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高齢化多死社会 弔われない死者

 今年11月に都内のホテルで関東地方の曹洞宗寺院住職など有志の集会の予定があり、その中で将来の寺院住職のあるべき姿について考えるシンポジウムが計画されている。その準備のため、意見発表を願う専門家数人から予め話を聴く学習会が随時行われて来た。3月初めの第四回学習会では永平寺東京別院長谷会館会議室において『月刊住職』編集発行人・矢澤澄道師のお話を伺った。現代社会の問題について考えさせられることが多かったので、その概要(文責・柚木)を以下に紹介したい。

 

 今日の日本の状況を見る上で重要な視点のひとつが「多死社会」ということだ。

 2017年の推定年間死者数は130万人。過去を探ってみると明治40年ころから、ずうっと年間死者数100万人が続いていた。昭和23年ころから減り始め、一時期60万人ぐらいまでになり、60〜70万人で推移して来た。平成元年に80万人、平成14年に90万人余。来る2040年の166.8万人がピークで、22世紀になっても100万人を越える死者が出ると推計されている。100人に1人が亡くなるとされる時代が間もなく来る。
 ただし、過去と現在では異なる点がある。現在は「多死社会」であり「高齢化」が進んでいるということだ。たとえば大正時代も「多死社会」だったが、「高齢化」社会ではなかった。平成28年版『高齢社会白書』の「高齢化の現状と将来像」という図表を見ると、昭和25年には、高齢者1人に対して12人の現役世代がいた。平成27年には高齢者1人に対し現役世代は2.3人で、将来的には1人しかいない状態になるという。
 これはどういうことかというと、死者が多くても葬儀を営む側の人が少ないということだ。つまり1人では葬儀費用などを負担できないという経済的な問題、家族や親族がいないという人的問題によって「葬られない・弔われない死者」が出て来る。これは個人の問題に止まらず、社会で対応すべき問題になるだろうから、当然、社会保障としての葬送という問題が起きて来る。そのときの一番の接点は寺院ではなく、自治体だ。自治体が「葬られない・弔われない死者」にどのような形で対応するかが大きな問題となる。毎年、引き取り手のない遺骨が全国で約4000体、東京都内で180体ほどある。
 横須賀市が「エンディングプラン・サポート事業」ということを始めている。日本社会では親族が葬送義務者なのだが、親族がいない場合、自治体の長が葬送を行わなければならない。その場合、「親族がいない」ということを確定しなければならず、それはとても時間がかかる。そこで予め一人暮らしで身寄りのない人、月収16万円以下、貯金100万円以下、不動産を所持していないという条件の人を対象に希望者を募り、登録制度を作った。常時、登録カードを所持、万が一の時には、市と契約を結んでいる葬儀社が葬儀を行い、市営霊園または協力寺院の無縁塔に納骨するというものだ。
 これから団塊世代が亡くなる。多くは生活困窮者ではない。富裕者でも孤独死する。父母や連れ合いなどの介護をし終わったとき、家族は誰も面倒を見てくれない、絶縁状態のような状況も想像される。そのとき、自分の死をどのように迎えられるか。〈私〉たちは孤独死を覚悟しなければならない。そういう時代になっている。
 社会保障としての葬儀を寺院が引き受けるとすると葬儀件数が格段に増えるが、都市部に寺院が少ないため、住職は過労の状態になる。『宗教年鑑』によると平成25年末時点で、神奈川県で4791人に一ヵ寺、東京都で4629人に一ヵ寺。その反対に福井県は470人に一ヵ寺、富山県が673人に一ヵ寺だ。寺院が多く、一ヵ寺あたりの人口が少ない県ほど「幸福度」が高く、逆比例している。社会の安定のため、人心の安穏のため、寺院が必要ということを社会に対して訴える必要もあるだろう。

 

  何もかも普段は考えないようなことばかりだ。が、〈私〉たちも考えなければならないことのようだ。 



2017.05.12 Friday 10:18
住職雑感 comments(0)
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2018.05.21 Monday 10:18
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