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祝福芸「阿波木偶箱まわし」を国立劇場で観た

 7月27日(土)14時、国立劇場小劇場(千代田区隼町)で行われた民俗芸能公演「祝福芸」を友人の中野重哉師(横浜市神奈川区宗興寺住職)や綱木史祐師(静岡県伊豆市泉龍寺住職)とともに観た。この公演には「三河万歳」安城の三河万歳保存会(愛知県安城市)、「阿波木偶箱まわし」阿波木偶箱まわし保存会(徳島県徳島市)、「一ノ瀬高橋春駒」一ノ瀬高橋の春駒保存会(山梨県甲府市)の三団体が出演した。
 このイベントを最初に知らせてくれたのは、かつて曹洞宗人権擁護推進本部で一緒に人権確立・差別撤廃のとりくみをした綱木師だった。その後、徳島の中内正子さん(阿波木偶箱まわし保存会)からもお電話でお誘いいただき、さらに後日、チケットをお送りいただいた。

 

 中内さんと私たち曹洞宗僧侶との出会いは、二十数年前になる。横浜市港北区の慶応大学日吉キャンパスの地下に旧日本海軍が建設した「連合艦隊司令部日吉地下壕」がある。そこを会場に人権や平和について学ぶ現地研修が行われた折、「とても元気な参加者」(中野師談)の中内さんと中野師、綱木師らが一緒に研修したことに始まる。その後、中内さんを通じて、中内さんが所属する芝原生活文化研究所・資料室の代表・辻本一英さんや南公代さんをご紹介いただき、そして、各地で開催される曹洞宗内外の人権啓発・「同和」研修会などにお招きして阿波木偶箱まわしを演じていただいて来た。

 

 徳島県は人形浄瑠璃が盛んなところとして知られ「浄瑠璃大国」と言われている。この人形浄瑠璃の中には2008年に世界無形遺産に登録された「人形浄瑠璃文楽」の他に、中内さんたちが復活させ保存会を結成、その伝統を次代につなごうとしている人形芝居の「阿波木偶箱まわし」がある。
 箱まわしには、一人遣いの人形芝居で、人形を箱に入れて担ぎ、元旦午前〇時から家々を廻って「門付け」を行い、その年の五穀豊穣、無病息災、家内安全などを祈る「三番叟まわし」と、「傾城阿波の鳴門」「絵本太功記」などの演目を大道で演じる「箱廻し」の二種類がある。

 江戸時代、徳島県中西部の吉野川上流域に人形芝居興行を生業とする人びとがいて、明治初めには全盛期を迎え、箱廻し芸人も二百人を数えていた。この人たちが徳島県内のみならず香川や愛媛などを廻檀していたというのだ。箱廻し芸人は、福を届ける神の使いとして敬われながらも、日常では賤視され、周辺地域の人びとから差別されるなどの問題があって1960年代には多くの芸人が廃業して徐々に姿を消して行き、一部地域でしか見られなくなっていたそうである。


 辻本さんはこの郷土の貴重な祝福芸が失われ行く状況を憂い、地元のお年寄りから聞き取りを行い、箱まわしの芸人が訪れた土地を訪ねるなどして調査を続けた。1995(平成7)年に有志を募って「阿波木偶箱まわしを復活する会」を結成、その活動の中で県内でただひとり現役の「三番叟まわし」芸人を探し当てる。
 1999(平成11)年に中内さんが、その師のもとに弟子入りし、三年間「門付け」に同行して技術を習得、芸を学ぶ。2002(平成14)年に師匠の跡を継ぎ、人形遣いの中内さんと囃子方の南公代さんが、年明けの約二ヵか月間、主に徳島県西部の家々を廻って来た。師匠から受け継いだときには三百軒ほどを廻檀していたそうだが、口伝えに「うちにも来てほしい」という家が相次ぎ、今年(2019年)正月には1060軒に増えたという。

 

 徳島のみならず香川や愛媛の正月儀礼として永く定着している「三番叟まわし」は、三番叟とえびすが五穀豊穣、無病息災、家内安全などを予祝し、新年を迎えた人びとに明るい未来と生きる勇気を与えて来た。人びとは人形に体の悪いところを撫でてもらい、神様の使いである人形に手を合わせ拝んで来た。2015(平成27)年、保存会の活動が評価され、「三番叟まわし」が徳島県指定無形民俗文化財になった。



