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小野路の東光寺さま開山歴住塔開眼

 

 町田市小野路の長谷山東光寺ご住職から開山歴住塔(多宝塔)の開眼を依頼され、11月1日(金)15時より関係者参列のもと開眼法要を修行しました。

 東光寺さまの17世住職が、東雲寺の先々代住職、東雲寺十九世大豊祖岳大和尚(柚木祖岳)というご縁があり、20年ほど前に先代秋芳能宣大和尚(柚木能宣)が東光寺さまの大梵鐘撞き初め式を勤めさせていただいたことがありました(写真左上に鐘楼堂が見える)。

 今回、東光寺さま開創830年式典(11月4日)に先立ち、拙僧が出仕、開山歴住塔開眼法要を修行させていただきました。

 

 

 



2019.11.01 Friday 22:09
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まもなく東雲寺寄席です

 

11月4日(月)13時開場、13時半開演。

有り難いことに9月20日には大入り満員、札止めになっています。

今年の東雲寺寄席の楽屋入り口には、柳家さん喬師匠からいただいた手ぬぐいを使って、住職と娘K子とが合作、手作りしたのれんをかける予定です。



2019.10.29 Tuesday 10:05
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昭和薬科大学実験動物慰霊法要

 

 

 

10月9日12時から昭和薬科大学(町田市東玉川学園)において、理事長先生、学長先生はじめ多くの教職員の皆さんや学生さんたちが列席、献花して実験動物慰霊法要を修行しました。



2019.10.12 Saturday 07:42
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二本松の提灯祭

 

亡き父母の墓参で福島県二本松市を訪れました。

提灯祭の最終日、10月7日21時過ぎ、今年最後の若宮、松岡、本町、亀谷の四町合同の太鼓台引き回しを観ることができました。



2019.10.12 Saturday 07:29
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彼岸花がようやく咲きました

 

一週間くらい遅れて彼岸明けに彼岸花が咲きました。

毎年、東雲寺の境内では、ちょうどお彼岸に咲いていた彼岸花。

自然の不思議に感心していたのですが、今年はやはり猛暑の夏から9月下旬になっても30度を越える日があったりして、彼岸花が咲くスイッチを狂わせたのだろうと思います。



2019.09.27 Friday 19:08
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台風15号の暴風による倒木で地蔵尊倒壊

 

 

 

 9月8日深夜から9日早朝にかけて、猛烈な風の台風15号が関東地方を縦断しました。

 9日早朝、小雨の中、本堂内外、境内、墓地を巡回、点検してみると、参道の樹齢60年以上の桜の大木が倒れて参道をふさいでおり、その桜が倒れた際に等身大(高さ158僉砲里地蔵さま(享保12〈1727〉年7月建立)にあたり、お地蔵さまが台座から倒れ落ちて一部破損してしまいました。

 東雲寺墓地でも5カ所のお檀家さんの墓地で暴風によって塔婆が煽られ、塔婆立てごと倒れており、さらにその塔婆立てが倒壊する際に隣接墓地の墓誌に当たり、墓誌が半分に割れているところもありました。

 朝課(朝の勤行)の前に造園業のお檀家さんへ、参道をふさぎ通行止めにしている倒木の除去をメールで依頼。朝の段階で現場を見て頂いて、クレーン車を持って来ていただいて午前中にかたづけていただきました。

 お地蔵さまや塔婆立ては、石材店に連絡、お昼ころに現場を見ていただき、修繕方法や見積をお願いしました。お地蔵さまは何とか秋彼岸の前に修復するようお願いしたところです。



2019.09.10 Tuesday 12:19
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百日紅がようやく開花しました

 

 東雲寺の客殿前の百日紅は8月下旬まで、ずうっと緑のままで、花が咲きませんでした。どうしたのか心配でした。7月末まで続いた長い梅雨で、低温が続き、日照時間がほとんどないような毎日でした。8月に入ると一転して毎日35度を超えるような猛暑続き、という天候のせいかなとも思いましたが、成瀬のあちこちの百日紅は8月初めには見ごろとなっていました。

 どういうわけか分かりませんが、東雲寺の客殿前の百日紅の花は9月になって開花しました。



2019.09.03 Tuesday 12:28
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アジサイの美しさが写真では伝えられません

 

