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夏の子ども坐禅会開催
1985(昭和60)年夏から開催してきた夏の子ども坐禅会、今年で27年目。 7月21日(土)は、秋口を思わせるような涼しい朝で、肌寒いくらいだったため、子ども達の服装も、いつもの半袖やランニング姿ではなく、長袖、ウインドブレーカー姿が多かった。幼稚園児から小学6年生までの子どもたち63人、保護者43人が参加くださいました。 朝7時集合、朝の挨拶、般若心経、法話、坐禅指導、坐禅、後片付け、終わりの挨拶、紙風船やミニカーなどが入ったプレゼントを配布、閉会という日程。 今年の法話は東雲寺本堂のふすまに書かれていた墨跡を屏風に表具し直した「七仏通誡偈」から、イジメや自殺の問題に言及、自分のいのち、友だちのいのちを大事にすることを訴えました。 そして、坐禅中、夏休み期間中の安全と健康を祈って短い警策(きょうさく)でパチンパチンと参加者全員を策励、その後、白楽天と道林禅師との「諸悪莫作、衆善奉行」に関する問答を紹介、頭で分かっているつもりでも、実行できなくてはいけない。自分のいのち、友だちのいのちを大事にすることを実行しようと再度訴えました。 お盆の法要を修行しました
cn.ne.jp
7月15日(日)、檀信徒の皆さま方にご来山ご参列いただき、全員で読経しお盆のご供養をいたしました。 一座目は午前9時から、二座目は11時から、三座目は13時からでそれぞれ百数十名の方が参列くださいました(ただし、日中の気温が上昇する三座目は、毎年五十名ほど)。 法要には、7月23日のお誕生日で満87歳になる柚木能宣東堂も出席、さらにお忙しい中、功雲寺ご住職・敦岡祖雄老師、新福寺ご住職・衣笠晃暢老師、敦岡大雄師にご出仕いただきました。 檀信徒の皆さんへのお茶の接待や受付、会場案内などは、住職の家族や親族、友人、ご近所の方など総勢13名のスタッフが分担。全員が「雲版」と「東雲」の文字がデザインされたおそろいのTシャツを着用し対応しました。 住職の孫のしょうたくん(5歳)、しゅんたくん(2歳)もおそろいのTシャツを着て、うちわとお菓子をお客さま一人ひとりにお渡ししました。 植木の剪定中に小鳥のヒナが
7月盆の準備の一環で、境内や墓地の植木の剪定やお掃除をしている。 もちろん一人でやれるわけではないので、本堂前の高い庭木や茶室の庭木などはプロの植木屋さんに、墓地の植え込みや裏山の草刈りは檀家さんのボランティアや町田市のシルバー・センターの皆さんにお願いしている。 私自身は時間を見ながら、おもに朝7時半から9時半くらいの時間帯で、ツツジや低い庭木の剪定をしたり、掃き掃除をしたりしている。 7月12日の朝、本堂と客殿との間の内庭の植木の剪定中、庭木の2メートルほどの高さのところに小鳥の巣を見つけた。 空っぽの巣だろうと思って、長く伸びた枝を何本か切っていると、巣の中のヒナが二羽首を伸ばして親鳥にエサをねだるような姿を現した。 すぐさま剪定作業を中止。この庭木だけはそのままにして、小鳥のヒナが巣立った後で、剪定することにした。 『正法眼蔵随聞記』の教えを坐禅修行に活かす
今年正月から月一回、東雲寺仏教講座(原則として毎月第四日曜日午後3時〜4時30分)で『正法眼蔵随聞記』(以下「随聞記」と記す)を読みながら、道元禅師の教えを学びつつ、仏教とは何かなどを考えている。毎回、40人前後の皆さんが聴講くださっている。
東雲寺のお隣りさん杉山神社の祭礼
ふだんは静かな神社前の駐車場にさまざまな屋台が出店。 近所の子どもたちがお小遣いを手に眼を輝かせてお店を見て歩いていました。 最近はほとんど目にしなくなった群れ遊ぶ子どもたちの姿が神社のお祭りに復活、神社の周辺アチコチで元気よく遊ぶ姿が見られました。 昔の子どもたちは毎日お祭りだったのでしょうか。そんなはずはありません。しかし、昔は高学年から低学年までの子どもたちが、お寺や神社の境内で本当に群れ遊んでいたように思います。そんなことを思い出しました。 東雲寺のほぼ真上に上がる花火
