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あらゆる差別は差別する側の問題である

  3月5日夕刻、東京都港区芝の曹洞宗宗務庁(教団の本部事務所)において全国曹洞宗人権擁護推進主事研修会で話しをさせていただいた。
  事務局からの依頼内容は、1979(昭和54)年9月に起きた「第3回世界宗教者平和会議差別発言事件」をきっかけに、遅ればせながら曹洞宗が人権確立・差別撤廃のとりくみを始めたのだが、その当初の状況について報告し、そもそも部落差別の問題とは何かとか忌避意識などについても触れてほしいということだった。
  件の差別発言事件というのは、平和や人権について話し合う宗教者の国際会議において、部落問題について取り上げられたときに、日本の代表者の一人、町田宗夫師(故人。当時、曹洞宗宗務総長・全日本仏教会理事長)が「日本の部落問題は今はない」「部落問題、部落解放を理由に騒ごうとしている人がいるだけ」「百年前にそういう制度があったから、感情的に幾分残ったものがないではないが、誰も差別していない」などの発言を繰り返し、会議録から部落問題に関わる文字を削除させてしまった事件である。
  40年ほど前の事件やその後に関するあやふやになっていた記憶をはっきりさせるため、1990年ころにまとめておいた資料を引っ張りだし、当時の業界紙をはじめ新聞報道やさまざまな資料、拙(わたし)の私的な記録などを改めて読みながら、記憶を取り戻す作業を行い、話の大まかな構成を作り上げた。その上で部落問題とは何かとか忌避意識などについて、数冊の書籍などを参照しながらレジュメ作りを始めた。
 限られた時間の中で部落問題について正確な情報を伝える必要があり、適当な解説がないか調べたが、手もとの十数冊の書籍には部落差別のさまざまな事例、たとえば結婚差別や就職差別などを紹介するものが多く、〈定義〉を述べるようなものがなかった。そこで『部落問題・人権事典』(部落解放・人権研究所編、2001年新訂版)を見てみると次のような解説があった。

 

 (前略)現在、法律や制度あるいは社会的身分のうえで、部落あるいは部落民というものは存在しない。また日本国憲法14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的・経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定し、「法の下の平等」を謳っている。したがって、今日の社会において、部落差別はありえない。しかし、そのありえないものが、現実に厳然として存在していることは、またまぎれもない事実である。明治維新により封建制が解体し、日本が近代国家になってから、具体的には明治4年(1871)8月28日の太政官布告、いわゆる「解放令」以来、前述のごとく、法的・制度的には部落に対する身分上の差別扱いは表面的・形式的には消滅した。したがって部落および部落の人々を計数することは、そもそも本質的に疑点がある。また法的、制度的には部落は存在しないのであるから、ここを部落だと指定しあるいは判定することは何びとにもできないことである。だが、事実上、誤れる社会的通念と偏見によって、長い間部落とみなされてきた所、そして現にそうみなされている所が部落そのものであり、そしてそのいわゆる部落に生まれ、部落に育ち、現に部落に住む人々、また近年に部落に流入してきた人々、あるいは部落外に居住していても近い過去に部落と血縁的つながりをもつ人々が部落民とみなされているのが現状である。(後略)

 

  これは部落解放研究所(当時)の初代理事長・原田伴彦氏、二代目理事長・村越末男氏(いずれも故人)の解説である。これを読んでいて、町田師の発言は部落問題をとりまく状況のタテマエを言ったもので、残念ながら現実に厳然として存在する部落差別を「ないもの」にしようとした差別発言だったことを改めて確認できた。そして、部落差別をはじめあらゆる差別が、被差別者側の何らかの〈理由〉で差別される問題ではなく、差別者側が誤れる社会的通念と偏見によって差別している問題だということをも、改めて確信した。



2019.03.18 Monday 12:44
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