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永平寺に行って参りました
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 9月27日午前5時過ぎに大本山永平寺において、相模原市緑区根小屋功雲寺住職・敦岡祖雄師(写真右)とともに、弊師・福島県二本松市大隣寺二十七世重興大徹祖堂大和尚(高松祖堂)の報恩供養を修行いたしました。
 
 明年が三十三回忌なのですが、神奈川県第二宗務所長老師が焼香師を勤めるということで上山しましたので、この機会に尊宿諷経一座をお願いした次第です。
 つまり大本山永平寺のご開山忌である御征忌中(9月23日〜29日)ですので、全国からご随喜の住職方、永平寺の役寮さま方、修行僧方が出仕くださり、約200名の僧侶の読経という誠に荘厳な雰囲気の有り難い報恩供養を勤めさせていただきました。

 私たち兄弟とご縁の深い埼玉県所沢市松林寺・森道輝老師、前北アメリカ国際布教総監・秋葉玄吾老師、永平寺別院後堂・武長英俊老師などが特に懇ろにご焼香くださいました。


2013.09.27 Friday 09:09
住職雑感 comments(1)
永平寺に行って参りました。
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敦岡大雄さんと一緒に法堂前で。


2013.09.27 Friday 09:03
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人は死んだらどうなるの? 

 20数年前から東雲寺「夏の子ども坐禅会」は、毎日曜開催の大人の「夏の坐禅会」とは別に、夏休みの最初と最後の土曜日の開催している。今年も7月20日と8月31日の朝に夏の子ども坐禅会を開催した。二回合わせて子どもたちと保護者など約200名の方が参加くださった。

 その7月20日の坐禅会のことだったが、坐禅会が終了して参加した皆さんが帰って行く中、本堂の入口のところに一組の母子が立っていた。
 坐禅会の後片付けと次の年回法要の準備をし始めていた私のところに、母親に背中を押されて「和尚さんに訊いてみるんでしょう?」と促され、小さな男の子がやって来た。そして「人は死んだらどうなるの?」と質問した。
 このとき「どうしてそういうことを質問しようと思ったの?」ときちんと聴いてから応えるべきだったが、次の面談の約束やさらにその後の年回法要まであまり時間がなかったので、「何年生ですか?」とだけ聴いて、男の子が「二年生」と答えると、すぐに「人が死んだらね、その人が大事に思っていた人、大事にしていたもの、大事にしていたことがらの中に帰って行くんだよ」というような応答をした。
 横から母親が「こんなこと考えてるのは変ですかね?」と言った。それには「変ではないですよ。私も小学校2年生のころに、自分が死んだらどうなるのかを考えてましたよ。自我のめざめの時期でしょうかね」などと応えた。
 納得したかどうか分からないが、母子は「ありがとうございました」と帰って行った。

 以来、なぜかこのことが心に引っかかっていた。日にちが経つにつれ、この質問は、人間にとって蔑ろにできないことについて、まっすぐに問うているものだと思えて来た。
 「人が死んだらどうなるか?」 
 たぶんほとんどの大人は、こんなことは〈自明なこと〉として、改めて考えもしないし、他人に尋ねるようなことをしないと思う。
 大人は、「通夜」とか「葬儀」、「火葬場」とか「お墓」、「納骨」とか「供養」、また「天国」とか「浄土」、「あの世」などという概念を知っている。だから「人が死んだらどうなるか」を他の人に尋ねたりすると、〈変なやつ〉と思われかねないから質問したりはしない。
 でも、考えてみれば、疑問に思わないようにしているだけであって、〈自明なこと〉などまったくないのではないか。男の子の質問の動機や正確な質問の意味などは不明だが、彼の質問には大きく重い意味のものが含まれているように思えた。