 朝方、庭掃除をしていて、ふと目にしたアジサイがとてもきれいで、家にもどってカメラを手にし、何度か撮影しました。残念ながら目で見た美しいアジサイの色を撮影できませんでした。



2019.06.30 Sunday 21:40
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仏教興起時のヴァルナについて(その3)

 仏教興起時代のヴァルナについて確かめたいことがあって、古代インドの歴史や原始仏教などの書籍、いくつかの仏教辞典類などに目を通したが、〈答え〉を見つけることができなかった。ヴァルナとは「ヒンドゥー教社会を四層の種姓に分割する宗教的身分制度である。共同体の単位であるジャーティも併せ、カーストと総称される。上位からバラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王族)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(隷民)の身分が存在」するとされる。(ウィキペディア、括弧内は柚木)


 すでに報告の通り、折々にご指導いただいている門馬幸夫先生(駿河台大学名誉教授、宗教社会学、東京都人権啓発センター委員)に仏教興起時代のヴァルナなどについてお尋ねしたところ、親切なお手紙をいただいた。その中で堀晄著『古代インド文明の謎』(吉川弘文館、2008年)や山口瑞鳳著『評説 インド仏教哲学史』(岩波書店、2010年)を紹介くださった。両書とも私の疑問に対する応答の範囲を超えたところに記されていたものだったが、非常に興味深く感じたので、早速取り寄せ『評説 インド仏教哲学史』の方は座右において味読し続けている。『古代インド文明の謎』の方は入手してすぐに読み終えた。このとき気になったところにポストイットを貼りながら読んだので、以下にその気になった箇所のいくつかを以下に紹介したい。

 

 インド文明史は、アーリヤ人の侵入という全く証明もされていない呪縛思想によって無惨な姿を呈していると、私には思えてならない。アーリや人が南ロシアから中央アジアを通って侵入し、インダス文化を滅ぼしたという威勢の良い説、あるいはインダスの退潮期に入り込んできたという折衷案が提示されてきたが、その根拠は言語学の仮説以外には何もないのである。言語の伝播は人間集団の移動を前提にするものでは決してない。政治的、経済的さまざまな要因が絡んでおり、単純な民族移動説は一九世紀の遺物に他ならない。(74頁)

 

 古代インド史に必ず記されているアーリヤ人の侵入が確かなことではないというのである。

 

 青銅器時代後期から初期鉄器時代の中央アジアには、他地域から侵入して在地の文化を圧倒した集団、あるいは文化は認められないであろう。青銅器時代前期、中期、あるいは金石併用期に遡っても、この状況は変わらない。インド・アーリヤ語族、あるいはインド・イラン語族の大規模な民族移動があったという仮説は、考古学的には支持するに足る証拠は全くない。しかし、歴史時代初頭のイランから北インドの住民がイラン系とインド系の人々だったことは間違いない。とすれば、人々の移動は青銅器時代や金石併用期時代以前、すなわち新石器時代に求めざるを得ないのである。(105頁)

 

 古代インドにアーリヤ人の大移動・侵入の証拠がないというのである。さらに遺伝子調査による新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)の拡散に関する記述の中には次のような一文があった。

 

(前略)の波は後期旧石器時代末期の拡散に関連しているのだろうが、北ヨーロッパ、中央アジア、南アジア、北アフリカに同じタイプの人類が分布しているということは、黒人、白人、黄色人種などという人種分類は無意味であることを示唆している。肌の色は紫外線の強度に対する適応にすぎず、遷移的な分布を示すのである(ジャブロンスキー他 二〇〇五)。また、時間的にも一万年程度でこのような変化が起きてしまう表面的な現象にすぎないのである。
 この遺伝子分布地図によれば、北インドも南インドも同じタイプの人類が分布し、バルチスタン以西のイラン系のタイプとは一線を画していることが注目されよう。南インドには肌の黒いドラビダ系民族、北インドには肌の白いアーリア系民族が住んでいると一般には説明されているが、それらは肌色の傾向の違いにすぎず、遺伝子的には同じタイプに属していると考えられるのである。(35頁)

 

