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道元禅師の教えに学ぶ
毎月第4日曜日午後、『正法眼蔵随聞記』を読みながら、道元禅師の教えを学んでいます。 今回は『正法眼蔵随聞記』第4巻第4章段「学道の人は尤も貧なるべし」を含むいくつかを取り上げました。 この第4巻第4章段には「人をば殺すとも人には殺サれじなんどと思ふ時こそ、身もくるしく、用心もせらるれ。人は我レを殺すとも我レは報を加へじと思ヒ定めつれば、先づ用心もせられず」という教えがあります。 これを意訳すれば、道元禅師は「たとえ自分が人を殺すようなことになっても、他の人には絶対に自分は殺されたりすまいなどと思っているときには、身体的にも苦しい思いをするだろうし、心も休まらないのである。他の人に私が万が一殺されるようなことがあっても、私はその仕返しをしないと心に決心すれば、まず心を悩ますことなく安らかである」とお教えくださっています。 これを、私の尊敬する禅僧のひとり、南直哉師は「仏教は反戦ではなく、非戦だ」と解釈されています。私もその通りだと思っています。 「仮想敵」の影をちらすかせ、親しくして助け合うべき隣国をさも恐ろしい存在であるように言いふらし、私たちを目くらましして不安を煽り、着々と軍備増強に向けて行動し、憲法解釈を強引に変更して「平和憲法」を骨抜きにし、さらに「憲法改悪」をして戦争への道を進もうという考えの人たちの発言が繰り返えされている昨今ですが、道元禅師の教えをいただく私は「いかなる戦争にも反対」です。戦争に向けて何かしようとするあらゆる人、あらゆることがらに対し、私は「否」と言い続けます。 殺し合うための準備をする予算、軍備増強の予算などはいらない。今日の地球にそんな余裕はない。そういうものを平和のために、人びとの幸せのためにふり向けてほしいと思っています。 狭山集会
全国各地から石川一雄さんの無実を訴え、再審開始を訴えるため、東京の日比谷野外音楽堂に集まった人たち。この写真は大熊氏が写メールで送ってくださいました。 狭山集会
映画監督の大熊照夫氏が送ってくださった写真です。 「狭山事件」の再審開始を要求します
本日、5月23日日比谷野外音楽堂で、狭山事件の再審開始を求める集会が開催されています。
毎年、この集会に参加しておりましたが、今年は所用があって欠席。 袴田事件で再審開始の決定が出ての今回の狭山集会ですから、いつもより力が入ってデモができたように思うんですが。残念です。 袴田事件では証拠がねつ造されていたことが明らかになっています。 狭山事件でも、屋根裏やら床下まで調べる徹底的な二度にわたる家宅捜索で見つからなかった、被害者のものとされる万年筆が、三度目の捜索で、いとも簡単に玄関近くの鴨居の上から見つかり、その万年筆の中のインクが、被害者が学校で書いていたインクと種類が違っていたという、あまりにも不思議な証拠品の発見のされ方に、普通の市民感覚なら、おかしいと思うはずが、被害者が下校途中でインクを詰め替えたかもしれないなどという、おかしな理由で証拠品になってしまっています。 その他の証拠品も、強要された「自白」と事件現場や遺された物証などが、そもそも食い違いだらけのおかしな事件なのですから、石川一雄さんは、でっち上げられた「犯人」であり、無罪であると、私は確信しています。 東京高等裁判所は再審開始を決定し、すみやかにあたりまえの裁判を行いさえすれば、石川さんの冤罪はすぐにでも晴れるはずです。 どうぞ、無実の罪で永年苦しんでいる人が、私たちの周辺にいることを知ってくださり、ご理解とご協力をお願いします。 2014年5月23日 東雲寺裡 柚木 祖元 拝 東雲寺の本寺・雲松院さまの先住忌法要
5月21日、横浜市港北区小机町の雲松院31世内野陽洲大和尚さまの13回忌法要が行われ、参列焼香いたしました。 若竹の朝露?