午前中、雨でしたが、午後からは晴れ間ものぞき、夜の花火も予定通り行われました。 30年ほど前に東雲寺の隣接地に移転してきた杉山神社の7月の祭礼で、夜8時から花火が打ち上げられました。ほぼ真下の境内にも大勢の観客が集まり、老若男女が一緒に花火を観ました。 道元禅師と礼拝偈
この春、東雲寺本堂の左右の室中(脇間)の襖に書かれていた墨跡(明治41年11月15日の日付がある)が、四曲一双の屏風に表具し直され搬入された。そのうち、現在、ご本尊さまに向かって左側の脇間に立ててある屏風の文言は「能禮所禮性空寂、感應道交難思議(のうらい・しょらい・しょう・くうじゃく、かんのう・どうこう・なんしぎ)」という『礼拝偈』(「礼仏偈」とも言う)である。旧字体を新字体に改め意訳を試みる。
能礼所礼性空寂、感応道交難思議ーー 礼拝するものも、礼拝を受けるものも、そのもともとの在り方は、〈縁起〉によって、いま、ここに現れているのであって、とらわれのない静かな在りようである。私たちの心がお釈迦さまはじめ祖師方の心に通じ、お釈迦さまはじめ祖師方の心を私たちの心に感じる。すなわち師匠と弟子が〈一体〉になるという、こうしたことは人の思いを越えたところである、というような意味になるか。 東雲寺坐禅会の開始時には、毎回、ご本尊のお釈迦さまに対し三度五体投地の礼拝(両手・両膝・額という身体の五部分を地に着けて礼拝する)を行い、同音に『般若心経』を読誦、『普回向』『略三宝』をお唱えし、再び三度礼拝を行う。 かつて坐禅会会員のお一人から、この五体投地の礼拝に違和感を感じてなじめないという訴えがあった。そのときこの『礼拝偈』を紹介して、「空」の教えを身をもって実践する修行だと応えた。 私は礼拝するときにはいつも低声に『礼拝偈』をお唱えしている。 道元禅師さまが中国で修行中に師匠の如浄さまに『礼拝偈』について質問されている。その質疑応答が道元禅師の覚え書き『宝慶記(ほうきょうき)』に残されている(第18問答)。以下に意訳を紹介する。 道元禅師が師匠である如浄さまに申し上げた。昨日の真夜中のお説教の中で和尚さまは「能礼所礼性空寂、感応道交難思議」と仰いました。これには深い意味があるのでしょうが、私にはよく理解できません。私が疑問に思うのは、この「感応道交」などということは教家(教相判釈、経典の分類、文字言句を究めることによって仏道を究めようとする人たち)も説くところであり、これは正統な仏教・禅の教えを伝える祖師方が説くところと同じなのでしょうか、と。 如浄さまが慈しみ深く仰るには、あなたは「感応道交」ということをきちんと理解しなければならない。もし、「感応道交」ということがなければ、お釈迦さまはじめ歴代の祖師方がこの世に現れて、私たちに仏教の教えを説くこともなく、中国禅宗初祖の達磨さまがはるばるインドから中国までやって来て、正統な仏教・禅の教えを伝えることもなかったはずだ。教家の人びとを敵視し否定すべきではない。もし、これまで流布していた仏教の教えがすべて間違いだというなら、私たちは四角い食器や丸い袈裟を使用すべきだということになる。しかし、そんなことは行われていない。仏教が正しく承け嗣がれて来た象徴である修行者が持つ食器の応量器は丸く、袈裟は四角いものを身につけている。だから必ず礼拝するもの、礼拝を受けるもの、すなわち師匠と弟子との間には感応道交ということがあるということを知るべきである、と。 また、『宝慶記』の別な箇所(第10問答)には、 和尚、或る時召して示して曰く、你は是れ後生なりと雖も、頗る古貌有り。直に須く深山幽谷に居して、仏祖の聖胎を長養すべし。必ず古徳の証処に至らん。 時に道元、起ちて、和尚の足下に拝を設く。 和尚、唱えて云く「能礼所礼性空寂、感応道交難思議」。 時に和尚、西天東地の仏祖の行履を広説したもう。 時に道元、感涙襟を沾す。 という具体的な礼拝の場面が記されている。如浄さまが若き道元禅師の真剣な修行態度を見て「古貌」の面影があると褒め、深山幽谷での修行を行うように勧める。道元禅師は師の足もとに礼拝する。如浄さまが『礼拝偈』を唱え、そして歴代の仏祖の修行の跡形について説法してくださった。道元禅師は感激の涙を流したというのである。
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