者の方たちの思いや音楽の影響力についての考察が、沢知恵著『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』(岩波ブックレット、2022年11月)の最後部の「音楽の力と入所者の思い 抑圧と解放のはざまで」に記されていた。長くなるが以下に引用紹介する。
ことばが声によって発せられ、さらにメロディーがついてうたになるとき、ことばの意味は心の奥深くに刻みつけられます。
さらに「不思議なのは、入所者が作詞した園歌の歌詞にも〈一大家族〉〈民族浄化〉のようなことばが出てくることです。はじめ私は強い衝撃を受けました。上から押しつけられたのならまだしも、ほんとうに入所者自身が心からそう思ったのか」という問いを立て、そして入所者が持つに至った二重意識についての分析を記している。
終生隔離の療養所で生きるということは、抑圧され、排除され、名前と存在を消されながら、それでも「存在」しようとする意思によって、引き裂かれた二重の意識をもたざるをえなかったということです。「一大家族」「民族浄化」は心にもないことではなく、そう思わないでは生きのびることができなかったのです。
ここの「名前と存在を消され」とは、次のようなことである。「無癩県運動」や「強制隔離政策」の継続などによって、ハンセン病は遺伝病や恐ろしい伝染病と思わされ、信じさせられて来た。そのため家族にハンセン病者がいると知れると、親兄弟姉妹も迫害に遭い、その土地で生活することができなくなり一家離散になるようなことさえあった。こうしたことから、ハンセン病者は、家族に迷惑をかけまいとして療養所入所後に仮名を使い、社会に存在しない「存在」になっていたのだ。 3・11 鳴鐘18声
3月11日14時35分、本堂前で住職とK和尚とで「大悲心陀羅尼」を諷誦、東日本大震災犠牲物故者に回向しました。そして発災時刻の14時46分、大梵鐘を18声打ち鳴らし震災犠牲物故者諸精霊の慰霊供養と被災地の復興をお祈りしました。 毎年、空手のY先生が参列くださっており、今年もご参列でしたので、先生にも大梵鐘を撞いていただきました。 写真はK和尚、右隅にY先生。 『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』(その2)
前回に引き続いて沢知恵著『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』(岩波ブックレット、2022年11月)にあった興味深い記述を紹介したい。
1930年、ハンセン病患者を全員隔離収容することを目指して開設された初めての「国立」療養所が長島愛生園です。それまであった五つの療養所は、09年に開設された都道府県連合立の「公立」療養所です。長島愛生園の初代園長には、東京の全生病院から光田健輔が赴任し、1957年に退官するまで長くつとめました。光田は当初ハワイのモロカイ島にあるカラウパパ療養所をモデルに、沖縄での開設をもくろんだのですが、うまくゆかず、岡山の官用地に土地を得ました。
「なやみよろこび 共にわかちつ われらが営む 一大家族」
「一大家族」は好きなことばやったな。親なし子だったからな。実の両親とか家族から見捨てられてしまったような人たちにとってみたらな、ここで知った人たちはみんなきょうだいなんよ。だけどな、外の人たちが、療養所で過ごしている人たちのことを「一大家族」というのは、ここで家族みたいに過ごしなさいという、そういう甘いヴェールでもって包んだ、実は外に出て来たらあかんよという意味で、ここで仲よくしなさいよということ。
1988(昭和63)年5月に「邑久長島大橋」が架かるまで、愛生園は地理的にも30メートルほどの海峡に隔てられた隔離された療養所だった。 『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』
岩波書店の月刊PR誌『図書』で紹介されていた沢知恵著『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』(岩波ブックレット、2022年11月)のタイトル、その切り口に興味を惹かれて購入し、新年最初に読ませていただいた。
全国の入所者たちは、間に介する職員や関係者に発せられたメッセージを、ここまで自分たちを気にかけてくださるのかと感謝と感激で受け取り、かえって皇室への忠誠心を強くしたのです。直接ではないからこそ強く訴える力が、このうたにはあったのです。御歌「つれづれの」は、皇室の限られた発信手段であった短歌を職員や関係者が政治利用したものであるといえます。御歌は「救癩」(ハンセン病患者を救う社会事業)のシンボルとして全療養所に広くゆきわたり、詠むだけでなく曲がつけられてみんなで声を合わせてうたうことで、さらに深く人々の心にしみわたることになりました。 (23頁)
