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『小田原史談』連載の西岡逾明小伝を読む
 東雲寺本堂「室中(脇間)」の襖(ふすま。現在は屏風に表具し直している)に『七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)』を揮毫した西岡逾明について調べている過程で、神奈川県小田原市の小田原史談会(以下、史談会)の季刊誌『小田原史談』に直江博子氏の「西岡逾明  ある文人司法官の生涯」という論考があることを知った。5月20日、史談会に手紙を差し上げ、その論考を拝読したいとお願いをしたところ、6月8日に史談会会長・平倉正氏から丁寧なお手紙を添えて当該論考が連載された『小田原史談』(212〜5、7、8号。2008、9年)の六冊をお送りいただいた。
 当該論考の筆者・直江博子氏は西岡逾明の六代後のご子孫とのことである。直江氏によると逾明は「ゆうめい」と読むそうだ。逾明は、佐賀藩の典医・西岡春益の長子で、1835(天保6)生まれ、1912(大正元)年殁。以下に当該論考によって逾明の略歴を記す。
 逾明が生を享けた佐賀藩は教育熱心な藩で、藩士の子弟全員を6、7歳で藩校弘道館に就学させ、25、6歳で卒業、さらに国内外へ遊学もさせた。弘道館から江藤新平、大隈重信などといった多くの逸材を輩出している。
 逾明もこの藩校で教育を受け、万延・文久年間に父親とともに京・大阪に遊学した。このころは、幕府側(新撰組など)・反幕勢力が京の都などで争っていた時期で、医師の逾明は負傷者であれば誰彼かまわず治療し助けた。そのため幕府役人から疑いをかけられ、佐賀藩に帰る。
 明治元年、羽州出張中(柚木注・戊辰戦争に従軍か?)に軍監、木戸孝允の推薦で酒田県の権知事(現・山形県酒田市)、さらに東京府参事、東京府権大参事となる。
 次いで逾明は、左院の議官(立法府の官選議員)となって、日本の法律制度について議論。ヨーロッパの先進国の議事・立法機関等についての調査を命ぜられ、明治5年1月27日に横浜港出港、3月19日にフランスのパリに到着。パリで統計学・経済学者のモーリス・ブロック博士に師事。
 11月16日、右大臣・岩倉具視を特命全権大使とする岩倉遣外使節団がパリに到着。翌年2月17日まで逾明らと合流。この間、使節団副使・木戸孝允と逾明とは20回も会っている(木戸日記)。
 逾明が記したブロック博士の講義ノート数冊を木戸が読み、木戸、岩倉がブロック博士と相次いで面会。民選議員や民選裁判官などへの「急速な開化には注意を」という助言を受ける。このことによって明治政府の方針が修正される。
 明治6年9月5日に帰国。明治8年、判事に任ぜられ、大審院(現在の最高裁判所)判事をつとめ、転勤先の宮城、長崎、函館では各控訴院(現在の高等裁判所)の院長を務め、従三位勲三等に叙せられる。明治26年11月に病のため休職。
  晩年は、自分の娘や孫娘が小田原にいたからか、小田原に別宅を持ち、風光、文墨を友とし、朋友・家人・親戚と親しく交わった。小田原市久野の東泉院住職・富仙秀岳と交流、禅を談じた。逾明の客好き、話好きは父親譲りだったという。書を書き、漢詩を詠み、書物に囲まれ過ごした。能楽にも造詣が深かった。
 「神奈川県立第二中学校」と、板に書いたものが県立第二中学校(現・小田原高校)の正門に掲げられていたが、それは雄渾で立派な字だった。
 明治44年12月26日午前零時半、第二中学校物置から出火、本校舎一棟、付属建物三棟などを焼失。この冬は特に寒かった。その中で校舎再建などのために奔走した逾明は、とうとう病床に伏すこととなり、二中の火事から約一年後、大正元年12月23日に逝去した。享年78歳。
  教育に関しては最後まで情熱を傾け生き抜いた。逾明には信念があった。人間にとって教育こそがまさに大切なもので、教育を受けていないものは、法の網をかいくぐっても恥であるとは思わない。だから教育の力を当てにするのでなければ、日本の隆盛を望むべくもないというものだ。
 小田原市早川の海蔵寺に逾明夫妻の墓がある。正面に「判事従三位勲二等西岡逾明・配喜勢子墓」、左側に略歴を記した約八百字の碑文がある。
 


2012.06.19 Tuesday 17:21
東雲寺あれこれ comments(2)
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2024.03.15 Friday 17:21
- -
comment
管理者の承認待ちコメントです。
- 2020/02/28 11:01 PM
お世話になっております。
久しぶりにブログを拝見すると、以前に私がほろ酔い加減で書き込んだメールが目に入りました。読んでいて恥ずかしい内容でもあり、本名まで書きこんでいたので、誠に勝手な申し出ですが、できれば削除していただけないでしょうか。

その代わりと言ってはなんですが。
「このたび西岡逾明のwikiを作りました。まだ仮の状態で、これから注釈等作りこんでいかなくてはならないですが、仕事との兼ね合いもありなかなかはかどりませんね。間違い等に気づかれた方は修正してください。場所は「佐賀藩」→「主な藩関係者・出身人物」→「西岡逾明」です。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E9%80%BE%E6%98%8E)」
※勝手ながら、貴ブログのリンクを張らせていただいています。あと「ゆうめい」と読む注釈としても取り上げさせて頂いています。もし問題があれば削除いたしますので、ご連絡お願いいたします。
microdisny 2021/07/16 8:48 PM




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