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彼岸花がようやく咲きました

 

一週間くらい遅れて彼岸明けに彼岸花が咲きました。

毎年、東雲寺の境内では、ちょうどお彼岸に咲いていた彼岸花。

自然の不思議に感心していたのですが、今年はやはり猛暑の夏から9月下旬になっても30度を越える日があったりして、彼岸花が咲くスイッチを狂わせたのだろうと思います。



2019.09.27 Friday 19:08
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種姓を観ずることなかれ

 一月前ほどになるが、8月18日夕刻、私は上野広小路の鈴本演芸場に行った。鈴本の八月中席(8月11日〜20日)に毎年恒例で柳家さん喬師匠や露の新治師匠などが出演されているからである。新治師匠は仲入り前に上方落語の大ネタ「口入屋」を好演、さん喬師匠はトリで人情噺「たちきり」をじっくり聞かせてくださった。
 新治師匠は、数年前からこの鈴本出演前日の8月10日に、私がお願いして横浜市港北区の寺院で大施食会(おせがき)の法要前に人権高座や落語をしてくださっている。今年は特に猛暑の中、汗ビッショリで高座をお勤めいただいた。お着替え中の師匠に御礼を申し上げると、「私が全国各地の宗教関係のところで人権の話をするようになったのは、考えてみると柚木さんとの出会いがきっかけで、ほんまに有り難うございます。私に人権を語る資格があるのか、考え悩むことがありますが、気を引き締めて願生(がんば)ります」というようなことを言われた。

 新治師匠は奈良県ご出身で、私と同じ1951(昭和26)年生まれ、1月8日が誕生日なので、私より一月余兄貴分だ。師匠は、奈良県の夜間中学設立運動に関わる中で学んだ人権感覚を活かし「新ちゃんのお笑い人権高座」を全国各地で行っておられる。また、狭山裁判再審請求運動(被差別部落出身の石川一雄さん〈80歳。逮捕当時24歳〉が、部落差別による見込み捜査や「差別裁判」によって、無実の罪で31年7ヵ月間もの長期にわたり獄中に囚われていた冤罪事件)にも長くとりくんでいる方で、差別撤廃・人権確立の活動を実践し続けている尊敬すべき同志であり先達である。

 

 道元禅師の著述『正法眼蔵』「礼拝得髄」の巻に次のような説示がある。


 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のいはく、「無上菩提(むじょうぼだい)を演説する師にあはんには、種姓(しゅしょう)を観ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。」


 試みに現代語訳をすれば、お釈迦さまが次のように仰られた。「この上ない仏教の教えを説き示す師(先生)に出会ったならば、その人の氏素性を問題にしてはならないし、顔かたちの良し悪しを考えてはならない。非(欠点。不正。あやまり)と思われることがあっても嫌ってはならないし、行いについてもあれこれ考えてはならない」というような意味である。

 この教えについて私は初め「無上菩提を演説する師にあはんには」という条件があると思っていた。しかし後に門馬幸夫先生(駿河台大学名誉教授)にお教えいただく中で、私が出会った方たち、これから出会う人たちに対しても「種姓を観ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ」という教えだということに気づいた。すべての人を尊び、あらゆる人びとから学ぶ、そういう生き方をしなければ、真実に出会うことができず、自分の人生をまっとうすることができないのである。

 

 20数年前、ある地方の曹洞宗役職員人権学習・「同和」研修会が開催された。部落解放同盟の地元県連合会の方に講演をお願いし、差別の事態、解放運動などについて話をしていただいた。その方は人前で話すことに慣れておらず、ましてや聴衆が全員僧侶だったためか、とても緊張しながら話をされていた。
 講師が講演を終えてお帰りになった後、研修会の地元責任者で司会のU師が「種姓を観ずることなかれ」という教えはあるがと前置きして、講師の服装や演壇での姿勢などを「無礼だ」と批判した。が、U師は講演中に会場を何度も出入りして講師の話をほとんど聴いていなかったことを私は見ていた。若輩の私がその点を指摘すると、とても不機嫌そうだった。その日まで私はU師をその地方の高徳の僧の一人だと思っていたが、実はU師は「種姓を観ずることなかれ」を本当には理解されていなかったようだった。

 

 新治師匠が「私に人権を語る資格があるのか、考え悩む」と仰っていたが、切に差別撤廃・人権確立を願っている師匠のお話しは「無上菩提の演説」に等しいと私は思っている。



2019.09.25 Wednesday 11:45
道元禅師の教え comments(0)
成瀬名物東雲寺寄席 満員御礼 札止めです

お陰様で 満員御礼

第11回成瀬名物東雲寺寄席

大入満員で札止めになりました。

 



