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2016年文化講座の最終講義「可睡斎の歴史」開催
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圭室文雄先生の講義に大勢の檀信徒の皆さま、圭室先生のゼミOB宮代さんらが聴講しました。


2016.09.25 Sunday 20:22
東雲寺あれこれ comments(0)
豪栄道関が優勝
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大相撲9月場所14日目を観戦。


2016.09.25 Sunday 13:15
住職雑感 comments(0)
峯岸先生を送る

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  駒澤大学名誉教授の故峯岸孝哉先生の通夜、葬儀が9月22日、23日に横浜市神奈川区の本覚寺斎場で行われた。
  峯岸先生の駒澤大学時代の同級生である高輪泉岳寺住職・小坂機融老師、群馬県沼田市迦葉山龍華院住職・羽仁素道老師、宮本延雄先生(元駒澤大学理事長)をはじめ「駒澤大学三一会(昭和31年度卒業生の同級会)」やその関係者。圭室文雄先生(明治大学名誉教授)や井桁碧先生(筑波学院大学教授)、門馬幸夫先生(駿河台大学教授)などの研究者仲間。駒澤大学関係では廣瀬良弘学長ほか洗建、皆川廣義、石井修道、佐藤憲昭、永井政之、石井清純、佐藤秀孝、熊本英人、飯塚大展などの先生方。曹洞宗宗務庁関係では深澤信善師(元全日本仏教会事務総長)、衣笠晃暢師(教学部指導課長)、我孫子高宏師(人権擁護推進本部事務局長)。さらに峰岸先生が寮監当時の寮生・佐々木正悦師(秋田県)や設楽正流師(群馬県)、教え子の旭徹彦師(新潟県)、林俊英師(峯岸先生葬儀事務局)などが、遠近より駆けつけ参列焼香された。
  ご葬儀の中で、三一会を代表され宮本先生、研究者仲間の門馬先生のお二人が弔辞を読まれた。葬儀の締めくくりには葬儀委員長の愛知学院理事長・中野重哉師、喪主・峯岸俊哉氏(先生の甥)が挨拶した。   

  のべ四百名を超す参列者の中で先生のご逝去を一番悲しんでいたのは、二十年以上も先生の身の回りのお世話をしていた割烹「花しん」の老川文枝さんだったろう。拙は、文枝さんの話に耳を傾けながら、先生が亡くなられた9月15日から23日の葬儀、荼毘(火葬)収骨まで、峯岸先生のご遺言で、葬儀事務局長を務めた。
 

  峯岸先生は、1933(昭和8)年9月20日、群馬県藤岡市の泉通寺住職・峯岸順應師の三男として誕生。1957(昭和32)年3月駒澤大学仏教学部卒業、翌々年3月、同大学院修士課程修了。同年4月〜1964(昭和39)年3月および1969(昭和44)年4月〜1973(昭和48)年3月、曹洞宗宗学研究所研究員。1964(昭和39)年3月、駒大学生寮寮監、その後に学生部学生課長を経て、1967(昭和42)年に専任講師就任以来、助教授、教授を歴任。2004(平成16)年3月に定年退職。
  以下に宮本先生の「弔辞」を掲げる。

 

  峯岸孝哉さん。
あなたが亡くなったと知らされ耳を疑いました。信じられませんでした。訃報の三日前、久しぶりに電話であなたの独特の語らいを交えて話し込みました。その時間はかれこれ20分くらいだったと思います。この今年の夏もたいへん暑い夏でした。その猛暑の夏に2ヵ月入院したので、体力をつけるために、今、リハビリをしているのだと、とてもハリのある声で話してくれたので、私はホッとしておりました。よもや三日後に訃報の知らせを受けるとは。愕然としました。無念です。
  あなたとの出会いは大学に入学したときでした。63年前のことです。
あなたは曹洞宗宗学研究所修了後、母校に勤め、教員として学生教育はもとより、南寮の寮監、道憲寮の寮監、また当時、学園紛争であったときの大変な時期に学生課長に就任して、四六時中、学生の生活相談や悩みを聞き、指導し、多くの学生を育成して立派に社会人に育てられました。その功績は大なるものがあります。卒業生の多くは、それぞれの世界で今や重鎮として社会貢献し全国で活躍されております。
  あなたが学生課長のころ、同期の会「三一会」設立の機運が熟しました。羽仁素道師、小坂機融師、大竹明彦師などを中心として、あなたとともに設立発起人となったことで交流が深まりました。
  峯岸さん、あなたの専門は日本中世禅宗史でしたが、あなたを語るとき、忘れてはならないことがあります。それは趣味の域を超えた趣味の数々です。釣り、ハイキングはもとより、特に詳しかったのは日本酒、桜、寿司でした。それらの蘊蓄はいずれも専門家はだしでした。博学博識の人でした。
  峯岸さん。あなたはある時、私に言いました。
  公的な仕事から解放されたら宗学を基盤として日本人の宗教観をライフワークとして究め、道元禅師像をまとめてみたいと。熱く語ったことを覚えております。ところがその直後、あなたは突然病魔にとりつかれ、12年あまりの闘病生活を余儀なくされ、とうとう帰らぬ人となってしまいました。残念無念です。わが友、峯岸孝哉さん、淋しいです。悲しいです。悔しいです。痛恨の極みです。謹んで哀悼の誠を捧げ、惜別の言葉といたします。ご冥福をお祈りいたします。長年の友情ありがとう。さようなら。合掌。
   平成28年9月23日  駒大三一会 宮本延雄

