Calendar
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>
NewEntry
Profile
Category
Archives
Comment
Search
Link

Favorite
素材満載 ブログで作る かんたんホームページ [CD-ROM付き]
Mobile
qrcode
Sponsored Links
青少年教化員という名称が変更された背景

 5月20日ころだったと思うが、東雲寺にボーイスカウト東京連盟町田地区町田第七団の方が、長い間有り難うございましたと解団の挨拶に来てくださった。実は昨年末にも第七団の方が東雲寺にお出でになり、大晦日のときに毎年行っていた奉仕活動  除夜の鐘に来た方たちに焚き火の暖と温かい甘酒を提供することを、少子高齢化によって今年からできないという話があり、そして年度末の今年3月に解団すると予め知らされていた。
 第七団のキャンプ地が東雲寺裏手の丘の上、成瀬尾根の山道沿いにあるお寺の山林の中にあった。週末の朝や夏休みなどに拙が境内の掃除をしていると、スカウトの制服を着た小さな子どもたちがリュックを背負い保護者と一緒にキャンプ地に向かう姿をよく見かけた。また、土日などで一泊二日のキャンプのときには、当番の子どもたち二、三人が、東雲寺の水道からポリタンクに水を汲み、重そうに運び上げていた。
 いつから、どういう経緯で、東雲寺の山林内の場所をスカウトのキャンプ地として貸すことになったのか不明だが、東雲寺檀徒のSさん(故人。30年ほど前に数年間、東雲寺坐禅会に参加)がスカウト活動に熱心で、日本連盟か東京連盟などで重職にあった方のはずだ。たぶんこの方や檀信徒総代さん、先代住職との間でキャンプ地使用の話がなされたのではないかと思う。
 曹洞宗にも曹洞宗スカウト協議会というスカウト活動、社会教化活動を支援する組織があって、スカウトの進級に必要な「宗教章」取得のための研修会や全国各地、世界各地で行われるジャンボリーでの宗教礼拝を行うなどのとりくみを行っている。1974年4月、私も曹洞宗宗務庁(曹洞宗本部事務所)に奉職して間もない時期の数年間、この協議会の事務局をしていた。当時、宗務庁内の組織改革があったのだが、私が配属される直前まで曹洞宗布教部に「青少年課」というセクションもあった。ボーイ・ガールスカウト活動、夏休みの子どもたちを対象にした「緑陰禅のつどい」などを運営、活動するための技能を持つ青少年教化員という資格者を養成、活動を支援するなどしていた。しかし今日では、少子化や子どもたちを取りまく環境の変化などによって、スカウト活動も低迷し、禅のつどいの開催や日曜学校活動なども以前と比べて非常に少なくなって来ているようだ。また、近年、少子化のため全国各地で寺院住職が携わって来た幼稚園や保育園の閉園が相次いでいると聞く。
 今年2月下旬に開催された曹洞宗の定例議会で教団の規則や規程の変更が行われた際、「青少年教化員」という名称が「教化指導員」に変えられた。青少年教化員に任命されても、僧侶、住職として青少年対象に寺院内外で活動する場、機会がほとんど無くなってしまったためだろうと思う。
 今月の18日に先代住職・柚木能宣大和尚の一周忌を迎える。先代の遺品、就中、夥しい冊数の各種記録ファイル、蔵書などの整理をしている中で、「品川区伊藤国民学校 東雲寺疎開児童寮歌」と「東雲寺日曜学園 志のゝめ音頭」という楽譜を見つけた。いずれも「作詩 柚木能宣」とあった。「志のゝめ」は「東雲(しののめ)」のことだろう。寮歌は後述する「駒大児教」で活動していた時期、音頭は楽譜の右上に昭和23年4月13日とあるから、たぶん南多摩郡南村立南第二小学校の代用教員になりたてのころと思われる。先代は子どもたちに対する教化、教育に強い関心を持っていた。
 先代は戦中戦後の駒澤大学学生時代、児童教育部(内外から「駒大児教」と呼ばれた名門クラブ)に所属し、世田谷区の常徳院や横浜市鶴見区の大本山總持寺の日曜学校を担当、子どもたちとともに遊び、学び、仏教の教えを伝える活動をしていた。夏期の巡回伝道では全国各地へ部員数人で班を組んで出かけ、人形劇や舞踊、童話、ゲームなどを通して伝道活動を行った。
 先代が青春を捧げた駒大児教も2012年3月に廃部、約百年の活動に幕を閉じている。



