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法句経を読みました

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12月からの東雲寺仏教講座は、最古の原始仏典『法句経』を読み始めました。

 

   第一章 ひと組ずつ

1  ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。    車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように。

 

2  ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。    影がそのからだから離れないように。


3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨(うら)みはついに息(や)むことがない。

 

4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)む。


5  実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

 

6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう。    このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。


7  この世のものを浄らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。    弱い樹木が風に倒されるように。

 

8  この世のものを不浄であると思いなして暮し、(眼などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。    岩山が風にゆるがないように。

 

9  けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制が無く真実と無いのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。 

 

10   けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。▼

 

11 まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことでないものと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(まこと)に達しない。

 

12   まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実(まこと)に達する。

 

13    屋根を粗雑に葺(ふ)いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。

 

14    屋根をよく葺(ふ)いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心を修養してあるならば、情欲の侵入することが無い。
 



2017.12.25 Monday 20:47
仏教の教え comments(0)
反戦平和も仏教の教え

 12月6日の朝、鐘楼堂周辺の庭掃きをしているとき、曹洞宗人権擁護推進本部のKさんからお電話をいただいた。Kさんによると、東雲寺坐禅会に参加したSさんと名乗る方から人権擁護推進本部へクレームの電話があったというのだ。その内容は、東雲寺の「坐禅会たより」の左端に記している

 

 「憲法の改悪、強引な憲法解釈の変更などによって日本を『戦争のできる《普通の国》』にすることに反対です。平和憲法を護りましょう」

 

 という文章や「町田南地域九条の会」(かつての南多摩郡南村のエリアの九条の会)の会報を受付机上に置いていることに対し、「無になるために坐禅をするのに、政治的なことをしているのはおかしい」というような趣旨だったそうだ。
 Kさんが、直接あなたが東雲寺住職に話してはどうですかと応答し、さらに仏教の基本的な教えの中に戦争に反対する考え方があるというようなことを話すと、そんなことを言っているからダメなんだと怒られてしまったという。そこでKさんが、とにかく東雲寺の住職にはこのような内容の電話あったということだけは伝えると約束して受話器を置いたそうである。
 庭掃除を終えてから、東雲寺坐禅会の芳名録を調べてみたが、そこにSさんという名前、それに似た氏名はなかった。Sさんという檀信徒の方も東雲寺にはいない。私の方からこの方へ連絡をとる方法が今のところないので、このブログでSさんという方の苦言?に応えたいと思う。

 

 まず、戦争に荷担し、荷担させられてきた宗教、仏教の歴史的な事実がある。私(1951年生まれ)は戦争経験者ではないが、戦場で亡くなった方のご遺族や傷ついて復員してきた父親をはじめ多くの体験者の話を聞いて来た。また、戦中戦後、きびしい生活を強いられた母親はじめ多くの戦争体験者の話も耳にしている。そうしたことから、次代、次々代などの人たちが戦争で苦しむことのないようにと思って、憲法の平和主義、国民主権、基本的人権の尊重の三原則を護り、さらにこれらを全世界に広めていくべきではないかと思っている。これはかけひきや権力闘争などの政治的なことではなく、きわめて宗教的な課題「人の幸せ」に深く関係することと私は信じている。

 また、2005年12月から東雲寺境内の掲示板に

 

 「仏教徒の願い―どのような《理由》の戦争にも反対です。武力によって平和な世界が創り出せるなどというのは誤りです。平和的な解決を求めます」

 

 というメッセージを貼り出して来た。このポスターを見た「町田南地域九条の会」の方から、呼びかけ人の一人になってほしいというお誘いがあり、あまりお力になれないがと申し上げながらお請けした。
 ご承知のように九条の会は、井上ひさし(作家)、梅原猛(哲学者)、大江健三郎(作家)、奥平康弘(憲法学者)、小田実(作家)、加藤周一(評論家)、澤地久枝(作家)、鶴見俊輔(哲学者)、三木睦子(国連婦人の会会長、元総理夫人)の九名の方たちが呼びかけて始められた運動である。私は九条の会発足当初よりそのとりくみに注目していた。思想、信条、宗教、支持政党などの垣根を越えて憲法九条を護ること一点を目的にした個人加入の草の根の運動だ。興味のある方に会報を持っていっていただきたいと思い、受付机上に置いている。

 

 それから「無になる坐禅」については、道元禅師が「息慮凝寂(そくりょぎょうじゃく=思慮を息(や)めて、無意識になること)」の坐禅は正しく伝えられて来た坐禅ではないと明確に否定されている。折に触れて私が坐禅会参加者の皆さま方にくれぐれも勘違いしないようにご注意申し上げて来たことである。

 

 話しは変わるが、12月24日(日)15時から東雲寺仏教講座を開催する予定である。この回より『法句経(ほっくきょう)』を読もうと思っている。これは原始仏教教団の中にあって、いろいろな形で伝えられていた詩を集めたもので、編集時期は紀元前4〜3世紀、仏教経典中最古の経典の一つである。お釈迦さまの「真実の言葉」が記されているとされており、この経典に

