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東雲寺茶室裏手の桜
東雲寺境内墓地の桜
もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である
もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。『法句経』63詩
3月25日(日)15時〜16時30分、東雲寺仏教講座「『法句経』を読む」第4回を開催。 中村元訳『ブッダの真理のことば、感興のことば』(岩波文庫)の第4章「花にちなんで」51詩から第5章「愚かな人」72詩までを友松圓諦訳『法句経』(講談社学術文庫)邦訳や現代語訳、さらに同師の『法句経』(講談社)に収録されている漢訳、その読み下しを読みくらべながら、仏教の教えを学んでいる。 自ら未熟で愚かである。私には学ぶことがまだまだある、あらゆる人やものごとから学びたいと思っているならば、そういう人を賢いと言うのだ。その逆に、自分は賢い、何でも知っている、もう学ぶことがない。そして自分以外の人々は愚かだ、と思っているようなひとは、本当の愚か者だということだろう。 話は変わるが、映画『男はつらいよ 寅次郎 真実一路』(1984年12月)に「蒸発」した夫を捜す人妻(大原麗子)とともに旅する中で、人妻に心惹かれる自身を「醜い」と言う寅次郎に、妹さくらの夫・博が「にいさん、己の醜さに気づいている人間は決して醜くありません。本当に醜いのは自分の醜さに気づいていない人間です」と慰める場面がある。 私は、『法句経』63詩の教えを読んだ瞬間に、寅さんの前述の「自覚」を思い出し、それは『法句経』の教えに通ずる「真実」を言っているに違いないと思った。
東雲寺境内の桜が三分咲き
今日は雪ですが、晴れた春彼岸の本堂には
晴れた春彼岸の時季には、こんなふうに日没時の夕陽の光が本堂内に射し込みます。 お彼岸に東雲寺がパワースポットに
お彼岸とは、ご存知のように春分・秋分の日をお彼岸の中日とし、その前後各3日間、合わせて7日間の「仏教週間」である。
「波羅蜜」といふは、彼岸到なり。彼岸は古来の相貌蹤跡にあらざれども、到は現成するなり、到は公案なり。修行の彼岸へいたるべしとおもふことなかれ。彼岸に修行あるがゆゑに、修行すれば彼岸到なり。この修行、かならず偏界現成の力量を具足するがゆゑに。
意訳すると「波羅蜜(梵語 pāramitāパーラミターの音訳、〈到彼岸〉〈度〉と意訳する。一般的には迷いの世界から悟りの世界へ到達するという意味)というのは彼岸が到来していることである。彼岸はこれまで心のはたらきによって存るものと見て来た姿形や跡形ではないけれども、彼岸の到来が現前に成就するということであり、到来しているのは普遍的な真理である〈さとり〉の世界である。坐禅を中心とした修行によって彼岸に到達するのだろうと思ってはならない。彼岸にあって坐禅修行しているのだから、坐禅を中心とした修行すればそこに彼岸が到来しているのだ。この坐禅修行は、必ず普遍的な真理である〈さとり〉の世界が現前に成就する力を具えているからである」というような意味の教えだと思う。 東雲寺境内の桜が開花
東雲寺庫裏二階ベランダに出てみましたところ、桜が開花していました。 東雲寺の桜が開花?
東雲寺の標準木?はまだつぼみですが、誰かに似てオッチョコチョイの桜が一輪咲いています。 白木蓮
もうすぐ桜が咲くのでしょうが、今、境内の白木蓮や椿、ミツマタなどの花が楽しめます。 庭のサンシユの木
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