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<< 晩秋の東雲寺 main 「スッタニパータ」を読み始めました >>
東雲寺六世朝庵が釈迦像を彫刻して板橋区西台圓福寺に奉納

武州多摩郡成瀬村東雲寺六世朝菴叟退耕日久
而時々彫刻佛像以消閑耳予時求惠心之作之御首
而久重秘之頃圓福天巖師要用此御首而更憑予
拙工全身相而為本尊予好其願根不抜之志而手
親成拈花之聖像以奉納西臺山然其漆布粧飾
之料圓福之師檀戮力贖之也於于茲徹見疇昔
靈山會上之巍々拈花形容蕩々附法盛事恰如嚴然
明歴在于目中焉吁何堪歓躍之情乎哉因賦一章
以記其事跡云尒
朝菴彫刻釋迦文 御首用源心工巧勲
欽納西臺圓福寺 師檀贖費各随分
享保改元丙申冬十一月穀旦朝菴六十三歳欽記

 

   冒頭から漢字の羅列で驚かれたかと思う。これは板橋区西台三丁目にある圓福寺さまのご本尊さまを修復した際に仏像の中から発見された「胎内文書」である。11月20日(水)昼過ぎに圓福寺ご住職・森正春さまからお電話があり、胎内文書に「武州多摩郡成瀬村東雲寺」とあるので、町田市の東雲寺ではないかと思って電話をした。「六世朝菴」という人物が東雲寺の歴代住職の中におられるかとのお問い合わせだった。私が東雲寺の六世は朝庵隠市という方だとお応えした。その上で東雲寺は江戸期と明治初めの二度火災に遭っており、古い史料が残っていないので、ぜひその文書を見せてほしいとお願いした。するとご親切に、すぐにFAXで当該文書ばかりか、それを活字にしたもの、さらに文書内に使用されている語句の解説や意訳まで送信いただいた。
 この東雲寺六世朝庵隠市という住職については『東雲寺史余話』(2018年刊)に記しているのだが、2010(平成22)年春に東雲寺開山明岩宗珠大和尚のお像を修復した際に見つかった胎内文書にその名を遺している住職である。開山像の胎内に古紙に包まれた木札が二枚あり、

その内の一枚の表面に

 

元禄八乙亥歳十一月朔日
明巖和尚之尊像新造
武州多摩郡成瀬村東雲寺第

 

裏面に

 

六世朝庵隠市叟代
佛師者江城大佛師大貮
法橋宗慶刻彫之

 

とあった。
 今回のは圓福寺さまのご本尊の胎内文書で、これもまた、朝庵自身が記したもののようだ。二つの文書が記された年月日を見てみると、元禄乙亥八年は1695年、享保改元丙申年は1716年で、この20余年の間に朝庵は住職を退き、圓福寺の文書を書いたときに63歳になっていたということである。
 圓福寺のご住職から頂戴した「意訳」を参考にして文書を読み解くと、朝庵が東雲寺住職を退き隠居して久しく経ち、時々退屈しのぎに仏像を彫刻していた。時に朝庵が恵心(恵心僧都源信。平安時代中期の天台宗の僧、『往生要集』の著者)の作とされる仏頭を入手し、それを永く秘蔵していた。圓福寺の天巖さま(圓福寺九世天巖雲理)が仏頭の力を必要として、朝庵が彫刻した仏像の全身と合わせて圓福寺の本尊さまにしたいと求めて来た。朝庵はその願いを容れ、気を抜かず心を込めて拈花の聖像を彫刻し、西台山圓福寺さまに奉納した。
   この「拈花の聖像」とは、インドの霊鷲山でお釈迦さまが説法の折、手にした花を黙って掲げ示したという伝承に因むもので、金波羅華を手にした釈迦像ということだろうか。さらに胎内文書の中で朝庵は続けて次のように言う。
  釈迦像の制作費や装飾品の費用は圓福寺のご住職や檀家さんたちの協力で賄われた。過去から今日までを見通すと、霊鷲山で伝えられた真理(仏教の教え)が盛んになるようにはっきりと感じられる。このような喜ばしい気持ちをどうして抑えておられようか。そこでこのことを詩偈(漢詩)にして後の世に伝えたい。


朝庵が釈迦像を彫刻
その仏頭は源信の名作
謹んで西台の圓福寺さまに奉納した
住職と檀家さんから過分なお礼を頂いた


 なぜ天巖さまが、恵心の仏頭を秘蔵する朝庵が仏像彫刻することを知ったのかなど、不明な点もあるが、朝庵隠市の新たな事績が分かった。



2019.12.04 Wednesday 15:59
東雲寺あれこれ comments(0)
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2020.01.27 Monday 15:59
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