2019.09.20 Friday 12:02
東雲寺あれこれ comments(0)
台風15号の暴風による倒木で地蔵尊倒壊

 

 

 

 9月8日深夜から9日早朝にかけて、猛烈な風の台風15号が関東地方を縦断しました。

 9日早朝、小雨の中、本堂内外、境内、墓地を巡回、点検してみると、参道の樹齢60年以上の桜の大木が倒れて参道をふさいでおり、その桜が倒れた際に等身大(高さ158僉砲里地蔵さま(享保12〈1727〉年7月建立)にあたり、お地蔵さまが台座から倒れ落ちて一部破損してしまいました。

 東雲寺墓地でも5カ所のお檀家さんの墓地で暴風によって塔婆が煽られ、塔婆立てごと倒れており、さらにその塔婆立てが倒壊する際に隣接墓地の墓誌に当たり、墓誌が半分に割れているところもありました。

 朝課(朝の勤行)の前に造園業のお檀家さんへ、参道をふさぎ通行止めにしている倒木の除去をメールで依頼。朝の段階で現場を見て頂いて、クレーン車を持って来ていただいて午前中にかたづけていただきました。

 お地蔵さまや塔婆立ては、石材店に連絡、お昼ころに現場を見ていただき、修繕方法や見積をお願いしました。お地蔵さまは何とか秋彼岸の前に修復するようお願いしたところです。



2019.09.10 Tuesday 12:19
住職雑感 comments(0)
杉山神社の祭礼で花火

 台風15号接近の中、東雲寺の前にある杉山神社の祭礼が行われ、夕刻30分早めて7時から花火が打ち上げられました。激しい雨が何度も降っていた中、たまたま小降り、雨が止んでいる中で花火が打ち上げられ、近隣の皆さんが東雲寺の境内で花火見物をしました。



2019.09.08 Sunday 21:04
成瀬あれこれ comments(0)
百日紅がようやく開花しました

 

 東雲寺の客殿前の百日紅は8月下旬まで、ずうっと緑のままで、花が咲きませんでした。どうしたのか心配でした。7月末まで続いた長い梅雨で、低温が続き、日照時間がほとんどないような毎日でした。8月に入ると一転して毎日35度を超えるような猛暑続き、という天候のせいかなとも思いましたが、成瀬のあちこちの百日紅は8月初めには見ごろとなっていました。

 どういうわけか分かりませんが、東雲寺の客殿前の百日紅の花は9月になって開花しました。



2019.09.03 Tuesday 12:28
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東雲寺 夏の子ども坐禅会を開催しました

 

 夏休み最後の土曜日、8月31日7時〜8時、子ども坐禅会を開催しました。

 子どもたち50名ほど、保護者の方たち30人ほどがご参加くださいました。

 小惑星リュウグウに着陸し、土石のサンプルを持ち帰る予定の「はやぶさ」2号のことや46億年前とされる地球誕生、40億年前という「いのち」の誕生の話などをいたしました。

 私たちのいのちは、いのちの誕生から一度も途切れていないということから、年齢は40億+○○歳ということや、「黒色人種」「 白色人種」「 黄色人種」「 赤色人種」「褐色人種」などなどと、さまざまな「人種」が地球上にあると言われていますが、今日のDNAの研究成果から言えば、ホモサピエンスである私たち一人ひとりのDNAは99.9%同じであり、「人種」という考え方は、実は18世紀に広まった考え方で、支配・被支配を合理化するための考えが、その初めにあったというようなことをお話ししました。



2019.09.01 Sunday 09:52
東雲寺あれこれ comments(0)
圭室文雄先生の連続講座

 

 8月25日(日)15時〜16時37分、東雲寺文化講座、明治大学名誉教授・圭室文雄先生を講師にお迎えして「増上寺の歴史」を開催しました。東雲寺の檀家さんはじめ地域の皆さん方36名の方が熱心に聴講されました。

 徳川家康はじめ代々の将軍たちの寄進によって1718年には、増上寺は朱印1万540石の寺領を与えられていたそうです。前回の講座で取り上げた寛永寺は、増上寺を大きく上回る2万5千石。圭室先生いわく「徳川家に取り入っていた天海のはたらきだ」とのこと。

