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東雲寺茶室裏手の桜
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2018.03.26 Monday 18:05
東雲寺あれこれ comments(0)
東雲寺境内墓地の桜
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2018.03.26 Monday 18:02
- comments(0)
もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である

 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。『法句経』63詩

 

 3月25日(日)15時〜16時30分、東雲寺仏教講座「『法句経』を読む」第4回を開催。

 中村元訳『ブッダの真理のことば、感興のことば』(岩波文庫)の第4章「花にちなんで」51詩から第5章「愚かな人」72詩までを友松圓諦訳『法句経』(講談社学術文庫)邦訳や現代語訳、さらに同師の『法句経』(講談社)に収録されている漢訳、その読み下しを読みくらべながら、仏教の教えを学んでいる。

 自ら未熟で愚かである。私には学ぶことがまだまだある、あらゆる人やものごとから学びたいと思っているならば、そういう人を賢いと言うのだ。その逆に、自分は賢い、何でも知っている、もう学ぶことがない。そして自分以外の人々は愚かだ、と思っているようなひとは、本当の愚か者だということだろう。

 話は変わるが、映画『男はつらいよ 寅次郎 真実一路』(1984年12月)に「蒸発」した夫を捜す人妻(大原麗子)とともに旅する中で、人妻に心惹かれる自身を「醜い」と言う寅次郎に、妹さくらの夫・博が「にいさん、己の醜さに気づいている人間は決して醜くありません。本当に醜いのは自分の醜さに気づいていない人間です」と慰める場面がある。

 私は、『法句経』63詩の教えを読んだ瞬間に、寅さんの前述の「自覚」を思い出し、それは『法句経』の教えに通ずる「真実」を言っているに違いないと思った。

 



2018.03.25 Sunday 21:23
仏教の教え comments(0)
東雲寺境内の桜が三分咲き
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2018.03.25 Sunday 14:31
東雲寺あれこれ comments(0)
今日は雪ですが、晴れた春彼岸の本堂には

 晴れた春彼岸の時季には、こんなふうに日没時の夕陽の光が本堂内に射し込みます。



2018.03.21 Wednesday 16:24
東雲寺あれこれ comments(0)
お彼岸に東雲寺がパワースポットに

 お彼岸とは、ご存知のように春分・秋分の日をお彼岸の中日とし、その前後各3日間、合わせて7日間の「仏教週間」である。
 東雲寺では毎日夕刻に大梵鐘を9回撞いている(曹洞宗では「9声」という数え方、言い方をする)。かつては春彼岸の中日から夏時間ということで午後5時半に、秋彼岸の中日から冬時間ということで4時半に鐘を撞いていた。10数年前からだと思うが、町田市の子ども生活部児童青少年課から「愛の鐘(梵鐘)の打鐘時刻変更のお願いについて」という協力依頼があり、防災行政無線のチャイム放送と同じ時刻に合わせ3月1日からは5時半、10月1日からは午後4時半に鐘を撞くようにしている。外で遊んでいる子どもたちに暗くなる前にお家に帰りなさいということのようだ。


 毎日夕方、鐘撞きに行く前に本堂の戸締まりをしながら、釈迦誕生仏堂の扉を閉じて鍵を掛けるため本堂を横切る。このとき、境内や参道の桜に木の葉がない春彼岸の時季に限られるが、東雲寺の表参道の方に目を向けると、真西に伸びる参道の先に夕陽が沈むのが見える(写真、東雲寺の表参道の先に夕陽が沈む)。反対方向の本尊さまをお祀りする須弥壇の方へ視線を移すと、本堂のガラス戸からまっすぐに陽の光が射し込んで真正面から照らされていて、東雲寺の本堂が真西向きに建てられていることを実感する。けれども、つい先達てのことだが、地元成瀬のことに関しては自他共に認める〈物知り〉の方から「東雲寺が西向きということを住職さんから聞いて初めて知りました」と言われた。意外に思うかも知れないが、永くお寺をお支えくださっている古くからのお檀家さんでも、東雲寺が西向きであることをご存じの方はそんなに多くない。


 現在の東雲寺の本堂は明治43(1910)年に再建されたものだが、文化・文政期(1804〜29)に幕府によって編纂された『新編武蔵風土記稿』に「本堂ハ八間半ニ七間西向キナリ」とあり、もとの本堂も西向きで現在の本堂と同じ大きさだったことが分かる。数百年前、現在の場所に東雲寺を建てようとした当時の僧侶や成瀬の人々が、「西」を意識してお寺を建立したと思われる。
 仏教の宇宙観、世界観で「西」と言えば「西方浄土」を思い浮かべる。西方浄土は、人間界の西方、十万億の仏土を隔てたところにある阿弥陀仏を教主とする仏国土で、西方安楽国、西方極楽、西方十万億土などとも言われる。太陽が真西に沈む春秋の彼岸に、仏教の教えを学び、その教えに遵って修行し、西方浄土を心に念ずると良いとされている。今風に言えば、お彼岸の夕刻にパワー・スポットになるお寺として東雲寺が建立されたと考えられるのである。
 「彼岸」に関わる道元禅師の説示が『正法眼蔵』「仏教」の巻にある。

 

  「波羅蜜」といふは、彼岸到なり。彼岸は古来の相貌蹤跡にあらざれども、到は現成するなり、到は公案なり。修行の彼岸へいたるべしとおもふことなかれ。彼岸に修行あるがゆゑに、修行すれば彼岸到なり。この修行、かならず偏界現成の力量を具足するがゆゑに。

 

 意訳すると「波羅蜜(梵語 pāramitāパーラミターの音訳、〈到彼岸〉〈度〉と意訳する。一般的には迷いの世界から悟りの世界へ到達するという意味)というのは彼岸が到来していることである。彼岸はこれまで心のはたらきによって存るものと見て来た姿形や跡形ではないけれども、彼岸の到来が現前に成就するということであり、到来しているのは普遍的な真理である〈さとり〉の世界である。坐禅を中心とした修行によって彼岸に到達するのだろうと思ってはならない。彼岸にあって坐禅修行しているのだから、坐禅を中心とした修行すればそこに彼岸が到来しているのだ。この坐禅修行は、必ず普遍的な真理である〈さとり〉の世界が現前に成就する力を具えているからである」というような意味の教えだと思う。
 坐禅修行は有り難い。彼岸の坐禅はさらに有り難い。



2018.03.20 Tuesday 22:09
道元禅師の教え comments(0)
東雲寺境内の桜が開花
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東雲寺庫裏二階ベランダに出てみましたところ、桜が開花していました。


2018.03.19 Monday 17:01
東雲寺あれこれ comments(0)
東雲寺の桜が開花?
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東雲寺の標準木?はまだつぼみですが、誰かに似てオッチョコチョイの桜が一輪咲いています。


2018.03.18 Sunday 09:29
東雲寺あれこれ comments(0)
白木蓮
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もうすぐ桜が咲くのでしょうが、今、境内の白木蓮や椿、ミツマタなどの花が楽しめます。


2018.03.17 Saturday 15:22
東雲寺あれこれ comments(0)
庭のサンシユの木
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2018.03.17 Saturday 13:31
東雲寺あれこれ comments(0)
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