 

 「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」

 

という教えがある。これは戦争反対に通じる教えだと思う。



2017.12.17 Sunday 09:25
人権・平和・環境 comments(0)
そもそもなぜ葬儀をするのか

   2017年10月23日(月)14時から港区西麻布の大本山永平寺東京別院長谷寺で、国立歴史民俗博物館民俗研究系准教授の山田慎也氏を招いての研修会があった。概要を報告する。(文責、柚木)
 山田氏は大学院時代から和歌山県などで葬儀の手伝いをしながら聞き取り調査をして来た。90年代前半までは山田氏も近所の方たちに交じって葬家に入り、納棺や葬儀の準備、手伝いをすることができたが、90年代後半には葬儀のすべてを葬儀社に任せる形に変化した。
 私たちは自分で体験できない「不可知の死」を他者の死を通して受け容れるのだが、葬儀とは生者と死者を区分し新たな関係を構築することである。土葬や火葬によってご遺体の形を変え、恐怖や悲嘆を宗教儀礼によって癒やしていく。先祖になり、ホトケになるということで死の意味づけをし、最初に焼香するのが喪主ということなどで、社会的な役割を再分配する。それが遺産相続などにもつながっていく。
 かつての葬儀は生活空間である家から寺へ、寺から墓地へ遺体を運ぶ野辺送りが中心だった。その過程、過程で読経が行われた。今日でも行われている式次第の臨終諷経(りんじゅうふぎん〈枕経 まくらぎょう〉)、剃髪(ていはつ)、授戒(じゅかい)、入龕諷経(にゅうがんふぎん)、大夜念誦(たいやねんじゅ)、挙龕念誦(こがんえんじゅ)、引導法語(いんどうほうご)、山頭念誦(さんとうねんじゅ)、安位諷経(あんいふぎん)が実際に行われた。
 江戸時代から重視されていた葬列が明治期に華美、高額となって批判がおこった。中江兆民は「葬儀無用」と遺言したが、近親者などが無宗教の告別式を行い、約1000人が参列した。
 葬列に加わることが参列だったのだが、告別式の普及によって、参列者は現地集合し焼香して解散という形に変わった。
 自宅からお寺、そして墓地へという移動をやめて自宅告別式が行われるようになった。最初は棺を運ぶ輿を安置し、その前で葬儀が行われていた。大正、昭和初期からは祭壇が設けられるようになり、遺影が飾られるようになった。このころから葬儀は死者をあの世に送るということよりも、国葬や市町村葬、社葬などで現世での功績を称える、生前の総決算の場になった。
 戦後の葬儀は引導作法の行われる葬儀と告別式が一体化し、家的葬儀よりも社会的葬儀となり、会葬者も増加、お通夜が告別式化していった。そして地域共同体に代わって葬儀社が葬儀を行うようになる。
 現在、葬儀の簡略化が進み、七日七日の法要や百ヵ日忌が行われなくなり、儀礼の意味も分からなくなっている。僧侶も葬儀に部分的にしか関与せず、一方で戒名のインフレ化がおこり、経済取り引きのようなことが批判されている。
 バブル崩壊後、少子高齢化が進み、終末期医療の長期化によって経済的に困窮するとか後継者がいないなどの問題が顕在化し、会葬を辞退する「家族葬」、通夜なしの「一日葬」、儀礼を必要としない「直葬」が出現。関西では火葬場から遺骨を持ち帰らない「〇葬(ぜろそう)」もある。さらに「散骨」「樹木葬」などが行われ、既存の墓も「墓じまい」して「永代供養墓」への合祀がなされている。こうした状況は都市から地方へ広がっていく。
 そもそもなぜ葬儀をするのかを皆で考えなければいけない。「死」を認識できるのは人間だけだ。大津波ですべてを流された高齢者施設の前にジュースが供えられ、事故現場にたくさんの花が供えられている。仏壇に食べ物を供える。死者がジュースを飲むのか、食べ物を食べるのか、と聞かれたら、誰も飲む、食べるとは言わない。けれども、その供えてしまうメンタリティ。これこそが死者を思う一つの原点であり、死者儀礼の基本だろう。そうしたことをどうやって改めて現代の葬儀の中で認識し、認識させていくのか。つまり「死」の意味づけということが必要である。そのときに僧侶への信頼というものも問われてくる。一般の人々と僧侶とが疎遠になっており、対話を通して相互に理解し合うことが必要だ。
 家的葬儀が限界を迎え、「家族」自体も限界に来ている。死者を追悼し、死者と生者とのつながりを改めて作り上げていく死者儀礼が必要。そこに宗教者が果たすべき大きな役割がある。



2017.12.10 Sunday 14:21
曹洞宗あれこれ comments(1)
今朝の霜柱
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手がかじかむような朝、境内墓地を掃除していますと、落葉が氷ついており、霜柱が7、8センチ。寒いはず。


2017.12.10 Sunday 14:04
東雲寺あれこれ comments(0)
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