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『初期仏教 ブッダの思想をたどる』を読む
10月から東雲寺仏教講座を再開する。「『法句経』を読む」の第八回目になる。
ところで先月8月21日に馬場紀寿著『初期仏教 ブッダの思想をたどる』(岩波新書)が出版された。書名を見て『法句経』を読み進める上で有益だろうと思い購入した。 読み進めて行く中で興味深く衝撃的なことがらがあったので、本書の第2章「初期仏典のなりたち」から、それらのいくつかを紹介したい。
恒久財産にもとづく「僧院」は遅くとも紀元前一世紀に成立し、時代が下るにつれて、その数を増していった。一年を通じて千人規模の出家者が生活できる大僧院がしだいに現れ、ナーランダ僧院やヴィクラマシーラ僧院といった有名な学問寺が成立していくこととなる。 出家教団のこうした組織化は、教えの伝承にも変化をもたらすことになった。 出家者が基本的に遊行している限りは、仏典を文字に書き写しても、写本を持って歩かなければならなくなるから、かえって不便である。しかし、恒常的に運営される僧院があれば、そこに写本を置いておけば、管理者が保管し、希望者が閲覧できるようになる。そのような僧院の誕生は、口頭伝承だった仏典の書写を促す重要な契機になったと考えられる。 (48頁)
遊行しているときには経典を持ち歩くより口頭伝承の方が便利。なるほどなるほど。
古代インドでは、中東や中国と比べて、文字の成立が遅かったと考えられる。インダス文明に文字があったかどうかはまだ結論に達しておらず、今日確認されているインド最古の文字資料は上述のアショーカ王碑文だから、確実に文字が成立していたと言える時代は紀元前三世紀まで下る。(51頁)
文字がなかったため、お釈迦さま在世時から二、三百年間は口頭伝承せざるを得なかったということらしい。
確かに、聞き手に応じ、内容を変えて伝承していたと考える場合、初期仏典は、音楽に喩えるなら、クラシックよりも、演奏のたびに大胆なアレンジがあるジャズのようなものだったことになる。実際、ガンダーラ写本では、同じ仏典が書写されていても、その内容が異なる例が報告されている。また、パーリ語とサンスクリット語と漢訳との間で同じ仏典が大きく異なる例はいくつも指摘できる。(55頁)
インドには一字一句違わないように口頭伝承されるヴェーダ文化があり、お釈迦さまの教えも一字一句違わない伝承もされていたが、そのほかに、こうしたジャズ的な教えの口頭伝承もあったというのである。 韻文仏典のなかには紀元前に成立したものが含まれているが、元来、結集仏典としての権威をもたず、その外部で伝承されていたのである。
結集(仏典編集会議)で共に唱え、お釈迦さまの教えを確認したものが伝えられ、後に経・律・論の三蔵になったが、『法句経』などの小部の韻文経典は当初含まれておらず、遅れて編入されたという。 スポンサーサイト
2019.02.18 Monday 22:15
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