雨上がりの朝ではありません。 晴れ続きの中、5月9日午前7時11分に撮影したものです。 東雲寺の客殿前の四角のコンクリート枠内に植えてある竹に今年は三本の筍が出て、それらを伸ばして竹にしようと思っています。(なお、枠外に出た筍二本は食糧になりました。) 朝、庭掃除に出ようとすると、若竹の枝々に大粒の水滴がありました。 この写真の手前の枝、ちょっとピンボケですが、こんな感じの水滴が、若竹の各枝々にたくさんついていました。 筍は10日で一人前の竹になるので、「竹」冠に、10日間の意味の「旬」がついて、筍なのだと言います。 正確に計ったことがないけれど、経験的に言うと筍は一日に30〜40センチくらい伸びます。 それくらいに成長が早く、土中の水分をぐいぐい吸い上げているわけでしょうから、それが水滴になっているのでしょうか。 日本仏教史研究の50年
日本の仏教各宗派において祖師方の行業を中心としたような、護教的な宗門史のようなものの「研究」は古くからあったが、仏教史が学的研究の対象になったのは80年〜50年くらい前とのこと。 対談の中で、1930年代の辻 善之助の「堕落していた近世仏教」という指摘に対する評価、また一方で、当時、軍部とつながって潤沢な研究資金を集めていた平泉 澄の皇国史観などの話があった。 辻 善之助のもとに圭室諦成(圭室文雄先生のお父上)、伊藤多三郎(圭室文雄先生の先生)などがおられて、戦前の日本仏教史研究が行われていたという。 戦中期には、家永三郎や笠原一男が活躍。家永は宗派を排除した仏教史、思想史を研究、晩年は「教科書裁判」に力を注いでいた。笠原は、幅広い研究者でありながら、編集者や出版社と若い研究者とをつなぐ働きをした。笠原の言葉で記憶にあるのは、50歳までは歴史学者として研究に力を注ぎ、50歳を過ぎたら思想家になりなさいということを言っていたことだ。 戦後は、日本仏教研究会、宗教史研究会などのメンバー(歴史学、宗教学、民俗学まど)によって学際的な研究が行われ、優れたさまざまな成果を残した。 出版においても評論社の『日本人の思想と行動』シリーズの刊行、吉川弘文館『日本宗教史研究叢書』、佼成出版社『アジア仏教史』などのそれぞれ特色のある書籍の刊行がおこなわれた。 こうしたことに圭室文雄先生や中尾 尭先生が関わってこられ、さまざまなエピソードを交え対談された。 以上の文章は、メモせずに聴いていた柚木の聞きかじりの記憶であり、的確でないと思われます。当日、ICレコーダーで録っているので、後日、確認して少しはまともな記事にします。それまで、この不正確な文章でお許しください。 圭室先生が仏教史研究を振り返りつつ対談
2014年5月10日(土)14時45分〜17時15分、東京都世田谷区の駒澤大学中央講堂において、林 淳先生(愛知学院大学教授、日本近代仏教史研究会会長)の司会進行で、中尾 尭先生(立正大学名誉教授)と圭室文雄先生(明治大学名誉教授)が、「日本仏教史研究の50年」というテーマで対談を行いました。 東雲寺境内墓地の掃除
一昨年から毎年この時季と7月のお盆前、9月のお彼岸前の三回、町田市シルバー人材センターから来ていただいて、東雲寺境内墓地の清掃を行っています。植木の刈り込み班の方たちが7、8人で2、3日間。その後、除草班の方たちがやはり7、8人で4、5日間、境内墓地全体の掃除をしてくださっています。 かつてはお寺の近所の有志の方たちにお掃除をしていただいてましたが、高齢化やさまざまなご事情で墓地掃除ができなくなり、そのためシルバー人材センターに派遣をお願いして掃除を実施しています。
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