2019.08.21 Wednesday 22:15
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元ハンセン病患者家族訴訟勝訴に思う

 今年の3月末だったと思うが、テレビドラマ『砂の器』(東山紀之、中島健人、柄本明などが出演)が放映された。『砂の器』は松本清張の長編推理小説である。1960(昭和35)年5月から約一年間、『読売新聞』夕刊に連載され、後に光文社カッパ・ノベルスや新潮文庫などとして刊行、さらに1974(昭和49)年に映画化(丹波哲郎、加藤剛、緒形拳などが出演)、テレビドラマとしてはこれまでに七度ほど企画・制作されている。
 7月9日、国が続けたハンセン病(かつて〈らい病〉と呼ばれていた)患者の隔離政策によって家族も差別を受けたとして家族らが国に損害賠償を求めた訴訟で、国が責任を認め、賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れた。この訴訟の原告団長が林力先生(94歳)だった。ご高齢ながら矍鑠としておられる姿をテレビのニュースで拝見した。
 林力先生は、九州造形短期大学教授や九州産業大学教授などを歴任され、全国同和教育研究協議会や福岡部落史研究会などの重役を務め活躍されて来た方でもある。
 今から三十数年前になるが、1985(昭和60)年3月に開催された曹洞宗宗務所長・人権擁護推進委員等「同和」研修会において、演壇に立たれた林先生が「私と部落と宗教と」と題した講演の中で次のように述べられている。

 

 (前略)ハンセン病は伝染病であって、しかも大変微弱な伝染力で、そして幼児期における伝染しか考えられない。プロミン(戦後日本に入って来たハンセン病の特効薬)によって治癒すると分かった今も、世の中の人は業病だと考え、その名を聞いただけで震え上がるという意識をもっている。
  私は、松本清張に対して『癩者の息子として』(世界人権宣言中央実行委員会編『人権白書』所収、1984年)の中にも書いたのですが、そういう面では少なからず不満を持っています。映画『砂の器』という名作がございます。映画的手法が優れていただけに、あの映画の与える印象は強烈であったと思うのです。北陸の親知らずのところを昔の「乞食」と言われた人が彷徨っている。自分の子どもを連れて、そして行き倒れてしまう。とり残された少年を田舎の心優しい警察官が自分の子どもとして育てる。やがて彼は音楽界の新進の音楽家として成功して、その世界の重鎮の娘さんと結ばれようとする。つまり音楽の世界では最高位に登りつめようとする時に、彼は自分の父親が業病であった、ハンセン病であったということに対して、負い目を負う。もし自分の前身が暴かれたならば、この栄光の座から降りなければならないということが気になる。そしてついにその育ての親である、心優しい退職警察官を殺してしまう。それが最後に露見するというものでございます。
  そこに描かれているものは、正に「癩」は恐ろしき伝染病であり、不治であり、業病であるという世界。もちろん最後に一言、このようなことは今はないのだという説明が、一コマいいわけのように付きますけれども、映画的手法が優れたものだけに、映画全体が与える印象を、その一枚の説明が、かき消すことはできません。そしてこの映画が再映、再映、再再映という形で街へ来るたびに、その広告には必ず、業病であり、不治の病であるという、そういう意味のことがパンフレットにして撒かれている現実はなお、変わっていない。(カッコ内注記は柚木)

 
 この映画『砂の器』は、その計画段階から制作中止の要請が全国のハンセン病療養所入所者協議会からなされたが、無関心で無知にもかかわらず根強い偏見・差別意識をもった私たち圧倒的多数の一般大衆が全国で九千人余の入所者に対し「多勢に無勢」で押し切ってしまったのだ。
 林力先生の『癩者の息子として』を読んだときの衝撃を思い出す。隔離政策によって「見えない」存在にされて来た元ハンセン病患者の方たち、その家族であることを隠しながら暮らして来た人たちの心中など、私はまったく考えたこともなかった。
 知らずに差別していた自分の「無知」を恥じ、遅ればせながらハンセン病差別解消のとりくみを始め、「業病」を通して教学上の「業」問題を考えることになった。



