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恩田川の桜まつり
2019年3月31日午後2時30分ころの恩田川の桜の開花状況です。 南成瀬の町田市総合体育館付近のお花見の皆さんです。 成瀬はじめ町田市南地区の各商店会の方たちなどがお店を出していました。 お店の周辺はすごい混み具合で「完売」の張り紙が出ている商品もいくつかありました。 2019年3月30日、東雲寺境内の桜は7分咲き
境内の花々
28日午前中からお昼過ぎまでは、東雲寺境内を散策される方、高齢者介護施設からワゴン車でお出でになる方がやや多く見受けられましたが、小雨がポツポツ。 ソメイヨシノは三分咲きくらい。紅白の花桃、白色のリキュウバイ、黄色のミツマタなどが見ごろです。
客殿入口左側にミツバツツジの鮮やかなピンクの花。 「ここにも春が来てるよ」と言っているかのように咲いてます。
東雲寺境内の桜は三分咲きです 3月27日10時現在
2019年3月27日午前10時現在は三分咲きです。桜の開花の問合せがありますのでお知らせします。 明日から曇り空とか。晴天下での花見は本日だけになるのか、この時季の天候と桜の開花との状況はなかなか良い具合にならないように感じています。晴天で満開というのは10年に一度くらいですかね。 『法句経』 八正道の教え
春彼岸の最終日午後、東雲寺仏教講座『法句経』を読む(第13回)を開催しました。 今回は特に第20章「道」の273詩句からの四諦八正道の教えなどを写真のような上下四段に記したテキストを記読みながら仏教の教えを学びました。26名の方が参加されました。資料代として頂戴したお一人200円、今回の総額7,300円(500円や1000円を寄託してくださる方がおられます)は、東日本大震災被災地支援の募金にさせていただいております。 あらゆる差別は差別する側の問題である
3月5日夕刻、東京都港区芝の曹洞宗宗務庁(教団の本部事務所)において全国曹洞宗人権擁護推進主事研修会で話しをさせていただいた。
(前略)現在、法律や制度あるいは社会的身分のうえで、部落あるいは部落民というものは存在しない。また日本国憲法14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的・経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定し、「法の下の平等」を謳っている。したがって、今日の社会において、部落差別はありえない。しかし、そのありえないものが、現実に厳然として存在していることは、またまぎれもない事実である。明治維新により封建制が解体し、日本が近代国家になってから、具体的には明治4年(1871)8月28日の太政官布告、いわゆる「解放令」以来、前述のごとく、法的・制度的には部落に対する身分上の差別扱いは表面的・形式的には消滅した。したがって部落および部落の人々を計数することは、そもそも本質的に疑点がある。また法的、制度的には部落は存在しないのであるから、ここを部落だと指定しあるいは判定することは何びとにもできないことである。だが、事実上、誤れる社会的通念と偏見によって、長い間部落とみなされてきた所、そして現にそうみなされている所が部落そのものであり、そしてそのいわゆる部落に生まれ、部落に育ち、現に部落に住む人々、また近年に部落に流入してきた人々、あるいは部落外に居住していても近い過去に部落と血縁的つながりをもつ人々が部落民とみなされているのが現状である。(後略)
これは部落解放研究所(当時)の初代理事長・原田伴彦氏、二代目理事長・村越末男氏(いずれも故人)の解説である。これを読んでいて、町田師の発言は部落問題をとりまく状況のタテマエを言ったもので、残念ながら現実に厳然として存在する部落差別を「ないもの」にしようとした差別発言だったことを改めて確認できた。そして、部落差別をはじめあらゆる差別が、被差別者側の何らかの〈理由〉で差別される問題ではなく、差別者側が誤れる社会的通念と偏見によって差別している問題だということをも、改めて確信した。 檻の中のライオン(その3)
楾大樹氏(はんどう・たいき=弁護士、ひろしま市民法律事務所所長)の「檻の中のライオン〜憲法ってなんだろう〜」という講演について、引き続き報告したい(文責・柚木)。楾氏は、国家権力を「ライオン」に、憲法を「檻」に譬えて、私たちに憲法についての正しい知識を伝える活動を続けている。 憲法のセキュリティシステムについての話があった。権力というものは一ヵ所に集中すると乱用されがちである。国会が法律を作って、法律に基づいて裁判所がもめごと解決し、行政が様々な公共サービスなどを行うということが憲法に定められている。立法権(国会)・司法権(裁判所)・行政権(内閣)の「三権分立」である。権力の暴走を防ぐため、権力同士が互いにブレーキをかけるシステムになっているのだ。アクセルだけでは危ないから、ブレーキが必要なのである。ライオン(国家権力)が檻(憲法)を壊さないようにするために、檻の中に性格の違う三頭のライオンを入れておき、相互に監視させているのだ。そして、私たちが声を上げること、選挙や最高裁判所裁判官国民審査で私たちが一票を投じることもブレーキなのである。
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