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涅槃会を修行
2月15日、14日から降り続いた大雪のため延期になっていた涅槃会を2月26日午後1時30分から修行しました。 参列者全員で、まず冒頭に「般若心経」を読誦。 次いで住職の挨拶。大雪で延期したときのことやお釈迦さまの最後の教えなどをお話しました。 そして「三宝御和讃」「紫雲」「涅槃」「不滅」などの梅花流詠讃歌を奉詠しご供養申し上げました。 最後に甘酒や酒饅頭をいただいて懇談しました。 涅槃団子は、今年は庫裡台所を改修中のため、和菓子店「華月」さんにお願いしました。 華月さんが大雪の中、2月15日に届けてくださった涅槃団子は、本堂の室温が寒いため、見た目はお供えしたときのままなのですが、触って見るとカチカチでした。 箱根早雲寺にある連歌師宗祇の墓
芭蕉の 『笈の小文』(1687年、近畿地方を旅した折の俳諧紀行)の冒頭「西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶における、其の貫道する物は一なり」という風雅論に続いて記されている句「旅人と わが名呼ばれむ 初時雨」という句碑が東雲寺の参道に移設されてある。
『笈の小文』の文章で芭蕉が尊敬する風雅の道の先人のひとり、それが連歌師の宗祇だったことが記されている。 この宗祇の墓(供養塔)が、宗祇の亡くなった地、箱根湯本の早雲寺にあった。 戦国大名北條五代の墓をお参りしようと早雲寺を訪れたところ、その近くに宗祇の墓があった。 その因縁については、説明板の文章をお読みいただきたい。 2月の仏教講座
2014年2月23日15時〜16時30分、東雲寺仏教講座「『正法眼蔵随聞記』を読む」第19回を開催しました。 涅槃図を掛けた本堂を会場に「随聞記」の第3巻16章段「父母報恩等の事」、17章段「人の鈍根と云ふは、志の到らざる時の事なり」、18章段「大宋の禅院に麦米等をそろへて」を読みました。 関東地方は記録的大雪とのこと
昨日、雪が積もり始めてから2時間おきくらいに雪かきをしていましたが、夕方6時過ぎくらいから今朝までに40〜50センチほど積もった雪にびっくり。前回の土曜日の雪より、今回の雪は湿っていて重い。 11時からのお檀家さんの法要は、親戚が大雪で来れないから、ということで、キャンセル。 東雲寺へ続く車道の側の舗道、約80メートルの雪かきをして、お寺に来られる方、ご近所の方の歩く道を確保しました。 写真の右上あたりに「東雲寺駐車場」の看板があります。 客殿前の雪かきをしていた妻が、雪の捨て場がなく、やむなくツツジの植えてある辺りに雪を捨てながら 「ツツジがかわいそう」 部落問題を考えるかながわ県民講演会
「第3回部落問題を考えるかながわ県民講演会」が、神奈川県藤沢市の藤沢市民会館で開催された。 大阪人権博物館「リバティおおさか」館長の朝治 武さんの「全国水平社90周年と現在」という演題の講演だった。水平社創立90周年は、一昨年の2012年だ。 2月15日に新横浜スペース・オルタで開催される予定の「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」の上映と意見交換の会に、東雲寺における涅槃会修行のため参加できないので、町田と比較的に開催地の近い、交通の便も町田から小田急線一本で行ける藤沢の市民会館が会場のこの日のこの行事に参加した。 「維新」を掲げる橋下大阪市長の人権に関する政策はまったく話にならないもので、彼が弁護士で、テレビ番組で「正義漢」を演じていた姿は、結果的に視聴者を騙し、おのれ自身さえも騙していた姿なのか、と勘ぐりたくなるほどで、先の「従軍慰安婦」関連の発言のときにもわが耳を疑ったが、橋下氏の「反人権」行政とも言うべきやり方の中で、補助金をカットされ、大きなダメージを受けている「リバティおおさか」の館長さんが、どんなお話をされるのか、お聴きしたいと思っての参加だった。 朝治さんのお話によると、リバテイ大阪は、年度が変わるこの2014年4月以降、本当に存亡の危機を迎えるとのことである。 大阪府と大阪市の補助金カットはリバティおおさかの必要経費の8割以上が無くなるということで、やむなく5割ほどの経費削減、その多くが人件費削減だそうだが、それを実施。さらに全国に支援を呼びかけ、サポーター(個人の支援一口6000円)、スポンサー(企業や団体一口100万円)を募っているとのこと。 