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恩田川沿いの桜
3月31日の午前10時 東雲寺の桜
3月31日早朝 東雲寺の桜が四分咲き
桜の中の誕生仏堂 境内の桜
夕日四分咲きの桜 『正法眼蔵随聞記』を読む
毎月第4日曜日午後3時〜4時半、東雲寺仏教講座で『正法眼蔵随聞記』を読んでいます。 第20回目の今日(3月23日)は、『正法眼蔵随聞記』第3巻の19章段、20章段を拝読しました。 20章段の一部を紹介します。 世間の治世は先規有道を嗜み求ムれども、なほ先達知識のたしかに相伝したるなければ、自ラし、たがふる事も有ルなり。仏子はたしかなる先規教文顕然なり。また相承伝来の知識現在せり。我レに思量あり。四威儀の中において一々に先規を思ひ、先達にしたがひ修行せんに、必ズ道を得べきなり。 (『正法眼蔵随聞記』第3巻20章段) 以下にこの現代語訳を試みます。 なお、原文中の「自ラし」の「し」は強めの辞とのこと。 世俗社会の政治においては、先代からのきまったやり方を心得、徳を具え道理をわきまえた臣下を探し求めて登用するのだが、それでもなお経験の豊富な先導者や優れた指導者が確実に受け伝えて来たものがないから、当然のことながら間違ってしまうこともあるのだ。 仏弟子においては、先人たちの決めたきまりや教えの言葉がはっきりしている。また、仏教の教えを師匠から弟子へ代々受け継ぎ、伝えて来たところの優れた指導者も現に存在しているのだ。私には自分で考える力がそなわっている。行住坐臥の四種の作法、日常の一切の行為の中において、一つひとつ先代からのきまったやり方を考えに入れ、経験豊富なその道の先導者にしたがって坐禅修行するならば、必ず〈さとり〉の世界を目の当たりにして、仏教の教えの究極を身につけることができるのである。 この説示中に「相伝」「相承」の言葉がありました。 大本山總持寺ご開山瑩山紹瑾禅師700回大遠忌、二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌のテーマが「相承」です。 そこで講座の中でこの『正法眼蔵随聞記』の教えから、瑩山さま峨山さまの大遠忌のテーマ「相承」を参加者の皆さんと一緒に考えてみました。 仏さまや祖師方が、承け嗣ぎ身につけて、自ら実践して来られた仏教の教えに適った正しい修行、正しい考えかた、正しい生活などを承け嗣ぎ実践させていただくとき、必ず「道」を得るのだという教えです。 東雲寺仏教講座では、『正法眼蔵随聞記』の教えを通して「仏教とは何か」などを考えています。 お時間のある方は、どうぞお出かけください。 東日本大震災犠牲者追悼、被災地復興祈願法要
3月11日(火)14時から東雲寺本堂で「東日本大震災犠牲者追悼、被災地復興祈願法要」を檀信徒の代表の方たちとお勤めしました。その後、鐘楼堂に移動し、14時46分より大梵鐘18声を打ち鳴らし、犠牲者慰霊と被災地復興の祈りを捧げました。 成瀬会館文化講座
2014(平成26)年3月9日(日)14時〜16時20分、NPO法人成瀬会館において文化講座「成瀬の知られていない歴史をひもとく――修験道の五大院――」講師・矢口 貢氏(町田地方史研究会)に参加しました。 五大院は、成瀬センター(旧南第二小学校)の前、セブンイレブンの横あたりにあった薬師堂を護っていた修験者で、代々「五大院」を名乗っていたようです。 東雲寺の境内墓地中央付近の「木目田家」墓地の中に、歴代「五大院」の五基五人の修験者の墓石があります。それがどういう経緯でそうなったのか、そういったお話が聞けるかと思い参加しました。 五大院の本寺は、図師町の大蔵院ということが『町田市史』や『成瀬―村の歴史とくらし』、村田辨二「成瀬村の修験五大院」「同 補遺」(『町田地方史研究』3号、4号所収)にあり、成瀬地区の山の神、稲荷神社、金比羅社などの棟札などによって五大院の宗教活動の様子を解明しようという研究がなされて来ています。 今回の講座では、講師作成の詳細なレジュメはじめ薬師堂の境内地を推定する地図、さまざまな棟札の翻刻などの資料が配付され、これまでの研究成果をあとづけする内容のお話を聴くことができました。 この講座で、成瀬の修験者について、新しい事実が少しでも明らかになればと思いましたが、遺された史資料が本当に少ない研究課題のため、「五大院」などの解明はたいへん難しいようです。 昭和40年代以降の成瀬の土地区画整理事業や急激な都市化などで、地域の様子がまったく様変わりしてしまっており、各家の新築、増改築などにともない古文書類の焼却が行われ、成瀬地域内の社や祠が移転、廃棄されるなどにより、貴重な史資料が失われてしまっているようです。 また、あるいは歴代の五大院が護っていた薬師堂の中に祀られてあったであろう仏像や備え付けの什物などが、例えば西之久保の慈願寺(現南成瀬5丁目付近)の場合のように東雲寺に寄託されていたとすれば、それが幕末とか明治初期であれば、東雲寺の明治11年の火災などによって、それらが焼失してしまった可能性もあり、そういったわけで史資料が少ないということがあるかも知れません。 「五大院」などの成瀬の修験者についての解明には、さらなる調査研究が俟たれます。 講談「瑩山禅師のご生涯」旭堂南鱗師匠
2014(平成26)年3月6日16時から八王子市の京王プラザホテル八王子において、多摩法法友会(会長・八王子市初沢町高乗寺ご住職・細川泰徳老師)の総会、研修会が開催されました。 多摩法友会は、東京の西部に広がる多摩地域の曹洞宗寺院(約150ヵ寺)の中の住職有志による研修と懇親などを目的とした会です。 今回は、大阪よりお招きした講談師の旭堂南鱗師匠(上方講談師協会会長)が「瑩山禅師のご生涯」という新作講談を演じてくださるということで、たいへん興味深く思い、参加、聴講させていただきました。 南鱗師匠は、2002年(平成14)年の道元禅師750回大遠忌の折、講談「道元禅師のご生涯」を新作し、全国各地で公演され、好評を博した講談師です。 今年、大本山總持寺二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌予修法要、明年に650回大遠忌正当法要、さらに2024(平成36)年には瑩山紹瑾禅師700回大遠忌を迎えるにあたり、ご縁のある老師方から勧められ、瑩山禅師のご生涯を講談にしたとのことです。 講談の中には、懐奘さま、義介さま、寂円さま、瑩山さま、峨山さま、明峰さまなどの、僧侶にとっては馴染みのある祖師方のお名前がたくさん出て来て、さらに瑩山禅師さまのご活躍された時代の年号や訪れたお寺の名前、仏教用語などがこれまたたくさん出て来ます。 こうした中で、この南鱗師匠の講談によって、初めて瑩山禅師さまのご生涯について学ぶ檀信徒の皆さん方には、果たして祖師方相互間の人間関係などが理解できるのだろうか、などという疑問が頭の隅をちょっとかすめました。 坐禅は悟りの手段?