 そこで、8月31日の子ども坐禅会では、この男の子の質問を取り上げ、その応答に代えて次のような話をした。

 7月31日に「力山忌禅宗研究会」が開催された。石川力山先生は16年前の8月4日に亡くなられた。その訃報に接したとき、拙は石川先生の頭の中に蓄積、整理されていた厖大な情報、記憶や知識などが雪崩のように崩れ、壊れていく様を思い浮かべた。石川先生が亡くなって葬儀が行われ、遺体は荼毘に付されて、ご遺骨〔はじめさまざまな物質〕となり、合成此身以前の諸要素、四大五蘊に帰って行った。
 当時、石川先生は博士論文の出版の最終段階にあり、もう一歩というときの急逝だった。友人、後輩、お弟子さんたちが編集校正作業などを引き継ぎ、数年後に出版できた。こうした尽力によって石川先生の30年間ほどの研究の蓄積、成果が後世に伝えられることになった。
 また、石川先生の友人、後輩、弟子たちは、毎年、お命日近辺の日にちに法要を行って来た。そして歿後16年の今回、17回忌をきっかけに「力山忌禅宗研究会」を発足させたのだ。
 石川先生が大事にしていた友人等の心の中に、30年間の業績の中に、「禅宗研究」という課題の中に石川先生は帰って行かれたのだ。
 私たちに与えられたかけがえのない命。自分の命を大切に、友だちの命も大切に。一生懸命にやりたいことをやる。努力すれば必ず報われる。二学期も勉強やスポーツ、遊びなどに元気で頑張ろう。 



2013.09.26 Thursday 11:12
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彼岸花
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 曼珠沙華(彼岸花)が見頃です。彼岸花とはよく言ったもので、秋彼岸直前に地面からむくむくと茎が伸び、お彼岸には、たとえその年が暑くても涼しくても? 花を咲かせます。どういう体内時計があるのでしょうか。
 朝方に庭掃除をしていて、朝日の当たる彼岸花を撮影しました。
 東雲寺の境内、墓地のあちこちに彼岸花が咲いています。
 勝手口の方に白い彼岸花もあります。
 


2013.09.25 Wednesday 17:41
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東雲寺文化講座
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 9月22日(日)15時〜16時45分、東雲寺文化講座で明治大学名誉教授・圭室文雄先生による「總持寺の歴史」のご講演がありました。50名ほどの方が聴講くださいました。
 總持寺のお膝元も真宗大谷派や浄土真宗の門徒が圧倒的に多い地域であることや、幾度か火災に遭って伽藍を焼失しても、その度に復興してきた歴史、そして明治31年の大火を契機に、横浜市鶴見区にご移東されたことなどを、これまでの調査で圭室先生が収集してこられた、さまざまな史料や資料を駆使してお話くださいました。

 ところで、先生のお話をお聴きしていて感じたことがあります。

 再来年の2015(平成27)年に、大本山總持寺二祖峨山韶碩禅師さまの650回大遠忌があり、さらにその9年後の2024(平成36)年には太祖瑩山禅師さまの700回大遠忌があるのですが、このご両尊大遠忌記念事業として、報恩法要のほか、總持寺の大小の建物の耐震工事、布教教化活動、記念出版などが行われます。
 現在、全国各地の寺院、檀信徒に対し、その事業資金の勧募活動が行われておりますが、勧募の僧侶を全国に派遣して資金を募るやり方、仕組みなどが、江戸時代の方法と基本的に変わっていないことが分かり、驚きつつも、なるほどそうだったのかと納得(?)した次第です。


2013.09.25 Wednesday 17:37
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花火が上がりました
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あいにくの雨模様でしたが、杉山神社の祭礼で、花火が上がりました。


2013.09.08 Sunday 23:14
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成瀬名物 東雲寺寄席
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 満員御礼
 第五回成瀬名物「東雲寺寄席」を開催します。
 柳家さん喬師匠、露の新治師匠の二人会。
 今年のゲストは、紙切りの三遊亭絵馬さん。
 日時 2013年11月4日(祝日)13時30分開演
 会場 町田市成瀬4464 東雲寺
 木戸銭 1000円

 予約 FAX 042−721−2964 
     Email 
butudou-sogen@vesta.ocn.ne.jp
 すみません。定員になりましたので、予約締め切りです。
     


2013.09.03 Tuesday 17:34
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神奈川第二宗務所の現職研修に参加
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 9月2日、神奈川県南足柄市の大雄山最乗寺さまで神奈川県第二宗務所主催現職研修会が開催され、講師のお一人に落語家の露の新治師匠が招かれました。
 東雲寺住職が、新治師匠への講演依頼の橋渡しをさせていただいたこともあり、神奈川県第二宗務所の研修会でしたが、参加させていただきました。

