Calendar
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< April 2019 >>
NewEntry
Profile
Category
Archives
Comment
Search
Link

Favorite
素材満載 ブログで作る かんたんホームページ [CD-ROM付き]
Mobile
qrcode
Sponsored Links
東雲寺の丘の上のツツジ

 

桜の季節が過ぎ、好天に恵まれていますので、東雲寺裏の丘の上の草刈りを3時間ほどやりました。ツツジが見ごろです。

 



2019.04.22 Monday 13:48
住職雑感 comments(0)
旧暦「桃の節句」 暦について調べてみました

 

 2019(平成31)年4月7日は、太陰太陽暦(旧暦)の3月3日、上巳の節句、「桃の節句」である。上巳(じょうし)とは「五節句のひとつ。昔、中国で、三月最初の巳の日に行われた祓・招魂の儀が源というが、平安時代に日本に取り入れられ、今日の雛祭り、桃の節句となった」(『月と季節の暦』2019年)という。一月ほど前の3月3日には桃の花は莟にもなっていなかったが、旧暦の3月3日、すなわち本日、東雲寺の紅白ピンクの花桃の花が咲き、まさに「桃の節句」である。

 

 最近、墓石に故人の歿年月日を彫刻する際に旧暦も併記したいという檀家さんがあって、過去の太陽暦の年月日を旧暦の年月日に変換するため、太陰太陽暦について調べることがあった。
 以下、主に内田正男著『暦と時の事典』(雄山閣、1986年)を参照して記す。
 まず、太陰暦というのは月の満ち欠けの周期にのみよる暦で、一ヵ月の日数が30日と29日とを交互に繰り返すので、一年、12ヵ月で354日となる。太陰暦を使うところでは、30年の間に11回の閏年を設けて年末の29日を30日にするなどして調整しているそうだ。それでも太陽暦の365日より10日余少ないため、年月が経過するうちに日付と季節との間にズレが生じて、四季がある地域、農耕を行うところなどでは太陰暦は使えない。

 

 現在、世界中で毎日の生活に使われている太陽暦(グレゴリオ暦)になる前まで日本で使用していた暦が太陰太陽暦(旧暦)である。太陰太陽暦は、太陽年の365日余という一年の周期と月の満ち欠けの29・5日という一月の周期を組み合わせ、19年に7回、閏月を設けて調整するものである。「世界の古くから文明の発達した国々の暦、ユダヤ暦、ギリシャ暦、バビロニア暦そして中国の暦などは、みな太陰太陽暦であった。(中略)日本では中国から暦法が伝えられて以来、明治5年までずっと太陰太陽暦が用いられ」てきたという。
 今年2月5日は旧暦元旦で、中国はじめ中華圏で「春節」と言い、もっとも重要な祝祭日であって、新暦の正月に比べ盛大にお祝いされることで知られている。また、中国、台湾、韓国、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどでは数日間の祝日があって、毎年この時季には、いわゆるインバウンドツーリズム    外国からの旅行客が大勢日本にやって来る。お寺関係では、中国などの石材業者が長期休暇をとるため輸出入が滞り、日本の建墓工事に影響が出る。

 

 太陽暦(グレゴリオ暦)は、「西暦年数が四で割り切れる年を閏年とするが、100で割り切れる(100は4の倍数であるから100で割り切れる年はもちろん4でも割り切れる)年のみは100で割った商が4で割り切れない時は平年とする」というものである。400年で97回の閏年となり、一太陽年との差が極めて小さくなっている。4年に一度の閏年で2月29日があるとばかり思っていたが、そうではない年もあるということだし、4年に一度の閏年にオリンピックが開催されると思っていたが、2100年のオリンピックは平年開催となるようだ。
なぜ2月だけが28日、閏年は29日で終わるのか。古代ローマの暦が現在の3月を年の始めとし、2月を年末としていたからということを2月16日のNHKテレビ『チコちゃん叱られる』で知った。紀元前713年、ローマ国王ヌマ・ポンピリウスによる暦からのことのようである。

 

 元号が5月1日に改まる。「平成が終わるので、平成の年号でのお塔婆を建てたい」という檀家さんの依頼があり、塔婆供養をお請けした。私たちはさまざまな形で暦の影響を受けながら生活しているということを改めて感じた。元号(=年号)とは「年につける称号。中国で、皇帝が時をも支配するという思想から、漢の武帝のとき〈西暦紀元前140年〉に『建元』と号したのに始まる(後略)」(『広辞苑』第七版)という。1979(昭和54)年制定の「元号法」に「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」とされている。元号には支配者による「時の支配」という意味がある。



