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恩田川沿いの桜並木
DCIM1000.jpg
 現在「恩田川」と呼ばれていますが、手もとにある昭和45年11月発行の『町田市街図』(昭文社)にははっきりと「町田川」と記されています。
 郷土史に詳しい方にお聴きしますと、昔は「成瀬川」とか「大川」と言っていたそうです。
 河川改修工事が「鶴見川」の支流のひとつである横浜市緑区の「恩田川」の方から始まり、徐々に上流の工事に移った時期あたりから、「恩田川」の名称が「町田川(成瀬川)」の部分まで及んできたのではないかとのことでした。

 3月29日朝の恩田川沿いの桜です。
 会下山橋(えげやまばし)の上から撮影。
 ちなみに「会下」というのは、指導者の下で修行者の集団が仏教を学び修行生活をするとこを意味する仏教用語です。

 この写真左上の林のところが、中世の成瀬城跡です。
 その東側下方に、16世紀前半には東雲寺の前身である成就院というお寺がありました。現在、共同墓地になっているところで、地元の人たちが「寺屋敷」と呼んでいたところです。
 こうした経緯から、東雲寺の正式な名称は「龍谷山成就院東雲寺」と言っています。
 


2013.03.29 Friday 10:22
住職雑感 comments(0)
夕陽に照らされた桜
DCIM0990.jpg
  晴天に恵まれ、温かだった今日は、一日中、多くの老若男女が東雲寺を訪れ、桜や花桃、ミツマタの花、椿などを見ながら、春の散策を楽しんでいました。
 夕方になっても、まだ、境内のあちこちにカメラをもった人たちがいました。


2013.03.28 Thursday 16:51
東雲寺あれこれ comments(0)
16時30分過ぎの桜
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  桜の花は、朝早くか、あるいは夕方、日中の真上からの光よりも、斜めからの太陽の光に照らされているときの方が美しく見えます。


2013.03.28 Thursday 16:38
東雲寺あれこれ comments(0)
本日の桜
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   咲き始めから10日目。昨日の雨の影響もほとんどなく、見ごたえのある満開の桜が東雲寺を包んでいます。今年の桜は一輪一輪の花が大きいという人がいます。なるほどそんなふうにも見えます。


2013.03.28 Thursday 09:15
東雲寺あれこれ comments(0)
椿「岩根絞り」と桜「染井吉野」
DCIM0984.jpg
 今年は境内のさまざまな椿の花も実に見事です。
 東雲寺境内を散策する方たちは、桜の花を見上げて「見事ですね」と感歎の声を発せられます。が、その視線を下方に向けると、「紅佗助」「ヤブツバキ」など、さまざまな種類の椿が「今が私の春」と咲きほこっています。

   ところで、当初、この写真について「椿『乱拍子』と桜『染井吉野』」と書いておりましたが、たまたまこのブログの記事を見た家人が、椿に詳しい従姉妹に「乱拍子」かどうかを確認したところ、その知り合いの方で、東雲寺の近所にお住まいの日本ツバキ協会町田支部の伊藤さんに連絡を取ってくださり、すぐに伊藤さんが来山されて「岩根絞り」であることをご教示くださいました。
  さらに東雲寺境内には、「玉かすみ」「明石潟」「初瀬山」「一休」「黒椿」「紺佗助」「乙女椿」「初嵐(白玉)」などが咲いています。
  今回、伊藤さんにいくつかの椿の名前をお教えいただきました。


2013.03.28 Thursday 09:09
東雲寺あれこれ comments(0)
東雲寺参道の桜
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参道の桜


2013.03.26 Tuesday 19:55
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願わくは花の下にて
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   東雲寺境内の桜が満開です。
  平安末期から鎌倉初期の歌僧の西行法師の晩年の和歌に

     ねかはくは はなのしたにて はるしなむ
                そのきさらきの もちつきのころ

  「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」という一首があり、「新古今集」「続古今集」「山家集」「西行法師家集」などに収録されています。
  如月は、太陰暦の2月の異称。望月は満月のことですから十五夜、つまり15日のころ、ということです。
  2月15日は、お釈迦さまがお亡くなりになった日、涅槃(ねはん)に入られた日とされており、仏教寺院では涅槃会(ねはんえ)という法要を行う大切な日です。

  西行法師は、願うところは、どうかお釈迦さまがお亡くなりになられた2月15日のころ、(私も)花の下で春の季節に息を引き取りたいものだなぁ、と詠っているのです。
  仏道修行者にとって「死」は「生」と一枚の表裏ですから、お釈迦さまが雨季を除いて、一ヵ所に留まることなく旅を続け、各地で教えを説き歩いたあとかたを慕い、西行法師も日本各地を行脚し、自らの思いを和歌に詠み、僧として生き、そしてお釈迦さまと同じように息を引き取りたいものだと願ったものと思われます。

  ところで、「花の下にて」の花は何か?
  2月15日だから、梅の花?