2019.08.21 Wednesday 22:05
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あらゆる差別は差別する側の問題である

  3月5日夕刻、東京都港区芝の曹洞宗宗務庁(教団の本部事務所)において全国曹洞宗人権擁護推進主事研修会で話しをさせていただいた。
  事務局からの依頼内容は、1979(昭和54)年9月に起きた「第3回世界宗教者平和会議差別発言事件」をきっかけに、遅ればせながら曹洞宗が人権確立・差別撤廃のとりくみを始めたのだが、その当初の状況について報告し、そもそも部落差別の問題とは何かとか忌避意識などについても触れてほしいということだった。
  件の差別発言事件というのは、平和や人権について話し合う宗教者の国際会議において、部落問題について取り上げられたときに、日本の代表者の一人、町田宗夫師(故人。当時、曹洞宗宗務総長・全日本仏教会理事長)が「日本の部落問題は今はない」「部落問題、部落解放を理由に騒ごうとしている人がいるだけ」「百年前にそういう制度があったから、感情的に幾分残ったものがないではないが、誰も差別していない」などの発言を繰り返し、会議録から部落問題に関わる文字を削除させてしまった事件である。
  40年ほど前の事件やその後に関するあやふやになっていた記憶をはっきりさせるため、1990年ころにまとめておいた資料を引っ張りだし、当時の業界紙をはじめ新聞報道やさまざまな資料、拙(わたし)の私的な記録などを改めて読みながら、記憶を取り戻す作業を行い、話の大まかな構成を作り上げた。その上で部落問題とは何かとか忌避意識などについて、数冊の書籍などを参照しながらレジュメ作りを始めた。
 限られた時間の中で部落問題について正確な情報を伝える必要があり、適当な解説がないか調べたが、手もとの十数冊の書籍には部落差別のさまざまな事例、たとえば結婚差別や就職差別などを紹介するものが多く、〈定義〉を述べるようなものがなかった。そこで『部落問題・人権事典』(部落解放・人権研究所編、2001年新訂版)を見てみると次のような解説があった。

 

 (前略)現在、法律や制度あるいは社会的身分のうえで、部落あるいは部落民というものは存在しない。また日本国憲法14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的・経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定し、「法の下の平等」を謳っている。したがって、今日の社会において、部落差別はありえない。しかし、そのありえないものが、現実に厳然として存在していることは、またまぎれもない事実である。明治維新により封建制が解体し、日本が近代国家になってから、具体的には明治4年(1871)8月28日の太政官布告、いわゆる「解放令」以来、前述のごとく、法的・制度的には部落に対する身分上の差別扱いは表面的・形式的には消滅した。したがって部落および部落の人々を計数することは、そもそも本質的に疑点がある。また法的、制度的には部落は存在しないのであるから、ここを部落だと指定しあるいは判定することは何びとにもできないことである。だが、事実上、誤れる社会的通念と偏見によって、長い間部落とみなされてきた所、そして現にそうみなされている所が部落そのものであり、そしてそのいわゆる部落に生まれ、部落に育ち、現に部落に住む人々、また近年に部落に流入してきた人々、あるいは部落外に居住していても近い過去に部落と血縁的つながりをもつ人々が部落民とみなされているのが現状である。(後略)

 

  これは部落解放研究所(当時)の初代理事長・原田伴彦氏、二代目理事長・村越末男氏(いずれも故人)の解説である。これを読んでいて、町田師の発言は部落問題をとりまく状況のタテマエを言ったもので、残念ながら現実に厳然として存在する部落差別を「ないもの」にしようとした差別発言だったことを改めて確認できた。そして、部落差別をはじめあらゆる差別が、被差別者側の何らかの〈理由〉で差別される問題ではなく、差別者側が誤れる社会的通念と偏見によって差別している問題だということをも、改めて確信した。



2019.03.18 Monday 12:44
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檻の中のライオン(その3)

 楾大樹氏(はんどう・たいき=弁護士、ひろしま市民法律事務所所長)の「檻の中のライオン〜憲法ってなんだろう〜」という講演について、引き続き報告したい(文責・柚木)。楾氏は、国家権力を「ライオン」に、憲法を「檻」に譬えて、私たちに憲法についての正しい知識を伝える活動を続けている。
 

 憲法のセキュリティシステムについての話があった。権力というものは一ヵ所に集中すると乱用されがちである。国会が法律を作って、法律に基づいて裁判所がもめごと解決し、行政が様々な公共サービスなどを行うということが憲法に定められている。立法権(国会)・司法権(裁判所)・行政権(内閣)の「三権分立」である。権力の暴走を防ぐため、権力同士が互いにブレーキをかけるシステムになっているのだ。アクセルだけでは危ないから、ブレーキが必要なのである。ライオン(国家権力)が檻(憲法)を壊さないようにするために、檻の中に性格の違う三頭のライオンを入れておき、相互に監視させているのだ。そして、私たちが声を上げること、選挙や最高裁判所裁判官国民審査で私たちが一票を投じることもブレーキなのである。


 憲法違反をしたら、それはだめということになっているはずだが、最近、憲法違反が起こっている。前回報告した中でも触れたが、安倍政権は憲法を変えずに閣議決定で集団的自衛権を認め、安保法制を整えてしまった。国会できちんと議論していないのだ。歴代内閣は内閣法制局の集団的自衛権は憲法違反という見解を尊重、ライオンが手出しできない檻の外のことにして来た。ところが安倍晋三首相は内閣法制局長官を交替させ、自分に都合の良い人物を法律のチェック役に据え、その後に法整備を行った。運転手が車のブレーキを壊して、アクセルを強く踏み込み、檻を壊してしまったようなものだ。


