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世はみな無常なり まさに勤めて精進せよ (仏遺教経)
 2月15日は、お釈迦さまご入滅の日、いわゆる「お命日」である。
 東雲寺では毎年2月になると本堂左側の壁面いっぱいに高さ3メートル、幅2メートルほどの涅槃図を掛け、お花やお灯明、お線香などをお供えしご供養申し上げる。そして2月15日には朝から数人の方にお手伝いをお願いし、赤白青黄色などのマーブル模様の涅槃ダンゴを作り、夜7時、その団子を涅槃図のお釈迦さまの前にお供えし、梅花講の皆さんと『仏遺教経』などを読誦、「大聖釈迦如来涅槃御和讃・御詠歌」をお唱えし、法話を行うなどの涅槃会法要を修行する。
 涅槃会に読まれる『仏遺教経』には、お亡くなりになる直前のお釈迦さまが、最後の説法をなさった情景が記されており、沙羅双樹の間においてお釈迦さまはお弟子たちに次のように教え諭しておられるのである。
 私の入滅の後には、「波羅提木叉(戒律)」を師として、よく戒を守り、身心を制して五欲を慎み、静寂を求めて坐禅修行し、真の智慧を身につけるようにしなさい、と。そして最後に「四諦」の教えに疑いのある人は早く質問するようにと三度お弟子たちに呼びかけられる。
 だが、お弟子たちは沈黙したままだった。
 それはお釈迦さまの四諦の教えについて、誰も疑いを持っていなかったからだし、お釈迦さまの容態を気遣いながらも、何を仰られるか、次の言葉を待っていたからだっただろう。
 すると、お釈迦さまの十大弟子の一人、天眼第一のアヌルッダが皆の心の中を観察して、四諦の教えは真理を説き尽くしていて、誰ひとり疑いを持つ者はいないと応えるのだった。
 「四諦」とは苦・集・滅・道の四つの真理のことで、仏教の根本的な教えの一つである。すなわち私たちの人生は四苦八苦などの苦しみに満ちているという真理【苦諦】。その苦の原因は煩悩や妄執などであるという真理【集諦】。その煩悩や妄執を滅することによって苦しみを滅することができるという真理【滅諦】。その方法として八つの正しい修行実践法 正見(正しい見解)・正思(正しい思惟)・正語(正しい言葉)・正業(正しい行い)・正命(正しい生活)・正精進(正しい努力)・正念(正しい心の落ち着き)・正定(正しい禅定)があり、これによって煩悩を滅した境界に至ることができるという真理【道諦】のことだ。
 また、苦諦にある四苦八苦とは生・老・病・死・愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)・怨憎会苦(憎い人と会う苦しみ)・求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)・五陰盛苦(現実を構成する五つの要素、迷いの世界に存在するすべてが苦しみ)のことだ。

 誰ひとり「四諦」の教えに疑いを持つ者はいなかったが、お釈迦さまは大いなる慈悲の心をもって最後の教えを説かれるのである。

 「私がこれまで説いて来た教えを皆が次々に伝え実践するならば、そこにこそ私は生き続けるのだ」
 「この世は無常であり、会うものは必ず離れるのだから、憂い悩むことなく精進努力して解脱を求め、智慧の光によって諸々の愚かさを滅せよ」

と、最後の教誨をお示し下さっている。

 『仏遺教経』と同旨の教えが説かれている原始経典『大般涅槃経』が、岩波文庫『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 』として出版されており、お釈迦さまのご入滅前後の様子、お教えについてより詳しく知ることができる。
 『ブッダ最後の旅』の第五章〔19、アーナンダの号泣〕には、晩年のお釈迦さまに25年間秘書役として仕えたアーナンダへの言葉として「わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。(中略)そのようなことわりは存在しない」
 とある。また、第六章〔23、臨終のことば〕には
 「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった」
 とある。
 涅槃会は、私たちが仏教信仰の原点に立ち返るときである。