2018.06.03 Sunday 22:25
住職雑感 comments(0)
東雲寺仏教講座『法句経』「千という数にちなんで」

20180527_162507.jpg
 昨年暮れからの東雲寺仏教講座では原始仏典『法句経』を読んでいます。

 『法句経』26章423詩句の中、今回は第7章「拝むに足る人(真人)」の94〜99詩句、第8章「千の数(千という数にちなんで)」100〜115詩句を拝読しました。中村元先生の『ブッダの真理の言葉』(岩波文庫)の語注によると、100〜115詩句は「かなり古い時代に由来するらしい」とのこと。紀元前4〜3世紀に成立したと言われている『法句経』の中でも、古い時代から仏教者たちによって唱えられていたお釈迦さまの教えということだろうか。

 

100 無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。


101 無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。

 

102 無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。

 

103 戦場において百万人に勝つとしても、唯だ一つの自己に克つ者こそ、実に最上の勝利者である。

 

104、105 自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、  このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。

 

106 百年のあいだ、月々千回ずつ祭(まつ)祀(り)を営む人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供(く)養(よう)するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。


107 百年のあいだ、林の中で祭祀(まつり)の火につかえる人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。


108 功徳を得ようとして、ひとがこの世で一年間神まつり犠牲(いけにえ)をささげ、あるいは火にささげ物をしても、その全部をあわせても、(真正なる祭りの功徳の)四分の一にも及ばない。行ないの正しい人々を尊ぶことのほうがすぐれている。


109 つねに敬礼を守り、年長者を敬う人には、四種のことがらが増大する。  すなわち、寿命と美しさと楽しみと力とである。

 

110 素行が悪く、心が乱れていて百年生きるよりは、徳行あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。


111 愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、知慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。

 

112 怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている。

 

113 物事(ものごと)が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、事物が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。

 

114 不死(しなない)の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。


115 最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きることのほうがすぐれている。

 




 



2018.05.28 Monday 07:36
仏教の教え comments(0)
解らないところを解る必要がある

  最近、テレビや新聞の報道などで「セクシャルハラスメント」「パワーハラスメント」などの言葉をよく耳にし、目にする。
  社会的に強い立場にある人間が、それに比して弱い立場にあるものに対して無自覚(?)にその人を深く傷つける言葉を口にしたり、相手の人格を無視した行為を行ったりしたことが次々と告発されているのである。セクシャルハラスメント、パワーハラスメントをした人間ーーそれがたとえ大きな権力を持った人間であろうと、政治家や政府高官であろうと、職を辞するようなことになったケースが国内外で何件かあった。
  30年ほど前の話だが、かつて拙(わたし)が勤務していた教団本部の事務所で、1989(平成元)年当時、流行語になりつつあった「セクハラ」という言葉を、後輩T師の口から発せられるのを初めて聞いたとき、拙はまったくチンプンカンプンで、その意味を理解することができなかった。しかし、それから間もなくして、「セクハラ」という言葉に、毎日のように女性職員の肩や首筋などを揉み、腰に手を回わし、ときに卑猥な言葉を口にし、それを「挨拶代わり」としていたR部長の言動を抑止する力があることを拙は知ることになった。
 私たちが生活する現代社会が、R部長のそれらの言動を「セクシャルハラスメント」と呼ぶことによって、その行為は社会的に許されない性的いやがらせであり、性的・差別的な言動だということを改めて確認したのである。それまで人格を無視され、性的対象物のように貶められ、それに対する怒りで顔を紅潮させながら耐え忍ぶことを強いられて来たことも、被害を受けて来た人びとが「セクシャルハラスメント」という言葉を手にすることによって、〔今日でもまだ勇気を振り絞る必要があるのだろうが〕抗議し、謝罪を求めることができるようになったのだ。
 「人権」という概念は、この「セクシャルハラスメント」の例と同様に、人としての尊厳を踏みにじっている何か不正義なこと(?)に気付き、その何かを除くためにとりくむ中で、ときにそれに名付けし、私たちが啓発され、社会の共感を得ながら成長し続けていくものだと思う。