 これは侵入者と駆逐された人とが同じタイプに属するという、古代インド史の〈常識〉を覆す説である。



2019.06.04 Tuesday 21:46
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仏教興起時代のヴァルナについて(その2)

 最古の仏典『スッタニパータ』を学ぶため購入した宮坂宥勝訳『ブッダの教え スッタニパータ』(法蔵館、2002年)の「序文  最初期の仏教について」の中の「チャンダーラ」に関する記述に疑問を感じ、識者の方に手紙を差し上げご指導を仰いだ。
なお、「チャンダーラ」は「旃陀羅」と音写されて、中村元他編『岩波仏教辞典』では次のように解説されている。

 

旃陀羅 サンスクリット原語(スペル略)チャンダーラに相当する音写。インドの社会で最下層に属する身分をいう。上位の階層から触れるべからざるものとして差別され、不可触民と称された。古代の『マヌ法典』によれば、首陀羅出身の父と婆羅門出身の母との間に生まれた混血種をいい、四姓の外に落とされた。(後略)

 

 この「旃陀羅」については、経典や祖録、差別戒名などに存在しており、人権確立・差別撤廃にとりくむ人たちから曹洞宗はじめ各仏教教団が厳しく問われ、見解を求められて来た問題である。この問題などへの曹洞宗教団のとりくみの中で指導的立場でご尽力いただいた先生のお一人、奈良康明先生(1929〜2017年、台東区法清寺住職、駒澤大学総長、大本山永平寺西堂などを歴任)がもしご存命であればインド仏教文化史がご専門だった先生に真っ先にお教えを願ったところだが、残念ながらすでに遷化されており、それが叶わない。
 奈良先生とともに曹洞宗教団の人権・差別問題へのとりくみに尽力された門馬幸夫先生(駿河台大学名誉教授、宗教社会学、東京都人権啓発センター委員)に手紙を差し上げると数日後に返信を頂戴した。門馬先生は部落解放同盟栃木県連合会の和田献一氏らが永年とりくんでおられるインドのダリット(いわゆる四姓外の不可触民とされている被差別民)自立支援プログラムの活動で何度か現地を訪れている方である。

 

  書面を拝見しました。
  この件に関しましては、専門知識を持っていないため、以下の(目下の)考えはまったく小生の推測に基づくもので、詳しくは、やはり然るべき専門家にお伺いしたほうが確実と思われます。
  小生の考え
  宮坂宥勝氏の「種族の分類」の項の記述は、氏独自の見方の「分類」と思われますが、氏が他の文献から整理して記述した可能性もあります。
  が、小生のつたない管見の範囲では、「種族」(通常は英語文献も含め「部族・tribe」と記述が一般的です)と記述し、「部族」をこのように三分類にして記述する事例を小生はほとんど、知りません。
  これは、ポスト・ヴェーダー時代(仏教成立時代、前600年〜前320年頃)のアーリヤ人(アーリヤ系文化を奉じアーリヤと自称する民族)が農耕社会を築いた、とすることから、そのように分類した可能性もあります。
  ただし、以下のような書物では、そのような分類は出てきません。
 
      山崎元一『古代インド社会の研究』刀水書房、1986年
      コーサンビー著、山崎利男訳『インド古代史』岩波書店、1966年
      辻 直四郎責任編集『インド 悠久なる文化の全貌』名著普及会、1943年
     
   なお、「インド・アーリヤ人」(の東進)という考え方についても、現在は、それが言語学上の一仮説であり、考古学的・オリエント学・歴史学上では、いまだ証明されておらず、疑問視もされています。
    堀 晄(あきら)『古代インド文明の謎』吉川弘文館、2008年 (以下、古いインド思想、インド部族の宗教に関する文献を中略)
   以上、とりいそぎ、管見のかぎり、瞥見してみました。ご寛容を。

 

 というお手紙だった。そしてお手紙をいただいた日の夜、さらにお電話をいただきご親切な助言指導を頂戴した。特にアーリヤ人の東進が考古学的には確認されていないということや『スッタニパータ』よりも山口瑞鳳先生の『評説 インド仏教哲学史』(岩波書店)を読んではどうかなど、たいへん有益なお話しをお聞きすることができた。(つづく)



2019.05.21 Tuesday 08:17
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