 内閣が法案を作って、国会で議論して法律を制定する。議院内閣制だから内閣の人たちも国会に議席があり重複している。内閣が法案を作り、国会であまり議論せず、与党が多数決で法律を制定する。まるで内閣が法律を作っているかのようである。安倍首相は何度も「私は立法府の長である」と国会で発言している。後に「行政府の長」と訂正、お詫びをしているが、近年、三権分立について改めて考えさせられるようなことが起きていると思う。
民主主義は多数決だけではない。憲法53条に臨時国会の規定があり、そこに「(前略)いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とある。1/4の少数派の主張も聞いて議論するという民主主義の規定だ。2017年6月に成立した「共謀罪」をめぐって野党側が求めた臨時国会の召集に安倍内閣は長く応じなかったばかりか、開会するや衆議院を解散した。この解散権の使い方が憲法違反ではないかという。


 裁判所には違憲審査権(81条)があり、政権をしばる働きがある。ただし、諸外国と違って日本の場合は、具体的な人権侵害事件が起きて、訴えが起こされないと裁判が始まらず、裁判所は違憲審査をしない。安保法制は違憲だと全国弁護士会が声明を出しても、裁判所は違憲審査をしない。だから、法律を作る段階で憲法に合った法律を作る必要があるのだ。


 憲法第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。(後略)」と記されている。普段、私たちが憲法のことを考えないのは、動物園に行って檻に注目したり檻のことを考えたりしないようなものだ。檻が頑丈だから安心して動物を見ることができ、憲法がしっかりしているから私たちは安心して暮らせるのだ。


 意見の違う人がいるのは当たり前、政治信条の右、左はそれぞれだが、憲法が上で権力は下、この関係が逆になってはいけない。これが法秩序である。いろいろな意見があっても良いが、この土俵の中で話し合おうということである。今、立憲か非立憲かが問われている。改憲論議は結構だが、憲法とは何かをよく知ってから議論すべきだろう。



2019.03.03 Sunday 09:29
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檻とライオン(その2)

 楾大樹氏(はんどう・だいき;弁護士、ひろしま市民法律事務所所長)の「檻の中のライオン〜憲法ってなんだろう〜」という講演について、前回に続いて印象深いところを報告したい(文責・柚木)。
  楾氏は「国家権力=ライオン」と「憲法を檻」に譬えて、人々に憲法についての正しい知識を伝え、国民主権の意味や民主主義について考えようという啓発活動を続けている。


 檻(=憲法)で何を守るのか。ライオン(=国家権力)を檻に入れているのは、ライオンが勝手に戦争を始めたり、国民の自由を奪ったりしないようにするためである。


 憲法9条2項「(前略)陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあり、交戦権は檻の外にある。自衛隊が1954(昭和29)に設立されたが、これは他国が攻めて来たときに自国を守るため(個別的自衛権)の組織であり、戦力ではないとされて来た。また、同盟国が攻撃されたときに自国への攻撃と見なして反撃できる集団的自衛権については、歴代内閣は9条との関係で行使できないとして来た。ところが安倍政権は2014(平成26)年7月に憲法を改正せずに閣議決定で憲法解釈を変えて集団的自衛権を認め、2015年9月には安全保障関連法を成立させた。ライオンが檻を壊し始めているのである。
 私たちが人間らしく暮らしていくことを邪魔するのはライオンである。専制政治、独裁政治では私たちに自由はない。ライオンを檻に入れておく  憲法で国家権力を縛っておくことで、私たちの自由が守られている。例えば民主主義の前提である表現の自由が21条で保障されている。檻がなかったら、政権批判をしたら弾圧されるかも知れない。戦前には表現の自由がなかった。戦争反対を口にすれば逮捕され拷問されるようなこともあった。憲法という檻が国家権力から私たちを守っているのだ。権力を批判することは権力を暴走させない大切なブレーキなのだ。
 自民党「改憲案21条」の表現の自由の条文には「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動(中略)は、認められない」と書き加えられている。政権を批判してはいけないというのか。
また、憲法21条に書いてはないが、私たちには自由に情報にアクセスする権利(知る権利)がある。国家権力が何をしようとしているか、マスコミなどを通じて知ることができる。しかし、ライオンは檻の中を覗かれるのが嫌で、カーテンで隠そうとする。2013(平成25)年12月に成立した「特定秘密保護法」は政権内部を隠すカーテンになる。これまでも「黒塗りの文書」「文書がない」「記憶にない」などとして、見せたくないところをカーテンで隠しながら、格好良いところだけ見せて、民意をコントロールして来たように思う。いくら格好が良いからと言って無邪気に信じたり無批判に支持したりはできないのだ。