2019.04.08 Monday 09:38
住職雑感 comments(0)
町田市仏教会「花まつりの集い」

 

 

 2019年4月2日(火)15時〜17時、町田市原町田3丁目のベストウエスタン レンブラントホテル東京町田において「町田市仏教会花まつりの集い」が開催されました。約140名の方々がご参加くださいました。

 第一部「花まつり法要」散華、般若心経読誦と大本山總持寺布教師による「法話」、第二部「雅楽のしらべ」主に東京都内の僧侶たちで構成する「曹洞韶音会」の8名の方が「五常楽急」や「越殿楽」などを演奏。聴衆を平安時代の日本の古典音楽の世界に連れて行ってくれました。

 

 お檀家さんから、法要も法話も雅楽もみな曹洞宗で他宗派のお寺さんも参列されていたのにどうしてなのかというような質問がありました。

 

 現在、会長は町田市内の鶴川地区担当ということで大蔵町の曹洞宗安全寺さんが町田市仏教会会長に就任(任期2年)、法要導師は忠生地区担当で木曽の曹洞宗福昌寺さん、庶務担当が南町田(旧鶴間)の曹洞宗常楽寺さんということで、頼みやすい人脈で曹洞宗内の方たちに法話や雅楽をお願いし、結果的に曹洞宗一色のような町田市仏教会の花まつり行事になりました。今年は曹洞宗ですが、次年度、次々年度は他の宗派の法要と法話というようなことになると思います。

 

 20数年前はずうっと獅子てんやさんが、毎年、漫談をやってました。その後、10年くらいは金馬さんの弟子などの落語家を呼んでましたので、今年のような般若心経を読んでの本格的な法要や僧侶の法話、そして雅楽演奏というようなことは数十年ぶりだと思います。

 

 以前は法要と言っても、各宗派共通ということで「三帰礼文(さんきらいもん=下記)」を唱えるだけの1分くらいで終わり。仏教会長が挨拶を兼ねて法話10分くらい。そして落語や漫談でした。このようなやり方に、私は以前から疑問を感じておりました。各宗派の持ち味を活かして法要を行い、それぞれの企画を出しながら花まつりという、今回の方針に私は賛成しています。

 

(導師)みずから仏に帰依(きえ)したてまつる

(一同)まさに願わくは衆生(しゅじょう)とともに

     大道を体解(たいげ)して

     無上意をおこさん

 

(導師)みずから法に帰依したてまつる

(一同)まさに願わくは衆生とともに

     深く経蔵(きょうぞう)に入りて

     智慧 海の如くならん

 

(導師)みずから僧に帰依したてまつる

(一同)まさに願わくは衆生とともに

     大衆(だいしゅ)を統理して

     一切 無礙(むげ)ならん

 



2019.04.02 Tuesday 18:32
住職雑感 comments(0)
恩田川の桜まつり

 

 

2019年3月31日午後2時30分ころの恩田川の桜の開花状況です。

南成瀬の町田市総合体育館付近のお花見の皆さんです。

成瀬はじめ町田市南地区の各商店会の方たちなどがお店を出していました。

お店の周辺はすごい混み具合で「完売」の張り紙が出ている商品もいくつかありました。



2019.03.31 Sunday 15:15
住職雑感 comments(0)
40億年、いのちの旅(図書紹介)

 金曜日夜に放送されるNHKの「チコちゃんに叱られる!」というバラエティ番組を楽しみにして毎回観ている。永遠の「5歳」という設定の少女・チコちゃんが、私たちにとって当たり前過ぎて疑問に思わないようなことをお笑いタレントの岡村隆史はじめ出演する大人たちに質問する。普段は考えもしなかったチコちゃんの「なぜ?」に回答者が答えに窮する。するとチコちゃんのCGの顔が大きく赤くなって「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という決めぜりふで叱られるという出だしだ。その後に取材によって集められた専門家たちのコメントや研究成果などが紹介され、解答が示されるという番組である。
 1月11日放送の中のひとつは、地球がなぜ自転しているかという疑問だった。原始地球に大きな天体が衝突(ジャイアント・インパクト)して地球が誕生、自転し始めたという。それは46億年前のことである。当時は自転一回転4時間ほどだったが、月の引力などでブレーキがかかり、地球の自転はほんのわずかずつ遅くなっている(一年で5万分の1秒ずつ遅くなっている)という。現在、一日24時間だが、遠い将来には一日25時間になり、さらに遠い遠い遠ーい将来には、地球の自転が止まる・・・・・。