 ちなみに永平寺は越前松平家の黒印70石、總持寺は加賀前田家の黒印400石、東雲寺は朱印6石3斗で、比べものになりません。

 もうひとつ驚きの事実。増上寺の住職に対する紫衣や国師号に関する伝奏家から老中や京都所司代への「武家伝奏連署状写」などは「折紙(おりがみ)」ですが、増上寺住職への「後陽成天皇綸旨」は、天皇の綸旨にもかかわらず「宿紙(しゅくし)」、灰色の再生紙だったということです。高位の武家への通知には新しい紙を使い、僧侶へは一段低い再生紙だったというのは、とても面白く「そうだったんだ」と妙に納得しつつ、先生の講義を拝聴しました。

 

 次回は、京都山城の勧修寺。9月29日(日)15時からです。

 



2019.08.28 Wednesday 18:13
東雲寺あれこれ comments(0)
祝福芸「阿波木偶箱まわし」を国立劇場で観た

 7月27日(土)14時、国立劇場小劇場(千代田区隼町)で行われた民俗芸能公演「祝福芸」を友人の中野重哉師(横浜市神奈川区宗興寺住職)や綱木史祐師(静岡県伊豆市泉龍寺住職)とともに観た。この公演には「三河万歳」安城の三河万歳保存会(愛知県安城市)、「阿波木偶箱まわし」阿波木偶箱まわし保存会(徳島県徳島市)、「一ノ瀬高橋春駒」一ノ瀬高橋の春駒保存会(山梨県甲府市)の三団体が出演した。
 このイベントを最初に知らせてくれたのは、かつて曹洞宗人権擁護推進本部で一緒に人権確立・差別撤廃のとりくみをした綱木師だった。その後、徳島の中内正子さん(阿波木偶箱まわし保存会)からもお電話でお誘いいただき、さらに後日、チケットをお送りいただいた。

 

 中内さんと私たち曹洞宗僧侶との出会いは、二十数年前になる。横浜市港北区の慶応大学日吉キャンパスの地下に旧日本海軍が建設した「連合艦隊司令部日吉地下壕」がある。そこを会場に人権や平和について学ぶ現地研修が行われた折、「とても元気な参加者」(中野師談)の中内さんと中野師、綱木師らが一緒に研修したことに始まる。その後、中内さんを通じて、中内さんが所属する芝原生活文化研究所・資料室の代表・辻本一英さんや南公代さんをご紹介いただき、そして、各地で開催される曹洞宗内外の人権啓発・「同和」研修会などにお招きして阿波木偶箱まわしを演じていただいて来た。

 

 徳島県は人形浄瑠璃が盛んなところとして知られ「浄瑠璃大国」と言われている。この人形浄瑠璃の中には2008年に世界無形遺産に登録された「人形浄瑠璃文楽」の他に、中内さんたちが復活させ保存会を結成、その伝統を次代につなごうとしている人形芝居の「阿波木偶箱まわし」がある。
 箱まわしには、一人遣いの人形芝居で、人形を箱に入れて担ぎ、元旦午前〇時から家々を廻って「門付け」を行い、その年の五穀豊穣、無病息災、家内安全などを祈る「三番叟まわし」と、「傾城阿波の鳴門」「絵本太功記」などの演目を大道で演じる「箱廻し」の二種類がある。

 江戸時代、徳島県中西部の吉野川上流域に人形芝居興行を生業とする人びとがいて、明治初めには全盛期を迎え、箱廻し芸人も二百人を数えていた。この人たちが徳島県内のみならず香川や愛媛などを廻檀していたというのだ。箱廻し芸人は、福を届ける神の使いとして敬われながらも、日常では賤視され、周辺地域の人びとから差別されるなどの問題があって1960年代には多くの芸人が廃業して徐々に姿を消して行き、一部地域でしか見られなくなっていたそうである。


 辻本さんはこの郷土の貴重な祝福芸が失われ行く状況を憂い、地元のお年寄りから聞き取りを行い、箱まわしの芸人が訪れた土地を訪ねるなどして調査を続けた。1995(平成7)年に有志を募って「阿波木偶箱まわしを復活する会」を結成、その活動の中で県内でただひとり現役の「三番叟まわし」芸人を探し当てる。
 1999(平成11)年に中内さんが、その師のもとに弟子入りし、三年間「門付け」に同行して技術を習得、芸を学ぶ。2002(平成14)年に師匠の跡を継ぎ、人形遣いの中内さんと囃子方の南公代さんが、年明けの約二ヵか月間、主に徳島県西部の家々を廻って来た。師匠から受け継いだときには三百軒ほどを廻檀していたそうだが、口伝えに「うちにも来てほしい」という家が相次ぎ、今年(2019年)正月には1060軒に増えたという。

 