 憲法19条には思想及び良心の自由が書かれている。戦前には思想の自由がなく、取り締まりがなされた。憲法20条には信教の自由、政教分離が定められている。皇位継承の際に行われる大嘗祭は神道の宗教儀式、国費で賄うのは如何なものかという秋篠宮文仁親王の発言があった。親王の立場で政治的発言をする問題は別として、政教分離の問題に抵触する可能性があるだろう。異なる宗教を信じている人も税金を納めているのだから、特定の宗教に国費を支出するのは違憲なのである(89条)。同様に「公の支配に属しない慈善、教育、若しくは博愛の事業」にも国費支出は禁じられている。国有地払い下げの「森友学園問題」も違憲の問題と思われる。
  憲法22条には居住、移転、職業選択の自由、23条には学問の自由が記されている。1935(昭和10)年には、それまで通説とされていた「天皇機関説」が不敬であるとして美濃部達吉が排撃されその著作が出版禁止になる学説弾圧事件があった。こうしたことなどで昭和初期に言論の自由が壊され、軍国主義化が加速し、戦争に突き進んで行った歴史がある。
 私は聴講していて憲法改悪の危機感をより深めた。



2019.02.18 Monday 21:35
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檻の中のライオン 憲法ってなんだろう

 

 1月20日(日)15時から町田市原町田の宗保院さま(鬼頭広安住職)で町田市仏教会理事会が開催され、来る4月の花祭りなどの明年度事業について話し合った。その後、16時〜18時30分に日本国憲法についての研修会が行われた。講師は楾大樹氏(はんどう・たいき=弁護士、ひろしま市民法律事務所所長)、演題「檻の中のライオン〜憲法ってなんだろう〜」という講演だった。市内寺院住職、副住職、寺族20名ほどが参加、聴講した。
 この講演は昨年7月に八王子市大和田町の大泉寺さま(久保井賢丈住職)で行われた同旨の研修会に参加した砂越聰志師(町田市南町田常楽寺住職)が、久保井奈美さん(当日の研修会「憲法カフェ」を主催した大泉寺寺族)と住職の賢丈師の助言を受け、講師の楾弁護士に出講を依頼し、日程調整をして実現したものだった。
楾弁護士は、2013年7月の参議院選挙の争点のひとつとなった「憲法96条改正論」や同年12月「特定秘密保護法」成立という状況を目の前にして、よく憲法を知らないままに議論が進み、改憲に向かうような風潮に危惧を抱き、憲法に関する啓発活動を始めたという。
 「憲法96条改正論」とは、同条の規定、憲法の改正は衆・参の各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し、国民投票などで過半数以上の賛成が必要なのだが、これを改憲しやすくするためハードルを下げようとする議論がなされていることである。また、「特定秘密保護法」については、何を特定秘密とするか曖昧であり、憲法で保障された国民の知る権利や人権、取材・報道の自由が阻害されるおそれがあるなどの問題が指摘されているのである。

 今回の講演は、まず、お相撲の例えから話が始まった。東西の力士が土俵の上で相撲を取る。政治的立場にも思想信条の右左があるが、その議論は土俵にあたる憲法というルールの中で行われなければならない。これが立憲主義である。ところが近年、政権・国家権力がこの土俵の形を自分たちに都合の良いように変えてしまっているのではないかとの指摘があった。
 そして憲法は誰が護らなければならないのか? 「国民みんな」か、「国民みんなではない」のかが問われた。参加者のほとんどが「国民みんな」の方に挙手した。すると、その答えとして憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という、公務員が憲法を護る中で仕事をしなければならないということが紹介された。このことを知っただけで、政治の見方が変わるのではないかと楾弁護士が言った。なるほど、見方が変わる感じがした。
 私たちは基本的人権をなぜ持っているのか? それは「国から与えられたから」か、「憲法に定められているから」か。実はそうではなく、日本国憲法は、生まれながらにして自然に人間として幸せに生きる権利を持っているという「天賦人権説」に立っている。そのことが憲法11条や97条に記されている。こうした当たり前である基本的人権について、なぜ憲法に記されているのかというと、それは権力によって人権が侵害されて来た歴史があるからなのだ。
 しかし、自民党の改憲案では「天賦人権説」は西洋の考え方だからとしてなのか、基本的人権は国家によって国民に「与へられる」ものとし、第十章「最高法規」の第97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」を全文削除している。