 皆さんも子どもたちの「なぜ?」にとまどったことはないだろうか。ときに子どもの「なぜ?」が大人にとってはいつの間にか自明のこととして考えることを止めていた何か、たとえば天地自然の〈真実〉や私たち自身の人生、生命などの〈真理〉にダイレクトにつながる疑問だったりして、大いに考えさせられることもある。

 昨年夏、岩波書店『図書』の新刊案内に岩波ジュニア新書『40億年、いのちの旅』という書名を見て、そういえば私は子どものときからこういうことをずっと疑問に思っていたんだと、はたと気づき、すぐに購入し通読した。そして今日でも手の届くところにおいて時々ページをめくってはつまみ読みを続けている。
 実は私は岩波ジュニア新書のファンで、この新書の新刊には常に注意を払って来た。最先端の研究や技術開発などをその分野の専門家が分かりやすく書き下ろしているもので、私などが何かを学び始めるには最適な入門書なのだ。

 『40億年、いのちの旅』によると、現在、地球上の「いのち」・生きものは三千万〜一億種存在するというが、その祖先を遡っていくと、40億年前の原始地球の海の中で生まれた原始細胞・「いのち」に辿りつくというのだ。
 46億年前に地球が誕生し、熱い火の玉だった地球が永い時間をかけて少しずつ冷えてきたころ、「原始地球において、水蒸気や深海の熱水の中で、雷、放射線、紫外線、エックス線、地熱などのエネルギーによって、二酸化炭素、水素、二酸化硫黄、窒素、塩酸、メタン、アンモニアなどの無機の気体から簡単な有機化合物(たとえばアミノ酸)がつくられ、次に小さな有機分子が結合しあってタンパク質のような有機高分子がつくられたと考えられ」るという(87頁)。
 40億年の「いのち」の旅を一日24時間にたとえるという解説もなされていた(80頁)。
 1月1日零時にいのちが誕生し、3月中旬にシアノバクテリアが酸素を発生し始め、6月中旬に真核生物が現れ、9月下旬に多細胞生物が出現したことになるそうだ。
 11月下旬になってやっと生物は海から陸に上がり、同じころ頃最初の脊椎動物である魚が登場。12月中旬ころから恐竜が地上の覇者として繁栄を誇っていたが、12月25日午後6時ごろに絶滅。7百万年前とされる、最初のヒトが登場したのは、大晦日の午前10時過ぎとなり、私たちホモサピエンスの登場は20万年前とされるが、それは新年まで残り20分ほどに押し詰まった午後11時40分ころのことだという。
 詳しくは『40億年、いのちの旅』の一読をお願いしたい。心に留めておきたいのは私の「いのち」が40億歳余ということと、私たちヒトや動物、植物、昆虫、菌類などの祖先を遡っていくと原始細胞の「いのち」に辿りつくという〈真実〉である。



2019.01.25 Friday 07:34
住職雑感 comments(0)
日々変わらねど すべてに新たなり

 山形県上山市の寿仙寺住職・吉田時夫老師から季刊の『寿仙寺だより』110号(2019年1月)を頂戴した。これまでに二十七、八年間ご恵送いただいており、お元気でご活躍の老師の様子をお伝えくださる“便り”である。今回の「たより」の一面には青空のもと雪景色の寿仙寺のカラー写真と「日々変わらねど すべてに新たなり」と題した年頭の挨拶文が掲載されていた。四十五年ほど前、修行中の吉田老師が福井県の大本山永平寺で迎えた元旦の思い出が記されていた。

 

 住職が永平寺で勉強中の時のことです。元旦の朝を迎えると、法堂(はっとう=本堂)での朝のお勤めで、特別に禅師さま(永平寺の住職)に質問することが許されます。特に一年生は質問をするように先輩僧から厳しく指導を受けましたので、私も質問をすることになりました。時の禅師さまは目がご不自由でおられ、声に対しては特に配慮をしていたといいます。私の順番になりました。緊張の中での質問でしたので、文章的に正確だったかどうかは分かりません。
 「日々、朝・昼・夜の行事、坐禅、本講、作務(労働)に勤めています。今日も昨日と変わりません。修行僧にとって今日は何か特別の日なのでしょうか」
 これに対して禅師さまは私の心を斟酌して、はっきりと応えられました。
 「日々変わらねど すべてに新たなり」というものでした。
 いつもお正月を迎えると、この言葉がよみがえってきます。(後略)

