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早期の狭山事件の再審開始を願う
 今から47年前の1963(昭和38)年5月1日に埼玉県狭山市の高校一年の女子生徒が誘拐殺害された「狭山事件」で、部落差別にもとづく見込み捜査などで、同月23日に石川一雄さん(当時24歳)が逮捕された。誘導尋問や脅迫などの違法な取り調べで自白を強要され、「10年で出してやる」などという警察官の嘘の「約束」を鵜呑みにして、一審の裁判では「自白」を維持、その結果、死刑判決を受ける。
 この判決後、犯行を否認、無実を訴えるが、1974(昭和49)年10月31日、東京高等裁判所は「無期懲役」の判決を下し、さらに1977(昭和52)年8月9日に最高裁判所が上告棄却、「無期懲役」が確定、服役することになる。
 その後も獄中から冤罪を訴え、再審を求め続けるが、31年7ヵ月もの間、獄中につながれ、1994(平成6)年12月21日、ようやく石川さんの「仮出獄」が実現する。現在、石川さんは71歳で、元気に再審を訴え続けているが、両手には見えない手錠がかけられたままなのだ。
 こうしたことから、石川さんが逮捕された日の5月23日や無期懲役判決があった10月31日などには全国各地で弁護団や支援する市民による抗議と再審要求の集会が行われて来た。
 ただ今年は、昨年9月より始まった「狭山事件」の再審についての裁判官・検察官・弁護団による三者協議の第三回目が、5月13日に東京高等裁判所で開催されることから、三者協議の前日、5月12日に「狭山事件の再審を求める市民集会」が開催されることになっていた。
 5月12日、私は、10時〜13時45分までお檀家さんのご法事をお勤めした後、大急ぎでお寺に戻って着替え、タクシーと電車を乗り継いで、東京・千代田区の日比谷野外音楽堂へ向かった。14時から開催されているはずの「狭山事件の再審を求める市民集会」に、できれば少しでも出席し、その後のデモ行進に参加しようと思っていたからだった。
 しかし、内幸町駅に着いたのが15時20分過ぎで、市民集会(主催者発表、3000人参加)は、集会アピール、閉会挨拶、行動提起という本当に最後の最後のところで、残念ながら集会については、ほんとんど参加できなかった。
 「足利事件」で無罪を勝ち取った菅家利和さんや「布川事件」「袴田事件」の関係者の話が聞きたかったが、これには間に合わなかった。

 デモ行進の方は、「『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)」に加盟する仏教、キリスト教、諸宗教などの宗教者とともに参加。日比谷公園→数寄屋橋→東京駅前→常盤橋公園のコースを「再審開始」「全証拠開示」などを道行く人びとなどに訴えながら、約1時間ほどで全行程を歩くことができた。
 デモ行進の解散地点では、全国各地で「人権高座」を行っている噺家・露の新治師匠らと合流。さらに狭山事件をはじめ人権啓発映像作品を数多く手がけている大熊照夫監督や曹洞宗宗務庁の企画研修課長・衣笠晃暢師と待ち合わせ、デモ終了後に反省会を持った。

 話は変わるが、5月11日に「同宗連」第四期議長(1987年8月〜89年4月)を務められた吉井道樹師(新潟県新発田市東泉寺住職)が逝去された。師はたいへん穏やかな方で、67教団3連合体という多数の教団が、差別撤廃を目指して一つのテーブルについて取り組む「同宗連」の難しい舵取りに尽力された方だった。
 ちょうどその頃、曹洞宗内で多くの問題が惹起した時期で、吉井師は曹洞宗の人権部門の責任者でもあり、重大な問題を含む厳しいやりとりが行われた確認・糾弾会などでも、常に誠実な対応をされていた。師は宗門内外に大きな足跡を残された方だった。

   「狭山事件」再審要求運動にも取り組まれていた吉井師のお通夜が、三者協議が開催された13日夕刻、新発田市のお寺で営まれた。私も参列、焼香させていただいた。
 新聞報道等によると、13日の三者協議で検察側が取り調べ段階の録音テープなど、36点の新しい証拠を開示したという。弁護団はさらなる証拠の開示と、開示された証拠の精査を通して再審開始へ向け、矛盾点を指摘、真実を明らかにして行くとのことである。吉井師には私たちの再審要求の取り組みをお見守りいただきたいと思う。    合掌
 