 楾弁護士は、強大な力を持つ国家権力を百獣の王ライオンに、憲法を檻に譬え、「檻の中のライオン」と名付けた憲法を学び話し合う集会「憲法カフェ」を月に15、6回のペースで開催中だ。『憲法がわかる46のおはなし 檻の中のライオン』(かもがわ出版、2016年)、『けんぽう絵本 おりとライオン』(同前、2018年)を出版、これらは小中学校の副教材などとして活用されている。



2019.02.03 Sunday 11:12
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東日本部落解放研究所

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 9月1日午後、神奈川県秦野市で開催の研究者集会に参加して来ました。

 土日の行事は、参加したくてもお寺の法要があって、なかなか参加できません。

 今回は、たまたま午前中だけ二つの年回法要を請けていて、12時にはお寺を出発、町田から小田急の快速急行で秦野に向かい、開会時間5分前に会場の秦野市立本町公民館に到着、主催者挨拶で演壇上で挨拶される理事長・井桁碧先生のお話しから拝聴できました。井桁先生には30年ほど前から知遇を得て、親しくかつ厳しくご指導をいただいています。理事長に就任されてから、こうした公の場でお会いするのは初めてでした。井桁先生の挨拶を聴きくために今回、参加した?と言っても過言ではありません。

 来賓は神奈川部落史研究会会長・川村善二郎先生、部落解放同盟神奈川県連合会委員長・三川哲伸さん。

 神奈川県連副委員長・中村彰信さんの地元報告、神奈川部落史研究会・鳥山洋さんの基調講演「神奈川の部落史研究のこれまでとこれから」を聴講。久しぶりに充実した時間を過ごしました。



2018.09.01 Saturday 22:19
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暑い夏が来て 原爆忌 敗戦記念日が廻り来る 

 毎日、全国各地で最高気温が35度を越え「命に関わる危険な暑さ」というニュースが報じられている。こんなにすごい酷暑の夏は初めての経験だが、暑い夏が来ると「原爆忌」や「敗戦記念日」の季節が廻って来たことを感じる。
 私の実母・真観院松雲妙韻禅尼(高松ことさま、平成30年6月18日逝去、享年97歳)が最晩年に昔の思い出を手紙で書き送ってくれていた。以下は亡夫・高松祖堂大和尚(福島県二本松市大隣寺27世住職、昭和57年11月25日遷化、世寿67歳)の軍隊時代の話を紹介する一文である。

 

 祖堂和尚は戦争の話を余りしませんでしたが、35年の間チョクチョクと語ってくれた事を今日は思い出すまま書いて見ます。
 祖堂和尚は危うく命を落としそうな時が三度あったとのことですが、その都度、戦友(部下)に助けられて、今が在るのだとつくづくみ仏が守ってくれたと感謝して居りました。
 一兵卒の頃、第一線での闘いでさんざんな負け戦で戦死者は出る、負傷者はごろごろの時、臀部から脚にかけて弾が貫通し、出血がひどく失神して居た祖堂和尚を浪江(福島県双葉郡浪江町)の本山さんという兵隊さんが負ぶってトラックに乗せ、野戦病院まで付いて行ってくれたそうです。負傷者が大勢あったその中を何故か本山さんが祖堂和尚を助け背負ってくれたこと、観音様ですね。
 戦後、その方が訪ねて来た時、「オー、命の恩人だ」と抱きついて喜び、共に生還したことに感激して居りました。
 一兵卒への手当は悪く脚が腐って来て、軍医が股から切断だと言ったのだそうです。側に居た衛生兵が軍医が去ってから「大隣寺の息子ではないか」と声をかけてくれ、「暗くなったら病棟の裏に来るように」と言われ、暗くなるのを待って行ったら、注射を一本打ってくれたのだそうです。二本松出身の兵隊さんだったのですね。一兵卒になど用いない高価な注射だったらしく、腐りが止まったので、軍医が不思議がってオカシイ、オカシイと首をかしげて居たそうです。
 戦後、この方も二度ばかり訪ねて来られましたが、恩に着せるふうのないよい方でした。やはり二本松人でしたね。
 任官してから大変な激戦で「今出たら危ない」との軍曹の言葉を聞かないで祖堂和尚が飛び出して了ったのだそうです。軍曹が直ぐ追いかけ、祖堂和尚を抱きかかへ、元の陣地に戻った途端、飛び出したその場所に爆弾が落ち、一足間違えたら木っ端微塵になるところだったと祖堂和尚が言って居りました。後にその方は何度も訪ねて来られました。その度に命の恩人と大事にもてなして居りました。我が家にお泊まりになったりしました。
祖堂和尚は、その都度、助ける神(仏)が現れて、お陰で帰れたと何時も感謝して居りました。
今まで一緒に戦って居た戦友が目の前で戦死。その人に気遣って居たら自分が危ない。戦争は本当に生きるか死ぬか紙一重だったと言ってました。
 天皇陛下バンザイと言って倒れた人は野戦病院から負傷が治って再び戦場に戻ったそうです。オカアチャーンと最後に叫んだ兵隊は戦死されたそうで、人間は最後はオカアチャーンだと言って居りました。