 



2016.09.25 Sunday 13:12
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追悼 峯岸孝哉先生

 9月15日(木)午後3時半ころ、名古屋の中野重哉師(学校法人愛知学院理事長・横浜市宗興寺)から電話があった。峯岸孝哉先生(駒澤大学名誉教授)が心肺停止との連絡が老川文枝さんからあったという。その直後、横浜保土ケ谷中央病院にいた文枝さんから電話があり、峯岸先生が亡くなった、明日、高輪の泉岳寺・小坂機融先生のご招待で昼食の約束があるが、電話番号が手許にないので、柚木から断りの連絡をしてほしいとのことだった。混乱した頭で文枝さんの指示通りに泉岳寺さまにお知らせした。
  小坂先生と峯岸先生は同級生であり、同じ2004(平成16)年3月に駒澤大学の教員生活を終えている。この退職を前にした時期に峯岸先生が書いた「在職40年の想い出」(『駒澤大学学園通信』254号、2004四年1月)という短い手記があるので紹介する。

 

   田舎育ちの少年が、入学以来今日まで約半世紀、本当に駒澤にはお世話になったと感じている。この間、恩師・多くの先輩・同輩・友人に囲まれて、ここまで歩いて来れたのは倖せであった。
   昭和三十九年、東京オリンピックの年、私は学寮の寮監として勤めた。六年間の寮生との対話は今でも懐かしい。
   このあと学生部に移った。いわゆる「七〇年安保」と呼ばれた激しい学生運動に本学も巻き込まれた時期である。まさにまだ「アサ」か、まだ「ヒル」かと感じて過ごした二年間であった。破られた背広を大学が新調してくれたことを想い出す。このあとは学部に移り、研究と教育に専念出来たのはありがたかった。
   寮監在職中、刷新委員会の事務局幹事を務めたことがあった。創立九十周年事業にも紹介されているので説明はしないが、大学とは何かについて認識を深めることが出来たし、一方でこれで一般大学並みになったと強く感じた。法学部野田先生、文学部木代先生のご活躍が偲ばれる。
   研究者の出発点と今日の関心については、「人権と仏教」・「日本人にとっての仏教」について強い関心を持っている。「このあとどうするの」とよく聞かれるが、これからが本当の自分の時間だと思っているのも事実である。重ねて教職員の皆様にお礼申し上げ、在校生諸君のご活躍を切に祈ります。

 

 実は、峯岸先生は駒澤大学定年退職後、「これからが本当の自分の時間」と思っていた、その矢先に脚にむくみが出て、病院で診てもらうと腎臓の機能低下。その結果、火木土曜と週三回の人工透析の生活を送ることになった。
 この透析のための病院への送迎や食事制限、服薬などをはじめ、先生の生活全般にわたって、心配りをしてくださっていたのが、老川文枝さんである。文枝さんは、相鉄線「上星川」駅前のうなぎと天ぷらの店「花しん」のママさん兼板前さん。「花しん」の常連客の筆頭のような人であり、ママさんの後見人のような存在だった峯岸先生への恩返しだ、と文枝さんが言っていた。
 9月15日、峯岸先生は病院での透析を終え、馴染みの八百屋さんで買い物をして帰路につき、自宅前で文枝さんの車から降り、十歩ほど歩いたところで立ち止まる。発作。文枝さんが駆け寄って先生の後ろから支えると同時くらいに崩れるようにへたり込む。先生を抱えながら文枝さんはご近所の方たちに救急車の手配を依頼。救急車到着時には心肺停止、病院で死亡が確認された。
 わたしは四十年ほど前から峯岸先生の知遇を得て、公私にわたりご指導をいただいて来た。東雲寺坐禅会三十周年記念で特別講演をお願いしたこともあった。拙が幹事を務める「峯岸先生を囲む会」では花見、暑気払い、忘年会、箱根旅行などを続けて来た。その「囲む会」の諸先生方や友人たちなどに峯岸先生の訃報を伝えた。
 8月28日の東雲寺文化講座「妙厳寺の歴史」に、峯岸先生は老川さんとともに出席された。講座終了後に講師の圭室文雄先生を囲み一時間ほど懇談したのが、先生とお会いした最後となった。 

 

 通夜、9月22日18時から、葬儀は翌23日11時から横浜市神奈川区高島台 本覚寺斎場を会場に行われる。葬儀委員長は中野重哉師(愛知学院理事長)、喪主は峯岸俊哉氏(故人の甥)。



2016.09.19 Monday 16:19
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彼岸花が咲きました
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今年は、例年より少し早く?彼岸花が咲きました。


2016.09.13 Tuesday 08:34
東雲寺あれこれ comments(0)
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