 徳島のみならず香川や愛媛の正月儀礼として永く定着している「三番叟まわし」は、三番叟とえびすが五穀豊穣、無病息災、家内安全などを予祝し、新年を迎えた人びとに明るい未来と生きる勇気を与えて来た。人びとは人形に体の悪いところを撫でてもらい、神様の使いである人形に手を合わせ拝んで来た。2015(平成27)年、保存会の活動が評価され、「三番叟まわし」が徳島県指定無形民俗文化財になった。



2019.08.21 Wednesday 22:15
人権・平和・環境 comments(0)
元ハンセン病患者家族訴訟勝訴に思う

 今年の3月末だったと思うが、テレビドラマ『砂の器』(東山紀之、中島健人、柄本明などが出演)が放映された。『砂の器』は松本清張の長編推理小説である。1960(昭和35)年5月から約一年間、『読売新聞』夕刊に連載され、後に光文社カッパ・ノベルスや新潮文庫などとして刊行、さらに1974(昭和49)年に映画化(丹波哲郎、加藤剛、緒形拳などが出演)、テレビドラマとしてはこれまでに七度ほど企画・制作されている。
 7月9日、国が続けたハンセン病(かつて〈らい病〉と呼ばれていた)患者の隔離政策によって家族も差別を受けたとして家族らが国に損害賠償を求めた訴訟で、国が責任を認め、賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れた。この訴訟の原告団長が林力先生(94歳)だった。ご高齢ながら矍鑠としておられる姿をテレビのニュースで拝見した。
 林力先生は、九州造形短期大学教授や九州産業大学教授などを歴任され、全国同和教育研究協議会や福岡部落史研究会などの重役を務め活躍されて来た方でもある。
 今から三十数年前になるが、1985(昭和60)年3月に開催された曹洞宗宗務所長・人権擁護推進委員等「同和」研修会において、演壇に立たれた林先生が「私と部落と宗教と」と題した講演の中で次のように述べられている。

 

 (前略)ハンセン病は伝染病であって、しかも大変微弱な伝染力で、そして幼児期における伝染しか考えられない。プロミン(戦後日本に入って来たハンセン病の特効薬)によって治癒すると分かった今も、世の中の人は業病だと考え、その名を聞いただけで震え上がるという意識をもっている。
  私は、松本清張に対して『癩者の息子として』(世界人権宣言中央実行委員会編『人権白書』所収、1984年)の中にも書いたのですが、そういう面では少なからず不満を持っています。映画『砂の器』という名作がございます。映画的手法が優れていただけに、あの映画の与える印象は強烈であったと思うのです。北陸の親知らずのところを昔の「乞食」と言われた人が彷徨っている。自分の子どもを連れて、そして行き倒れてしまう。とり残された少年を田舎の心優しい警察官が自分の子どもとして育てる。やがて彼は音楽界の新進の音楽家として成功して、その世界の重鎮の娘さんと結ばれようとする。つまり音楽の世界では最高位に登りつめようとする時に、彼は自分の父親が業病であった、ハンセン病であったということに対して、負い目を負う。もし自分の前身が暴かれたならば、この栄光の座から降りなければならないということが気になる。そしてついにその育ての親である、心優しい退職警察官を殺してしまう。それが最後に露見するというものでございます。
  そこに描かれているものは、正に「癩」は恐ろしき伝染病であり、不治であり、業病であるという世界。もちろん最後に一言、このようなことは今はないのだという説明が、一コマいいわけのように付きますけれども、映画的手法が優れたものだけに、映画全体が与える印象を、その一枚の説明が、かき消すことはできません。そしてこの映画が再映、再映、再再映という形で街へ来るたびに、その広告には必ず、業病であり、不治の病であるという、そういう意味のことがパンフレットにして撒かれている現実はなお、変わっていない。(カッコ内注記は柚木)

 
 この映画『砂の器』は、その計画段階から制作中止の要請が全国のハンセン病療養所入所者協議会からなされたが、無関心で無知にもかかわらず根強い偏見・差別意識をもった私たち圧倒的多数の一般大衆が全国で九千人余の入所者に対し「多勢に無勢」で押し切ってしまったのだ。
 林力先生の『癩者の息子として』を読んだときの衝撃を思い出す。隔離政策によって「見えない」存在にされて来た元ハンセン病患者の方たち、その家族であることを隠しながら暮らして来た人たちの心中など、私はまったく考えたこともなかった。
 知らずに差別していた自分の「無知」を恥じ、遅ればせながらハンセン病差別解消のとりくみを始め、「業病」を通して教学上の「業」問題を考えることになった。



2019.08.21 Wednesday 22:05
人権・平和・環境 comments(0)
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