 

 東雲寺の坐禅堂壁面に吉田老師から頂いた写真が三点掲示してある。坐禅堂入口の真上に「太白山天童景徳禅寺」(その昔、道元禅師が修行された中国の禅寺「天童寺」)の写真、その斜め左下に「大日如来」そして坐禅堂の奥の右側に「地蔵菩薩」。ひとつは吉田老師が1980(昭和55年)初冬に駒澤大学中国仏教史蹟参観団の一員として訪中した際に撮影した天童寺仏殿の写真であり、他の二つは、当時、吉田老師が休暇を利用して国東半島はじめ全国各地を訪れ撮影した石仏写真の中の二作品である。老師が東京都港区芝の東京グランドホテルで石仏写真の個展を開いたことがあり、そこで展示した作品の中から、後日、拙(わたし)が老師にお願いして頂戴したものである。
 実は吉田老師と拙(わたし)とは福井県の大本山永平寺で同時期に修行し、さらにその後、曹洞宗宗務庁(教団の本部事務所)にも一緒に勤務し、ほぼ二十年間、毎日顔を合わせ、週に一、二度は盃を傾けていた間柄である。

 老師はこれまでに数々の労著をものされており、代表作のひとつ『随想 曹洞宗と天皇制を考えるヒント』(1997年4月)が『山形新聞』「味読・郷土の本」欄に取り上げられることになった折には、当時、曹洞宗人権擁護推進本部事務局長を務めていた拙(わたし)に書評の依頼があった。以前、この書籍のもととなる四百字詰二百五十枚ほどのワープロ原稿を読み、ぜひ公刊すべしとお勧めした者として、推薦の一文を寄せて、その最後を次のように締めさせていただいている。

 

 (前略)「大逆事件」の「暗黒裁判」で死刑に処せられた内山愚童和尚の問題や、教団や宗教者の戦争荷担の問題についても多くのページを割いて検討し、吉田師は次のように言う。「今後同じ過ちを繰り返さない為にも、今日、この歴史をできるかぎり正確に理解し、その原因を見極め、歴史から学んでいかなければならない。これが自ら宗教人生を確立していく出発点のように思えてならない」と。
 ぜひ議論の素材とするため、教団内外を問わず識者の方がたの一読をお願いしたい。

 

 この書籍はその後に加筆増補され『曹洞宗と天皇制を考える』として2014年3月に東京新宿区の文芸社から新たに出版刊行されている。興味のある方、どうぞご一読を。
 吉田老師は常に「仏教とは何か」を確認する作業を続けつつ学びを深められ、その成果を『寿仙寺だより』にまとめ、檀信徒の方たちのみならず拙(わたし)などまで啓発くださっている。日々変わらねど、すべてに新たなりである。心して精進修行したい。



2019.01.07 Monday 09:33
住職雑感 comments(0)
台風24号の強風により参道の桜が倒れる

 樹齢61年の参道の桜が台風24号の強風によって倒れてしまいました。

 ご覧のように石畳や参道の舗装、石垣なども壊れてしまいました。ただ、不幸中の幸いと言わねばならないのは、南風だったため東雲寺の前にある杉山神社や門前のお宅などの方ではなく、北側のYさんの畑に倒れてくれたことです。

 さっそくお檀家さんの植木屋さんに連絡を取り、伐採、除去していただく手はずになっています。

 このほか、東雲寺への車道に沿った北側の花桃が数本、倒れたり、太い枝が折れたりしています。

 境内墓地には枯れ枝や木の葉が吹き飛ばされて来ており、掃除が終わるには一週間以上かかると思われます。

 東雲寺の東側の丘の上に、2011年4月から13年4月まで3年間かけて植えた、早咲きのカンヒザクラや河津ザクラなどから遅咲きの八重桜まで、8種類36本の桜の内、3本が根元から倒れ、さらに2本は風に煽られて北方向に傾いてしまっています。植木屋さんたちが街の中の街路樹の倒木などの片付けが終わったら、駆けつけて来てくれるそうです。



2018.10.01 Monday 12:56
住職雑感 comments(0)
ともおさんが撮影しました

 