 ということは、「人権」を学び続ける努力をし続けないと、チンプンカンプンで、それが分からないことということも出て来るのだろうと思う。その社会、その分野における権威であっても、実力者であっても、「人権」の学びを怠っていると、自身は「分かっている」と思っているらしく、周囲からの助言や注意を受けつけず、「分かってる」「分かってる」を繰り返し、結局、事を大きくしてしまっているようなことが目につく。

 

 話はまったく違うが、拙がかつて親しくご指導いただいたことのある、誠実な道元禅師研究者であられた春日佑芳先生(1929〜2002年、東京大学文学部倫理学科卒、防衛大学名誉教授)の『新釈正法眼蔵』(ぺりかん社、1995年)の「一生多生の参学  あとがきにかえて」の中に、先生の父上・春日佑幸師のエピソードが記されていて、そこに「解らないところが解る」というフレーズがあったのを思い出した。


 佑幸師は、旧制中学の国語・漢文の教師を退いた後、後半生の約20年間、『正法眼蔵』の解読にとりくんでいた。その研究成果がまとまると、曹洞宗大学(現駒澤大学)時代の恩師・衛藤即応先生(1888〜1958年、駒澤大学総長)に送りご指導を頂いていた。衛藤先生は近代曹洞宗の宗学の確立に尽された方だ。研究者や曹洞宗内では「衛藤宗学」として知られている。
 衛藤先生は、佑幸師の原稿を読んでは、それにコメントして返却。佑幸師が推敲、修正して、それをまた衛藤先生に届けるということをしていたようだ。「四訂」の原稿もあったという。
 その衛藤先生の佑幸師への励ましの言葉が「解らないところのある眼蔵家(『正法眼蔵』研究者)になってほしい」だった。衛藤先生は、『正法眼蔵』研究において、解らないところがどこかを解るぐらいまで研究するようにと言ったのである。
 「人権」も解らないところを解る必要があるのだ。



2018.05.21 Monday 14:11
人権・平和・環境 comments(0)
東雲寺仏教講座・文化講座参加者募集

 東雲寺仏教講座参加者募集中

 

お釈迦さまの「生」の言葉を記した

仏教最古の経典『法句経(ほっくきよう)』原題「ダンマパダ(真理の言葉)」を読んでいます。

 

5月27日(日)15時〜16時30分
6月24日(日)15時〜16時30分

 

◇ 参加費 無料(但し、ご賛同下さる方は、東日本大震災募金として資料代200円をお願いします)

◇ 資料や会場準備の都合上、参加希望の方は、必ず予めご連絡ください。

 

お申し込みは
     〒194-0044  町田市成瀬4-14-1 東雲寺
     FAX 042−721−2964
     TEL 042−726−5909
     Eメール butudou-sogen@vesta.ocn.ne.jp

 

7月〜9月第4日曜日午後15時〜16時30分
        明治大学名誉教授・圭室文雄先生の文化講座

今年は「鎌倉の寺院」がテーマです。

  7月22日「建長寺」

  8月26日「円覚寺」

  9月16日「光明寺」

で開催予定です。



2018.05.16 Wednesday 12:01
東雲寺あれこれ comments(0)
大逆事件に関わる二冊の図書の指摘

 

 

  定期購読している月刊誌の一冊、岩波書店の『図書』2月号の新刊案内の中に田中伸尚著『大逆事件  死と生の群像』があり、発行日2月16日を心待ちにして購入した。また、『大法輪』4月号に佼成出版の新刊書、眞田芳憲著『〈大逆事件〉と禅僧内山愚童の抵抗』の広告があり、これもすぐに注文、3月15日に入手した。
  「大逆事件」について『日本史広辞典』(山川出版社、1997年)は次のように解説する。

 