  いいえ、太陰暦の2月15日ですので、実は今年で言えば、本日の3月26日(火)なのです。
  ということで、そうです。「花の下にて」の花は、桜の花なのでした。

  『平家物語』の冒頭にある有名な一節に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」などという文言があるように、お釈迦さまがでお亡くなりになられたのがシャラの林で、そのシャラの白い花の下で息を引き取られたと思われますが、西行法師は吉野の山桜の林の中なのでしょうか、そうした桜の花の下で最後を迎えたいと願ったようです。
  そして、西行法師は、願い通りに1190年の2月16日に亡くなられたと伝えられています。
  
  今年の桜は10年ぶりくらいに早い開花でした。東雲寺境内の桜も本日が満開です。花冷えで寒い中、散策の方々が朝6時ころから訪れて、桜を愛でてくださっています。


2013.03.26 Tuesday 08:12
東雲寺あれこれ comments(0)
桜四分咲き
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  3月18日月曜日に境内の桜が咲き始めました。昨年に比べて二週間ほど早い開花です。本日21日、お彼岸でお墓参りの皆さんも四分咲きの桜を愛でながら、参道をゆっくり歩いておられるようです。
今週末あたりが見ごろでしょうか。


2013.03.21 Thursday 11:03
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震災天罰論を糾し 震災犠牲者諸精霊の冥福を祈る
 3月5日、福井県の大本山永平寺において、「震災天罰論」とその底辺にある「悪しき業論」に関する人権学習を二講座お務めさせていただいた。永平寺孝順会という布教師方の集まりと永平寺の修行僧を対象にした学習会だった。

 ご記憶のことと思うが、石原慎太郎東京都知事(当時)が、震災直後の3月14日に「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」などと発言した。これに対しマスコミや市民から強い批判が寄せられ、翌日には謝罪、発言を撤回した。実は同じような発言が、仏教者はじめ新宗教、諸教の指導者、国外のキリスト教関係者など、多くの宗教者たちからもなされていた。
 仏教学者・末木文美士氏も『中外日報』(2011年4月26日)に「石原発言」を承けて「(大災害を)『天罰』として受け止め、謙虚に反省しなければいけない」と書いて波紋を広げた。後日、末木氏は石原「天罰」論は自分の考えと異なるので「賛成は取り下げ」るとしたが、「単なる自然災害だけでなく、人災的な面があること、それに対しては、人間の智慧を超えた何ものかへの畏れを取り戻すべき」だなどと主張し続けている。
 また、神仏を軽んずる非自民党内閣が政治を行っているときに阪神・淡路大震災や東日本大震災が起こったというような政治的発言をする人たちもいた。しかし、中越地震や福岡地震のときは自民党内閣であり、阪神・淡路大震災のときも社会・自民の連立内閣だったはずだ。

 永平寺における人権学習会では、こうした問題をどう考えるべきか、何が問題なのかなどをお話しさせていただいた。

 「震災天罰論」への批判を紹介する。宗教学者・島田裕巳氏は「(震災天罰論は)中世的な震災観であり、とても現代にふさわしいものとは言えない」と言う。日本テーラワーダ仏教協会・佐藤哲朗氏は『大般涅槃経』の教えを引いて大震災が天罰という教えはパーリ仏典・初期仏教にはないとする。ダライ・ラマ師は「四大、五大という世界の構成要素がバランスを崩して生じた自然災害が起き」たとして、いたずらに嘆き悲しむのではなく、先を見つめてできる限り努力すべきだと説いている(以上、『サンガジャパン』「特集・震災と祈り」2011年夏号)。

 東京大学大学院教授・高橋哲哉氏は、その著書『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書、2011年)で「生き残った者が(震災で亡くなられた)死者たちに一方的に罪の犠牲を集中させて語ること」などできない、「天罰・天譴が(真反対の)天恵の意味をもつ」、「天罰を特定の災害に限ることの根拠」はないなどの「震災天罰論」の問題点を指摘をしている。

 末木氏のブログに臨済宗系単立寺院副住職の川口英俊師が「地震そのものは大自然の営みの一つであり、功罪・善悪も関係なく、ただ空・縁起によるところの現象に過ぎない」というコメントを寄せている。さらに、今、この国のあり方に対し不満があり、自分の思う通りにならないことを、「震災天罰論」を使って「それみたことか」と主張している。思うとおりにならないのは四苦八苦の一の求不得苦であり、「震災天罰論」もこの求不得苦から生じているものだとする。

 東北大学大学院教授・佐藤弘夫氏は「みずからの感情の代償行為として(「震災天罰論」を主張するために)安易に先人の言葉を用いることは、被災者に対しても祖師に対しても、礼を失した冒涜行為にほかならない」(『寺門興隆』2013年1月号)と言っている。
 こうして見てみると、結局、そのように見たい人が、仏教信仰という大前提を無視し、他人事の説明論理「悪しき業論」にもとづく「震災天罰論」を説き、仏祖の教えを牽強付会して言いたいことを言っているに過ぎないことが分かる。

 3月11日午後2時から東雲寺本堂で「東日本大震災犠牲者諸精霊三回忌追悼法要」を修行、そして震災発災時に合わせ、参列者代表の皆さんと大梵鐘十八声を鳴らし、大震災犠牲者の冥福を祈り、被災地の早期復旧復興を祈った。
 


2013.03.17 Sunday 16:11
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発災時に梵鐘18声を代表者17名が撞きました
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 東日本大震災犠牲者諸精霊三回忌追悼法要の後に外に出て、発災時に大梵鐘を18声撞きました。
 第1声は、柚木能宣東堂、2声は井上恭一総代さん、3声は広瀬順一総代さん、以降、世話人さんや法要参列者の代表の方々に撞いていただき、最後の17、18声目は住職が撞きました。
 陸前高田でお父さんが津波に流され犠牲になったというご遺族の方も法要に参列されていて、大梵鐘を撞き、冥福をお祈りされていました。


2013.03.11 Monday 15:49
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