 

 50年以上前、私たち子どもが、当時テレビ放映されていた『コンバット』や『遊撃隊』などの軍隊ものの番組を観ていると、父・祖堂大和尚がやって来て「戦争はこんなもんじゃない!」と言って、テレビのスイッチを切ってしまうことがあった。
 「天皇陛下バンザイ!」「オカアチャーン!」の話は、父が母に話をしているときに聞いたのか、別の機会だったのか不明だが、私も耳にしていた。父の尻には確かに銃弾貫通の傷痕があった。これまで詳しくは知らなかった負傷後の経緯について、数年前の母の手紙で知った。
 「私」たちは戦場での生死紙一重の体験を想像できるか。



2018.07.23 Monday 10:30
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相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの

 6月11日(月)15時から市内のホテルで町田市仏教会の総会が行われた。市仏教会の行事は、4月上旬に行われる「花まつり」  お釈迦さまのお誕生をお祝いする法要と落語などの余興、そしてこの総会くらいなのだが、他宗派の寺院住職方とお会いできる数少ない機会なので、毎年できる限り出席しようと心がけている。だが、実際には他にはずせない用事が重なったりしてしまい、なかなか思い通りにいかないことの方が多い。
 今回は市仏教会の総会に、初めての試みとして研修が併設され、「津久井やまゆり園事件が問いかけるもの  障害者差別と優生思想」というタイトルの講演が行われるという案内があったので、ぜひ出席したいと思っていた。


 まだ記憶に新しい事件だが、この「津久井やまゆり園事件」とは一昨年(2016)の7月26日午前2時ころ、神奈川県立の知的障害者福祉施設に元職員(当時28歳)が、建物一階の窓ガラスを割って侵入、刃物で施設利用者を次々に刺し、男女19人が死亡、27人(職員3人を含む)が負傷した「相模原障害者殺傷事件」である。日本で発生した殺人事件としては、戦後、最悪の大量殺人事件と言われている。 


 この研修の企画をしたのは、市内南町田一丁目の常楽寺住職S師である。彼は、独特の思考回路を持っているように感じさせる、私にとって気になる青年僧の一人である。S師曰く、「津久井やまゆり園事件」が風化しているように感じている。間もなく事件から2年になるので、改めて事件の意味するものを学び、考えてみたかったとのことだった。彼が講師として招いたのは、公益財団法人「東京都人権啓発センター」派遣講師の大野精次氏。同センターのホームページに講師謝礼(一時間以内、1万7千円、一時間を越える場合、一時間1万5千円、いずれも税別)などと明示されており、予算的に頼みやすかったとのこと。また、このセンターが昨年(2017)1月に台東区橋場一丁目から港区芝二丁目に移転、曹洞宗宗務庁(曹洞宗の本部事務所)の隣りに開館したので、センターを訪ねて〈障害〉者スポーツの一つである「ボッチャ」を体験、展示資料を見るなどして来たという。


 S師が、人権啓発センターに対しやまゆり園で引き起こされた「相模原障害者殺傷事件」についての講演を依頼したところ、一般的な人権・差別問題に関する講師派遣を行っており、特定のテーマの講演依頼は請けてないと言われたそうだが、大野氏はS師の要望を容れて、「相模原障害者殺傷事件」に的を絞った講演をしてくださった。ただ大野氏自身は〈障害〉者福祉の専門家ではなく、人権・差別問題について活動されて来た人でもなく、築地から豊洲へ市場移転に関する東京都の事業の中で重要な役職を歴任して来た方とのことだった。都を退職後に、人権啓発センターの専務理事を経て、現在、人権問題研修講師をされている方という。
 この度の市仏教会での研修では、事件の概要、被告について、衆議院議長宛の手紙、優生思想、弱者は余計もの?、障害者の生きる権利、障害者基本法、青い芝の会の主張、優生保護法により強制不妊手術、出生前診断、ハンセン病患者への差別、やまゆり園事件の匿名報道、措置入院患者、政府の対応、ひとりひとりが問われているなどの柱立てのレジュメで、一時間余の講演とその後の質疑に丁寧に対応してくださった。