2月23日(日)15時〜16時30分に東雲寺仏教講座「『正法眼蔵随聞記』を読む」第19回を開催。その中で次のようなご教示を拝読した。
因ミニ問ウテ云ク、学人若シ「自己仏法ナリ、また外に向ツテ求ムベカラず。」と聞イて、深くこノ語を信じて、向来の修行参学を放下して、本性に善悪業をなして一期を過ゴサん、こノ見如何。 示ニ云ク、こノ見解、語と理ト相違せり。外に向ツて求むべからずと云ツて、行をすて、学を放下せば、行をもて求むる所有りと聞こえたり、求メざるにあらず。ただ行学本より仏法なりと証して、無所求にして世事悪業等の我が心に作したくとも作サず。学道修行の懶きをもなして、こノ行を以て果を得きたるとも、我ガ心先より求ムる事無クして行ずるをこそ、外に向ツて求ムる事無シと云フ道理には叶フべけれ。(『随聞記』第三巻十八章段) 以下に現代語訳を試みる。 そのときに〔懐奘さまが〕たずねて言った。修行者が、もしも「自己と仏法は別ものではない。仏法を外に向かって求めるべきではない」という教えを聞き、深くこの言葉を信じて、今までやってきた修行や坐禅を通して仏教を学ぶことをやめてしまい、生まれたままの心にまかせて善いことも悪いこともして一生を送ろうかという、このような考え方はいかがでしょうか。 〔道元禅師が〕教え示して言われた。そのような考え方は言葉と道理とに食い違いがある。「外に向かって求めるべきではない」と言って、修行をやめ、学ぶことをやめてしまうならば、それは坐禅修行を手段として、求める何か、〈さとり〉のようなものを求めていたということになる。求めないというわけではない。〔そうではなくて〕ただ修行も、坐禅を通して仏教を学ぶことも、それ自体が仏法であると身をもって実証し、何ら求めるところなく、世俗のことや悪い行いなどを心の中ではしたいと思ってもせず、学道修行に関してはやりたくないことであっても、あえて実践して、その修行の結果、何か得ることがあっても、自分の心では前もって求めることなく、坐禅修行することこそ、「外に向かって求めることがない」という道理に叶ったものだろう。 というようなご教示である。 この講座のあった23日の夜、講座の参加者Hさん(元・科学技術庁航空宇宙技術研究所主任研究官)から「講義を聞いて」と題したメールが届いた。 今日はありがとうございました。 今日のお話で「禅を手段とするのは間違いである」というのは、私のような人間には理解が困難です。理系研究者としてはこのような宗教人の論理には飛躍があってついてゆけません(というかついてゆきません)。 玄侑宗久氏(この人は寺の長男生まれというが種々な遍歴を経て出家しているようで、ガリガリの仏教僧とは思考法も違うように思われる)の『私だけの仏教』にはひとりひとり(日本人の枠がかかっているようだが)がそれぞれバイキング料理のように、あるいは八百万の神の国のように、自分で取り入れたものを自分の仏教であるとしてよいのではないかとしていますが、私の理解もそれに近いです。(後略) H氏のメールは長文で、後略した部分には東西の宗教の比較など、とても興味深い記述が続くものだった。それはそれとして、道元禅師の教えの根本である「修証一等(あるいは修証不二)」、すなわち〈修行〉と〈証悟=さとり〉とは等しく、〈修行〉と〈さとり〉はひとつということを私たちが会得、理解し我がものとするのはなかなか難しい。 それは私たちが「われ思うゆえにわれあり」とされる「デカルト的な思う心」の中にこそ「真実」があるという考え方に囚われているからだ(春日佑芳著『道元とヴィトゲンシュタイン』ぺりかん社、1989年)という。道元禅師は、仏としての行いをするとき、仏の境界、〈さとり〉の世界を目の当たりにするとお教えくださっている。仏さまのような行いをする人が仏さまのような心の持主だという、極めて穏当な考え方を核とする信仰なのだが・・・。
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