講演の大部分は、「水平社宣言」の「綱領」や「宣言」「則」「決議」についての解説であり、その中で特に平野小剱(福島県出身の活動家)が宣言起草に深く関わっていたのではないかという分析について、一般には西光万吉が作ったとされていることなので、とても興味深く思えた。 講演会が終わって、会場を出ようとするとき、曹洞宗神奈川県第二宗務所の役職員の方たちにお会いした。神奈川県の宗教者で組織している「『同和問題』にとりくむ神奈川県宗教者連絡会議(神奈川同宗連)」の議長教団を曹洞宗神奈川県第二宗務所が務めていることで、今回の行事開催に協賛団体として関わっているからだと思われた。宗務所書記を務めている私の甥の大雄さんも参加していた。 「人権」が置き去りにされ、「秘密保護法」が通り、解釈改憲で集団的自衛権での戦闘は可能だと言い放つような人たちが声を大きくしている昨今、一仏教徒として私は「どのような理由の戦争にも・・・」――そんな理由は、理由付けをしたい連中が勝手な理由付けをするだけのことなので――「どのような理由の戦争にも反対である」と申し上げたい。その戦争に向けたさまざまな準備――憲法改悪、軍備増強、日本を窮地に追い込むような無策に思える外交政策などにも、子どもたち世代、孫たち世代、未来の人たちのために、私は反対である。 雪の朝
昨日の雪がまだ残っています。(写真は東雲寺の表参道、9日午前7時27分撮影) 町田でも10年に一度くらいは20〜30センチの雪が降ります。 今朝は、朝のお勤めの後、6時30分くらいから雪かきをしました。 表参道、横参道、車道、舗道、お墓参り道。 あまり重くない雪だったので、助かりました。 雪国の方たちには申し訳ありませんが、20〜30センチ程度でも町田では大雪です。 午前11時すぎ、坂道の途中にある成瀬中央小学校に徒歩で行きました。 都知事選の選挙に行きたがっている88歳と84歳の両親が雪道でも行けるかどうかの道路状況の確認をしながら、投票して来ました。北向きの道路や陽の当たらない坂道にはまだ雪が残っており、チェーンなしでは無理な状況ですので、タクシーもたぶん行ってくれないと思いました。午後の気温が上がってから、タクシーが動き出したら、タクシー会社に両親の投票所行きを依頼してみたいと思います。 中央小への往き帰り、コースを変えて歩きましたが、各町内の人たちが、たぶん自主的に、自宅前の通路、道路、舗道などの雪かきをなさっていました。 スコップがないお宅では、チリトリを使っての雪かき。大変そう。 一方で、子どもたちは雪遊びに興じていました。 と、雪かきの間に、若い夫婦が雪合戦をしていまして、若さって、いいもんだな、なんて感じました。 杉山神社 豆まき
東雲寺の前(西隣)にある杉山神社の豆まきに孫のK太くんと参加しました。 写真の下部中ほどの左手を挙げて手をふっている母親に抱かれているのがK太くんです。 年男の広瀬さんたちは、午年にちなんで馬の帽子をかぶり、裃を身につけて「福は内、鬼は外」をされていました。 杉山神社は、かつて「田中の明神」として成瀬の人びとに親しまれ、敬われてきた神社で、成瀬の中でももっとも美しいと言われていた田園風景の真ん中(町田市成瀬1341番地)、場所としては、現在の成瀬高校とオーディオテクニカとの中間あたりにありました。 東京都の住宅建設計画が立てられ、都市計画によって杉山神社の境内を道路が通ることになって、杉山神社は移転を余儀なくされましたが、当初は近接地への移転の予定でした。しかし、その移転先の立地環境が、高層住宅の谷間のようなところになることが分かったため、成瀬の人びとの強い願いで、現在の東雲寺の前に移転することになり、1982(昭和57)年4月に現在地に遷宮しました。 東雲寺と杉山神社とが隣り合っているため、東雲寺が杉山神社を管理しているとか、東雲寺と杉山神社が一体と考えるような方が、ときどき訪ねて来たり、電話で問い合わせがあったりしますが、杉山神社の氏子さん方と東雲寺の檀家さんがほぼ重複していること、お寺と神社がお隣さん同士という以外、直接的な関係はありません。 『町田市史』や『成瀬ー村の歴史とくらし』によれば、近世における杉山神社の別当は、本山派修験の大蔵院であり、寛文8年の杉山神社の棟札には「恩田村徳恩寺快英」や「供僧大蔵院」「慈願寺」の名が見え、真言僧や修験者が行事に関わっていたようです。
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