2009.02.16 Monday 14:45
東雲寺あれこれ comments(0)
道元禅師さまは「あるがまま」などと本当に仰ったのか?
 現在、映画『禅 ZEN』が全国各地の劇場で公開中である。道元禅師のご生涯や「教え」の映像化を試みた作品だ。主役の道元禅師を歌舞伎界の新鋭・中村勘太郎が演じ、監督・脚本が高橋伴明、原作は大谷哲夫『永平の風 道元の生涯』(文芸社、2001年)である。
 映画の冒頭、24歳の道元禅師が、正しい仏教の教え、真の師を求めて渡航した宋の国(当時の中国)で、中国語を駆使して問答する姿があった。映画『武士の一分』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した笹野高史が、中国の禅僧として道元禅師に修行とは何かを教え諭す典座(禅寺の台所主任の僧)役を好演していた。
 考えれてみれば、道元禅師は中国に渡られたわけで、「留学」先の言葉で会話されただろうことは容易に想像できるのだが、私はこの映画を見て、なるほどこういうことだったのかと、改めて道元禅師のご苦労に思いを馳せた次第である。
 これまでに映画を見たお檀家の方々や坐禅会の皆さん方などからは、おおむね「良い映画だった」という感想が寄せられている。
 ただ私は、中村勘太郎の演じる道元禅師が、印象的なシーンで「あるがまま、あるがまま」という台詞を口にし、またこの映画のキャッチコピーも「喜びも苦しみも涙も・・・・。あるがままに。」となっていることなどについて、こんな言葉でまとめることができるような「教え」を、本当に道元禅師はお説きになっていただろうかと、強い違和感を覚えた。
 1月23日夕刻、横浜市神奈川区の宗興寺へ、中野重哉ご住職にお願いごとがあってお伺いした次いで、中野師とともに相鉄線「上星川」駅前の「花しん」さんを訪ねた。少し前にご到着の井桁碧先生(筑波学院大)、遅れて合流の門馬幸夫先生(駿河台大)にもご出席いただいて、峰岸孝哉先生の激励会(?)を行ったのである。昨年末に、峰岸先生が1月28日から入院療養されるという話を聞いていたからだった。
 しかし、とてもお元気そうな峰岸先生の姿に一同安堵して、いつの間にかいつもの談論風発の宴になってしまった。
 峰岸先生に映画『禅』のキャッチコピー「あるがまま」についてお訊ねすると、「君! 冗談じゃないよ」に始まり、道元禅師はたゆまぬ坐禅修行の中で仏国土実現をめざしておられたのであって、あるがままなどと言うわけがないなどと、いつもの《峰岸節》が始まった。井桁先生も、道元禅師はご自分の教えを「要するに〔あるがまま〕」というようなまとめ方をするような人ではなく、言説によって説明し尽くそうとされ続けた方だったとおっしゃられた。さらに門馬先生は先学の言説は行為であるという説を引きつつ議論しておられた。
 この「あるがまま」の他にも、映画の中で道元禅師の言葉として取り上げられている「眼横鼻直(がんのうびちょく)」は、実は道元禅師がもっとも厳しく批判した修行軽視の「本覚思想」の言葉なのである。取り立てて修行などしなくとも、草木はじめ何にでも誰にでも本より覚りが具わっているとして、現象として差別があっても本質において平等などと主張する。無批判に現状を肯定する考え方で、差別や矛盾に満ちた現実をも許容してしまう、極めて危険な思想なのである。
 春日佑芳先生が生前、病床にあってご教示下さったことだが、古い形をよく伝えている書写本の道元禅師の語録・門鶴本『道元和尚広録』(通称、祖山本『広録』)には「眼横鼻直」という言葉は見られないのに、他の人の手が加わった『永平元禅師語録』(通称「略録」)やこの「略録」をもとに江戸時代に校訂版行された卍山本『広録』には「眼横鼻直」「鼻直眼横」が出て来るのである。これは道元禅師を敬慕し、よかれと思って行われた校訂等が、結果的に改竄(?)になってしまった問題と言えるか。
 映画『禅』の原作者・大谷先生(駒澤大学総長)は『永平広録』などの研究者で、『祖山本「永平広録」』『卍山本「永平広録」』はじめ『道元「永平広録・上堂」選』(講談社学術文庫、2005年2月)、『道元「小参・法語・普勧坐禅儀」』(同 文庫、2006年6月)、『道元「永平広録・頌古」』(同 文庫、2007年11月)などの関係書籍を数多く出版しておられる。その大谷先生の監修の下で「あるがまま」や「眼横鼻直」を道元禅師の教えとして取り上げられたとは思えないのだが・・・。
 これらの経緯をご存じの方は、どうぞご教示ください。


2009.02.02 Monday 23:09
道元禅師の教え comments(3)
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