丹沢山系の山々の下方に少し低い山々があり、雲の切れ間から、偶然、その低い山々だけに陽の光が射していました。

8月8日か9日の写真だそうです。東雲寺の東側、高台の住宅から、ともおさんが撮影しました。



2018.08.24 Friday 14:22
住職雑感 comments(0)
懺悔滅罪〜あの涕泣の理由〜

  私が生まれ育った福島県二本松市の大隣寺では毎月17日夕刻に「お逮夜(おたいや=忌日前夜の読経法要)」を行っていた。現在は師父・二十七世大徹祖堂大和尚(昭和57年11月25日示寂)の月忌命日逮夜である毎月24日に移行、修行されている。
 17日は大隣寺二十五世黙雄領禅さま(昭和4年7月17日示寂)の月忌命日、二十六世禅機魁学さま(昭和20年12月18日示寂)の月忌命日逮夜にあたり、毎月17日の夕方に寺内全員で『修証義(しゅしょうぎ)』を読誦供養していた。『修証義』は五章で構成されており、下記のように1月は一章、2月は二章というふうに読んでいた。
  第一章「総 序」
    1月、6月、11月
  第二章「懺悔滅罪」
    2月、7月、12月
  第三章「受戒入位」
    3月、8月
  第四章「発願利生」
    4月、9月
  第五章「行持報恩」
    5月、10月
 私が小学校低学年当時、毎月17日午後に福島県内各地から数名の住職方が大隣寺にお出でになり、寺内の者たちとともに『修証義』を読誦、お逮夜法要を修行していた。遠方の方はその夜一泊されて翌朝お帰りになったりした。その頃、お客さまがお寺に宿泊されることが珍しいことではなかったが、私たち子どもにとってお客さまが来るというのは、なんとなく嬉しいような、ウキウキするようなできごとだった。
 それはたぶん7月のお逮夜の日のことだったと思うが、福島県内K町G寺さまが大隣寺にお見えになった。G寺さまは到着するとすぐに玄関の次の間にあった庫裡のお仏壇にお線香を上げてお詣りされた。
 7月だから『修証義』第二章「懺悔滅罪(さんげめつざい)」を読む月だった。第二章は他の章より短く、法要が少しだけ早く終わって夕食になるし、私の誕生月の2月に読む章だったことなどから、私は第二章が好きだった。そういうわけで懺悔滅罪の意味も知らずに、考えもせずに、仏壇にお詣りしていたG寺さまに「懺悔滅罪やっぺない(やりましょう)」と言うと、G寺さまが声を上げて泣き出してしまった。大の大人が啼泣したことに驚き、その記憶が心に深く刻まれたが、なぜ泣いたのかの理由については近年までよく分からずにいた。


 母・真観院松雲妙韻禅尼(故高松ことさま、平成30年6月18日逝去、享年97歳)が最晩年に昔の思い出を私に手紙で書き送ってくれていた。以下はその一節である。

 

  (前略)ご前様(大隣寺二十五世黙雄領禅さま)がお留守の時は魁学方丈(後に二十六世となる禅機魁学さま)が代わって修行の指導をしたようです。間もなく魁学方丈が高林寺の住職となり、ある時、ご前様のお留守の時、大隣寺に来て修行僧を監督し、暗くなって帰路につき、途中で安達ヶ原の観世寺の辺りで忘れ物を思い出して引き返して来たら、お寺は真っ暗、もぬけの殻、坊さん逹は皆で遊び(芝居)に行ったとのことです。魁学様は玄関に坐禅して待って居たら、暫くして賑々しく皆が帰って来たのだそうです。魁学様が凄い顔で居たので皆で蒼くなり、坐禅させられ警策(きょうさく)をバッチバッチと打たれたのだそうです。中でも首謀者のK町のG寺様は警策が折れてふっとび、肩の肉が裂け血が出て、玉泉寺様は恐くなって実家に逃げ帰り、親戚の医者に手当てをして貰って、診断書を書いて貰ひ警察に訴えたとのこと。
  警察が大隣寺に来て、魁学様を出せと云う声を聞き、ご前様が奥から玄関に出られ、修行中のことは何人も口出しは無用と鶴の一声で収まったのだそうです。G寺様は、後日、人を介して詫びを入れ、大隣寺に戻った由。
  G寺様と梅侃さんは申し合わせて、七月十七日にはよく来山なさいました。時にはご前様のお弟子が沢山集まって巨邦会(大隣寺の山号に因む会名)等で一泊なさいました。警策の件はその折の話です。G寺様はあの警策で今自分が坊さんをして居られるのだと仰いました(後略)

 

