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露の新治師匠が朝日新聞「ひと」欄に掲載されました
朝日新聞2017年1月29日(日)朝刊に「ひと」欄に露の新治師匠がとりあげられました。人権高座30年に取り組みが評価されてのことです。 東雲寺仏教講座「『典座教訓』を読む」を開催
1月22日午後2時から東雲寺本堂において、仏教講座「『典座教訓』を読む」第6回を開催いたしました。 今回、取り上げたところには、さまざまなエピソ−ドが下敷きになっている説示が多く、そうした逸話のいくつかを以下に紹介します。
潙山踢瓶(いさん てきびょう) 潙山霊祐が百丈の典座だったとき、俗人の弟子・司馬頭陀(しばずだ)の意に契って大潙山に住することになり、百丈も霊祐に委嘱した。これを聞いて訝る上席の華林善覚に百丈は浄瓶を指し、「これを浄瓶と呼んではならんとすれば、なんと呼ぶか」と問うた。華林は「木切れとはいえません」と返答したが、霊祐は浄瓶を蹴飛ばして出て行ってしまった。
洞山麻三斤(とうざんまさんぎん) 麻三斤は、一着分の、よった麻糸の分量。仏とは何かの問いに仏の衣の反物で答えたもの。麻三斤で仏の真実を何の抵抗もなく示したところに洞山守初の仏法の円熟振りがある。 (禅学大辞典)
阿育王の前生譚(あいくおうのぜんしょうたん) お釈迦さまが阿難を連れて王舎城で乞食の修行していたとき、沙(砂)遊びをしていた徳勝童子と無勝童子の二人が、お釈迦さまの姿を見て喜び、徳勝童子はお釈迦さまに沙を糗に見立てて供養し、無勝童子は随喜し合掌し偈を唱えた。お釈迦さまは阿難に「この童子は私の入槃涅槃して百年後に、阿育という転輪聖王になり、仏の教えをもって国を治め、多くの仏塔を建立して供養し、衆生を安楽にするであろう」と予言し、童子から供養された沙をお釈迦さまが経行するところに塗って敷きつめるように指示した。
長者窮子(ちょうじゃぐうじ) 家出をして長い間放浪し困窮した男「窮子」を、父親である長者が見つけ、彼を掃除人として雇い入れ、次第に後継者としてふさわしい人物に育成した後に、父親であることを明かして財宝を譲る。仏が機の熟するのを待って衆生に教えを説いて救うことにたとえたもの。
永代供養、東雲寺の納骨堂
写真右側、新しく建立された納骨堂。 なお、写真左側は有縁無縁三界万霊供養のお地蔵さま。
永代供養観音像建立の経緯については「東雲寺永代萬霊供養観世音菩薩建立」(2010年5月)の記事をご覧ください。 横浜のホテルから
本寺年賀拝登の後、ホテルの30階にあるレストランで新年懇親会 東雲寺の本寺・雲松院の年賀拝登
東雲寺の寺紋「丸に三つ柏」は本寺・雲松院の寺紋でもあり、それは開基家の笠原氏の家紋という因縁のようです。 納骨堂落慶法要を修行
1月12日11時より東雲寺境内墓地内に建立された納骨堂の落慶開眼法要を修行しました。 東雲寺檀信徒総代・世話人の皆さまにご参列いただき、柚木祖元住職と責任役員の功雲寺ご住職・敦岡祖雄老師が開眼法要を勤めました。 東雲寺の総代さん世話人さんの新年祝祷諷経
新年初顔合わせで、お檀家さん方の家門繁栄をお祈りしました。 東雲寺境内の紅梅が咲き始めました
昨日、寒風の中、紅梅がほころんでいるのに気付きました。 本日、年始挨拶で成瀬地区を回りました
成瀬地区のお檀家さん廻り。オートバイで一筆書きのように旧成瀬村内のお檀家さんたちのお宅を次々と年始の挨拶回りで約28キロメートル、時間は7時20分出発で13時25分帰宅の約6時間。
12時30分ころお訪ねした成瀬四丁目のお檀家さん宅の庭に咲く梅。満開です。早咲きの品種なのでしょうか。
とてもきれいでしたので携帯電話で写真撮影しました。
人の世に熱あれ 人間(じんかん)に光りあれ
新しき年を迎えて希望し念願することは、今年は少しでも前向きな年になるように、である。
意訳を試みる。
自分のこともよく分からないのに、他人さまの欠点をあれこれあげつらうようなことを言ってはいけないし、理由にならないような理由での区別、すなわち差別してはならないというのだ。
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