 新治師匠の「人権高座」のお話のいくつかを紹介します。

 「笑」の字を見ていると人の笑顔のように見える。差別、戦争、災難などがあったときには笑顔がない。笑顔で生きていく権利、それが基本的な人権だと思う。

 意味の無いものに意味を見出す手段が競争原理だ。しかし手段と目的を取り違えてしまう、手段の自己目的化が行われて、人はおかしくなってしまう。人は競争するために生まれて来たわけではない。幸せになるために生まれて来たのだ。

 子どもは「宝の子」だ。子どもは周りの大人たちを嬉しくしてくれる。子どもを育んでくれた大人たち。父母や祖父母から見れば、いつまでたっても「あなた」は「宝の子」だ。「宝の子」のプライドを忘れずに生きてほしい。

 二人の両親、
 四人の祖父母、
 八人の曾祖父母・・・・三十三代前の先祖は、
 計算上85億8993万4592人。
 現在の地球上の人口の70億人になんなんとする数を超えている。そんなことはありえない。ということは先祖がダブりまくっているということである。「あなた」の祖父母、曾祖父母の名前を正確に言えるか? 何代続く家柄などと言うが、それは男系の一人の先祖をたどっているだけで、正確なものではない。自分の「血筋」もよく分からないのに、他人の「血筋」を云々するのはおかしい。それは妄想だ。

 人は国籍を選んで生まれて来れるか? 人は身長や容貌などを選んで生まれて来れるか? 国籍や身長や容貌など、自分で選び取れるものでないことがらで排除されるのは「不当な分けへだて」であり、差別だ。
 人を中身で見ていないから差別がなくならない。その人が言っていること、していることが人の中身だ。

 人権・差別問題を差別されている人びとの問題と見てはいけない。差別する側が自分に自信を持つことによって、自己変革をすべき問題なのだ。

 自信を持って生き、願いに生きよう。「願生る(がんばる)」という言葉を紹介する。願われて生まれる。願われて生きる。願われて生かされる。願いに生きるという意味を持つ「願生る(がんばる)」。

 「狭山事件」という冤罪事件の再審請求運動を行っている。殺人犯にされた石川一雄さんが、一審の裁判で「死刑判決」、その後、無罪を主張するも「無期懲役」が確定、31年7ヵ月間、獄中生活を送る。
 有罪の根拠とされる証拠品が被害者のものとされる万年筆だ。もし、真犯人ならば、殺人犯の心理で考えたら、そうした被害者の万年筆を自宅の鴨居の上に「隠す」だろうか? 自宅に持って来て、それを隠し持ち続けるようなことはしないと思う。
 また、その万年筆は、徹底的な家宅捜査を二度実施した上で、三度目の捜査でいとも簡単に発見されている。そこには被害者の指紋も、石川さんの指紋もないものだった。
 狭山再審請求運動に理解と協力をお願いしたい。


2013.09.02 Monday 21:25
人権・平和・環境 comments(0)
廣瀬順一さんの叙勲祝い
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 9月1日、ホテル ザ・エルシー町田で東雲寺檀徒総代のお一人の廣瀬順一さんが永年の更正保護活動、30年になんなんとする保護司活動に対し、瑞宝双光章を受章され、そのお祝いの会が開催されました。東雲寺からは柚木能宣東堂とともに祖元住職も出席、お祝いとご慰労を申し上げました。


2013.09.01 Sunday 13:17
住職雑感 comments(0)
夏休み最後の土曜日、子ども坐禅会
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 8月31日朝、東雲寺の本堂が子どもたちの日に焼けた元気な笑顔であふれました。
 東雲寺の近くの成瀬台や成瀬地区の子ども達60余名と保護者の皆さん、引率くださった青少年健全育成成瀬台地区委員会の役員さん、非行のない街づくり町田推進協議会成瀬台地区委員会の役員さんたちなど40余名が参加。
 坐禅を前に住職からお話をし、坐禅指導の後、坐禅修行を行いました。


2013.09.01 Sunday 10:43
東雲寺あれこれ comments(0)
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