この『つれづれの』には当時の二大作曲家による曲が付されていて、ひとつは『からたちの花』とか『赤とんぼ』の作曲者・山田耕筰の曲、もうひとつは童謡『七つの子』や『赤い靴』などの作曲者・本居長世の曲があって、26、27頁に五線譜が掲載されており、http://iwnm.jp/271070 で山田耕筰のもの(1935年録音SP盤)が試聴できる。
松丘保養園の園歌には、歌詞が二節までしかありません。ふつうは三節か四節まであります。(中略)なぜ三節はなくなってしまったのでしょう。
以下、東北新生園(宮城)、栗生楽泉園(群馬)、多磨全生園(東京)、駿河療養所(静岡)、長島愛生園、邑久光明園(岡山)、大島青松園(香川)、菊池恵楓園(熊本)、星塚敬愛園、奄美和光園(鹿児島)、沖縄愛楽園、宮古南静園(沖縄)の各園の園歌が取り上げられ、興味深い検討がなされている。
ウクライナ人道支援募金のご報告
2022年12月26日に東雲寺に寄託されたウクライナ人道支援募金を日本赤十字社やウクライナ大使館にお届けしました。 これまでに273,698円お届けしています。 先日、ウクライナ大使から以下のようなFAXが届きました。
仏教と人権・差別
2022年12月25日14時〜15時30分、東雲寺仏教講座「『スッタニパータ』を読む」(第21回)を開催しました。 第3章「大いなる章」の第7経「セーラ」562詩句〜第8経「矢」593詩句までを読みました。 563詩句の「色の黒い種族の生まれの者でも」については、堀晄著『古代インド文明の謎』吉川弘文館、2008年)を紹介し、南インドの肌色の黒い人びと(ドラビダ人)と北インドの比較的肌色が白い人びと(インド人)はDNA分析によると極めて近い関係にあることや「肌の色は紫外線の強度に対する適応にすぎず(中略)また、時間的にも1万年程度でこのような変化が起きてしまう表面的な現象にすぎない」という指摘を紹介させていただき、「色の黒い種族」を「賤しい」とするような経説には注意すべきであるということをお話しました。 また、580詩句「人は屠所に引かれる牛のように」という誰にでも訪れる「死」について、この『スッタニパータ』の経説は、品川区のホームページから「芝浦と場ー−職員からの一言」などをプリントアウトして配布紹介し、と場労働者への偏見・差別の問題につながる危険性のある経文であることを指摘させていただき、人権と差別の問題について考えました。
ご参加いただいた方には、ご賛同いただければ資料代としてウクライナ人道危機救援募金200円をいただいています。 仏教講座参加者はじめ東雲寺にお出でくださった檀信徒の皆さま、坐禅会参加者、梅花講の皆さまなどのご協力で、
12月26日現在の集計で 273,698円
を寄託いただきました。 これを駐日ウクライナ大使館と日本赤十字社に送金いたしました。 ご協力、ありがとうございました。 斎藤洋一先生のご教導の手紙
私の尊敬する研究者・教育者のお一人である斎藤洋一先生(信州農村開発史研究所所長)から8月下旬、9月中旬に相次いでお手紙をいただいた。いずれも「坐禅会たより」で取り上げたDVDビデオ『全国水平社創立100周年 未来に向けてのメッセージ』に関するご感想ご教導だった(当ブログ8月2日付「水平社創立100周年 未来に向けてのメッセージ」参照)。8月24日消印のお手紙では、「たより」906号〜910号の各号それぞれに有り難いコメントをお寄せてくださっている。その中の内田博文氏(国立ハンセン病資料館館長、ハンセン病市民学会共同代表、九州大学名誉教授)のメッセージに対しては次のようなご感想が記されていた。
第910号では、内田博文さんのお考えが紹介されています。6月に、ハンセン病市民学会で内田さんの精緻なお話をうかがったばかりでしたので、おっしゃっておられることがとてもよくわかりました。「いたわる」というのは、気をつけなければいけないことばですね。
「坐禅会たより」911〜915号ありがとうございました。911号の「その6」を読んで近頃になって知人からもらった新聞コピーを柚木さんにも見てもらいたいと思いました。(中略)知人が文書の持主でした。隣家でも大変なことになったことがわかります。患者・患者家族だけでなく、近所の人まで被害をこうむっていたのですね。政府の施策はもちろんですが、正しい知識の普及が欠かせないと思いました。新型コロナもそうですね。(後略)
「たより」911号の「その6」は、前出の『未来に向けてのメッセージ』で「らい予防法違憲訴訟」の判決によって被害補償や名誉回復が行われるようになったが、そこにはハンセン病元患者・回復者の家族は含まれていなかった。そこで「家族訴訟」が提起されたというような内田博文氏の発言を取り上げた号である。
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