 今年になって旧「優生保護法」により知的障害を理由に不妊手術を強制されたことに対し、国家賠償を求める裁判が起こされている。また、ハンセン病が不治の病でなく、遺伝病でもないことが明らかになった後も、1996年4月まで「らい予防法」のもとで元患者に対する隔離が行われ、不妊手術を条件に結婚を認め、妊娠が分かると中絶を行って来た事実もあった。
 〈障害〉者の障害となっているものは、私たちの社会が作り出しているものであり、優生思想による差別であって、今回の「相模原障害者殺傷事件」の講演を聴講する中で、改めて人間存在の意味、人の尊厳について考えることができた。



2018.06.19 Tuesday 06:57
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解らないところを解る必要がある

  最近、テレビや新聞の報道などで「セクシャルハラスメント」「パワーハラスメント」などの言葉をよく耳にし、目にする。
  社会的に強い立場にある人間が、それに比して弱い立場にあるものに対して無自覚(?)にその人を深く傷つける言葉を口にしたり、相手の人格を無視した行為を行ったりしたことが次々と告発されているのである。セクシャルハラスメント、パワーハラスメントをした人間ーーそれがたとえ大きな権力を持った人間であろうと、政治家や政府高官であろうと、職を辞するようなことになったケースが国内外で何件かあった。
  30年ほど前の話だが、かつて拙(わたし)が勤務していた教団本部の事務所で、1989(平成元)年当時、流行語になりつつあった「セクハラ」という言葉を、後輩T師の口から発せられるのを初めて聞いたとき、拙はまったくチンプンカンプンで、その意味を理解することができなかった。しかし、それから間もなくして、「セクハラ」という言葉に、毎日のように女性職員の肩や首筋などを揉み、腰に手を回わし、ときに卑猥な言葉を口にし、それを「挨拶代わり」としていたR部長の言動を抑止する力があることを拙は知ることになった。
 私たちが生活する現代社会が、R部長のそれらの言動を「セクシャルハラスメント」と呼ぶことによって、その行為は社会的に許されない性的いやがらせであり、性的・差別的な言動だということを改めて確認したのである。それまで人格を無視され、性的対象物のように貶められ、それに対する怒りで顔を紅潮させながら耐え忍ぶことを強いられて来たことも、被害を受けて来た人びとが「セクシャルハラスメント」という言葉を手にすることによって、〔今日でもまだ勇気を振り絞る必要があるのだろうが〕抗議し、謝罪を求めることができるようになったのだ。
 「人権」という概念は、この「セクシャルハラスメント」の例と同様に、人としての尊厳を踏みにじっている何か不正義なこと(?)に気付き、その何かを除くためにとりくむ中で、ときにそれに名付けし、私たちが啓発され、社会の共感を得ながら成長し続けていくものだと思う。

 ということは、「人権」を学び続ける努力をし続けないと、チンプンカンプンで、それが分からないことということも出て来るのだろうと思う。その社会、その分野における権威であっても、実力者であっても、「人権」の学びを怠っていると、自身は「分かっている」と思っているらしく、周囲からの助言や注意を受けつけず、「分かってる」「分かってる」を繰り返し、結局、事を大きくしてしまっているようなことが目につく。

 

 話はまったく違うが、拙がかつて親しくご指導いただいたことのある、誠実な道元禅師研究者であられた春日佑芳先生(1929〜2002年、東京大学文学部倫理学科卒、防衛大学名誉教授)の『新釈正法眼蔵』(ぺりかん社、1995年)の「一生多生の参学  あとがきにかえて」の中に、先生の父上・春日佑幸師のエピソードが記されていて、そこに「解らないところが解る」というフレーズがあったのを思い出した。


 佑幸師は、旧制中学の国語・漢文の教師を退いた後、後半生の約20年間、『正法眼蔵』の解読にとりくんでいた。その研究成果がまとまると、曹洞宗大学(現駒澤大学)時代の恩師・衛藤即応先生(1888〜1958年、駒澤大学総長)に送りご指導を頂いていた。衛藤先生は近代曹洞宗の宗学の確立に尽された方だ。研究者や曹洞宗内では「衛藤宗学」として知られている。
 衛藤先生は、佑幸師の原稿を読んでは、それにコメントして返却。佑幸師が推敲、修正して、それをまた衛藤先生に届けるということをしていたようだ。「四訂」の原稿もあったという。
 その衛藤先生の佑幸師への励ましの言葉が「解らないところのある眼蔵家(『正法眼蔵』研究者)になってほしい」だった。衛藤先生は、『正法眼蔵』研究において、解らないところがどこかを解るぐらいまで研究するようにと言ったのである。
 「人権」も解らないところを解る必要があるのだ。



2018.05.21 Monday 14:11
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