2010.05.18 Tuesday 22:47
人権・平和・環境 comments(0)
東雲寺永代萬霊供養観世音菩薩建立
 4月30日午後、東雲寺境内墓地のほぼ中央に「永代萬霊供養」の観世音菩薩像(観音さま)が建立され、東堂(先代住職)はじめ有縁のご住職方や僧侶方にご荷担を願って、ご寄付下さるMさんとその義妹夫妻、東雲寺のお檀家さん方を代表して四人の総代さん、設計・施工をした石材店社長を招き、東雲寺寺族も参列して、観音さまの開眼供養の法要を修行した。

 実は近年、お檀家さんのそれぞれが、自分の家のお墓を守っていくということについて、とても気になるような状況が、徐々に増えて来ていると思われることがいくつかあった。

 たとえば姉弟でご先祖や両親のお墓をみていたが、弟さんが死去、残された姉から「私の死後、誰もお墓を見るものがいない、どうしたらいいか」という相談が寄せられた。
 また、母親が死去、母と二人暮らしだった子息が無事に葬儀を済ませたが、後にその親戚から彼は独身なので将来お墓はどうしたらいいのかというような話があった。
 さらに、時折、境内を散策に訪れるご近所の方や何人かのお檀家さんたちから、東雲寺でも永代供養のお墓を作ってほしいというような希望が寄せられていた。

 子宝に恵まれず後継者がいないため、お墓がほしいのだが、お寺や霊園で断られた。娘たちがみな他家に嫁いでしまって、家を継ぐものがない。子どもに先立たれた。離婚して独りになってしまった。独身を通して来た等など。自分の死後、誰もお墓を見てくれる人がいないという問題、お悩みである。相談に来られた方、永代供養を望まれる方々にとっては深刻な問題だ。
 しかし、はじめはそんな先のことを心配してもしょうがないですよ、まだまだ先のことではないですかなどと受け答えしていたのだが、昨年の春ころから何らかの対応をしなければならないと思うようになった。それは、墓地継承者がいないという問題は、個別の事情もあろうが、少子化、高齢化、産業構造や労働環境の変化、さらに長期間にわたる経済不況などの社会的な要因があって、結婚という形を選択しない人や独居の高齢者などが増え、この問題が起こっているのではないかと思うようになったからである。

 そこで東雲寺境内に永代萬霊供養の何かを作り、そうした問題でお悩みの方々のご要望にお応えし、少しでもお気持ちを和らげるようなことをさせていただこうと思った。
 その設置場所や規模、デザインなどについて検討するため、関係資料を集め、いくつかのお寺の永代供養墓などを視察した。
 その結果、納骨堂というよりは、どなたでもお参りできるお地蔵さまや観音さまがいいだろうと思った。ただ東雲寺には二百八十数年前に建立された等身大のお地蔵さまが参道石段脇に祀られているので、この度は観音さまをお迎えしようと考えた。

 昨年のお盆前後に石屋さんに計画を話し、相談に乗ってもらい、それに基づいたいくつかの案を作っていただいた。秋彼岸以降、計画の具体化に向け、まず檀徒総代会を開催して、総代さん方にご理解をいただいた。さらに成瀬の各地区代表の寺世話人さんたちにも永代供養の観音さまの建立計画を説明した。
 そうこうする中で、たまたまご縁があってMさんから亡き夫の菩提を弔うため、永代萬霊供養観音像の建立経費を寄進したいというお申し出があった。文字通り「有り難い」お話である。
 今年2月10日には、石屋さんの案内で、Mさんや義妹夫妻とともに茨城県桜川市真壁町の石材問屋街を訪ねた。三軒の問屋さんを回り、大小さまざまな観音像数十体を見て、その中でもっともお優しいお顔の、身丈四尺五寸の観音さまを選ばせていただいた。
 2月末から建立予定地の整地工事が始まり、3月に入ってからは基礎工事、そして台座となる地上納骨堂設置工事が行われた。4月8日の「花祭り」の日、すなわちお釈迦さまご生誕の日に、観音さまが東雲寺境内に運び込まれ、安置されたのである。
 そして4月30日、開眼供養の日を迎えた。
 


2010.05.18 Tuesday 22:39
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