 今日では傷害事件となる事案だが、戦前の叢林(そうりん=禅の修行道場)でのことだ。警策で懲らしめの指導があり、このことがG寺さま啼泣の背景にあったようだ。



2018.07.12 Thursday 10:32
住職雑感 comments(0)
青少年教化員という名称が変更された背景

 5月20日ころだったと思うが、東雲寺にボーイスカウト東京連盟町田地区町田第七団の方が、長い間有り難うございましたと解団の挨拶に来てくださった。実は昨年末にも第七団の方が東雲寺にお出でになり、大晦日のときに毎年行っていた奉仕活動  除夜の鐘に来た方たちに焚き火の暖と温かい甘酒を提供することを、少子高齢化によって今年からできないという話があり、そして年度末の今年3月に解団すると予め知らされていた。
 第七団のキャンプ地が東雲寺裏手の丘の上、成瀬尾根の山道沿いにあるお寺の山林の中にあった。週末の朝や夏休みなどに拙が境内の掃除をしていると、スカウトの制服を着た小さな子どもたちがリュックを背負い保護者と一緒にキャンプ地に向かう姿をよく見かけた。また、土日などで一泊二日のキャンプのときには、当番の子どもたち二、三人が、東雲寺の水道からポリタンクに水を汲み、重そうに運び上げていた。
 いつから、どういう経緯で、東雲寺の山林内の場所をスカウトのキャンプ地として貸すことになったのか不明だが、東雲寺檀徒のSさん(故人。30年ほど前に数年間、東雲寺坐禅会に参加)がスカウト活動に熱心で、日本連盟か東京連盟などで重職にあった方のはずだ。たぶんこの方や檀信徒総代さん、先代住職との間でキャンプ地使用の話がなされたのではないかと思う。
 曹洞宗にも曹洞宗スカウト協議会というスカウト活動、社会教化活動を支援する組織があって、スカウトの進級に必要な「宗教章」取得のための研修会や全国各地、世界各地で行われるジャンボリーでの宗教礼拝を行うなどのとりくみを行っている。1974年4月、私も曹洞宗宗務庁(曹洞宗本部事務所)に奉職して間もない時期の数年間、この協議会の事務局をしていた。当時、宗務庁内の組織改革があったのだが、私が配属される直前まで曹洞宗布教部に「青少年課」というセクションもあった。ボーイ・ガールスカウト活動、夏休みの子どもたちを対象にした「緑陰禅のつどい」などを運営、活動するための技能を持つ青少年教化員という資格者を養成、活動を支援するなどしていた。しかし今日では、少子化や子どもたちを取りまく環境の変化などによって、スカウト活動も低迷し、禅のつどいの開催や日曜学校活動なども以前と比べて非常に少なくなって来ているようだ。また、近年、少子化のため全国各地で寺院住職が携わって来た幼稚園や保育園の閉園が相次いでいると聞く。
 今年2月下旬に開催された曹洞宗の定例議会で教団の規則や規程の変更が行われた際、「青少年教化員」という名称が「教化指導員」に変えられた。青少年教化員に任命されても、僧侶、住職として青少年対象に寺院内外で活動する場、機会がほとんど無くなってしまったためだろうと思う。
 今月の18日に先代住職・柚木能宣大和尚の一周忌を迎える。先代の遺品、就中、夥しい冊数の各種記録ファイル、蔵書などの整理をしている中で、「品川区伊藤国民学校 東雲寺疎開児童寮歌」と「東雲寺日曜学園 志のゝめ音頭」という楽譜を見つけた。いずれも「作詩 柚木能宣」とあった。「志のゝめ」は「東雲(しののめ)」のことだろう。寮歌は後述する「駒大児教」で活動していた時期、音頭は楽譜の右上に昭和23年4月13日とあるから、たぶん南多摩郡南村立南第二小学校の代用教員になりたてのころと思われる。先代は子どもたちに対する教化、教育に強い関心を持っていた。
 先代は戦中戦後の駒澤大学学生時代、児童教育部(内外から「駒大児教」と呼ばれた名門クラブ)に所属し、世田谷区の常徳院や横浜市鶴見区の大本山總持寺の日曜学校を担当、子どもたちとともに遊び、学び、仏教の教えを伝える活動をしていた。夏期の巡回伝道では全国各地へ部員数人で班を組んで出かけ、人形劇や舞踊、童話、ゲームなどを通して伝道活動を行った。
 先代が青春を捧げた駒大児教も2012年3月に廃部、約百年の活動に幕を閉じている。



2018.06.03 Sunday 22:25
住職雑感 comments(0)
1/17PAGES >>