 幸徳事件とも。明治天皇暗殺を計画した容疑で、多数の社会主義者・無政府主義者が逮捕された事件。赤旗事件以後社会主義運動の弾圧が強化されるなかで、1910年(明治43)5月、まず宮下太吉ら4人を爆発物取締罰則違反で検挙し、つづいて全国各地で事件に無関係な者も含めて数百人を検挙。うち26人が刑法の大逆罪にあたるとして起訴された。大審院は一審のみの非公開公判で幸徳秋水ら24人を死刑(坂本清馬ら12人は特赦により無期に減刑)、新田融ら2人を有期刑とした。幸徳らは11年1月24・25日に処刑。以後、社会運動は「冬の時代」を迎えた。判決後50年目の61年(昭和36)、唯一の生存者坂本らは再審を請求したが、最高裁で棄却された。

 

 「大逆事件」については、事件に連座させられ処刑された内山愚童(箱根大平台の曹洞宗林泉寺住職。秘密出版で「非戦」を主張)や大石誠之助(和歌山新宮の医師。尊皇報恩を説く大内青巒と論戦、青巒を「飯を食ふ仏教大辞典」と批判)などについて「坐禅会たより」で何度か取り上げて来た。
 「大逆事件」は、明治政府が軍国主義化を進める中で、天皇暗殺の全国規模の大陰謀事件をでっち上げ、社会主義者や無政府主義者を抹殺しようとした大弾圧事件だった。すなわち大逆罪によって処刑、投獄された人たちは、そのきっかけとなった事案に関わる数人を除きほとんどが無実の罪を着せられた犠牲者たちだった。
 眞田芳憲著『〈大逆事件〉と禅僧内山愚童の抵抗』の「はしがき」は次のようにいう。

 

 いま、わが国はは集団的自衛権行使を容認する安全保障法制や特定秘密保護法の制定に続き、いわゆる共謀罪を改め「テロ等準備罪の新設法案」の立法化、1948年の国会で失効した「教育勅語」の復権、そして帰するところは「日本国憲法」の改正へと、「いつか来た道」の瀬戸際に立たされている。いや、むしろ日本国憲法の空文化の地均しが着実に進められていると見るべきかもしれない。今日の日本は、まさしくかつての「大逆事件」の時代相に近づいているのではないだろうか。

 

 田中伸尚著『大逆事件  死と生の群像』では、著者が訪ね歩き調査した大逆事件の犠牲者やその遺族、関係者  森近運平、宮下太吉、高木顕明、成石平四郎、松尾卯一太、大石誠之助、沖野岩三郎、新村善兵衛、新村忠雄、武田九平、飛松與次郎、小松丑治、坂本清馬などを取り上げ、さらには当時、政府当局を弾劾する講演の記録『謀叛論』(岩波文庫)の徳富蘆花のことや遺族慰問の旅を続けた堺利彦のことなどを、緻密な取材によって書き上げている。その「あとがき」に次の一文がある。

 

 連座させられた人びとは、程度や思いに差はあったが、また当時の社会にあっては少数者であったけれども、戦争に反対し、荷担しないという生き方を貫き、宗教者として被差別者に寄り添い、どうしたら平等で自由な社会にできるかを思索し、国家・天皇と個人の関係はどうあればいいのかなど生きる個人としてののっぴきならない問題と取り組み、悩み、突き当たり、時に性急に生きた人びとだった。彼らが社会主義や無政府主義を通じて気づいたこれらの問題は、文学や思想のテーマでもあり、ジャーナリズムの課題でもあった。そしてそれらは、現在の問題としてもある。

 

 憲法前文にいう「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ため、平和を希求するとりくみを不断の努力で続けて行きたい。



2018.05.07 Monday 13:54
人権・平和・環境 comments(0)
東雲寺仏教講座「『法句経』を読む」(第5回)開催

  第六章 賢い人
76 (おのが)罪過を指し示し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。   隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。そのような人につき従ううならば、善いことがあり、悪いことは無い。
77 (他人を)訓戒せよ、教えさとせ。宜しくないことから(他人を)遠ざけよ。そうすれば、その人は善人から愛せられ、悪人からは疎まれる。
78 悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。
79 真理を喜ぶ人は、心きよらかに澄んで、安らかに臥す。聖者の説きたまうた真理を、賢者はつねに楽しむ。
80 水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、賢者は自己をととのえる。
81 一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。
82 深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。  
83 高尚な人々は、どこにいても、執着することが無い。快楽を欲してしゃべることが無い。楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、賢者は動ずる色がない。
84 自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。財をも国をも望んではならぬ。邪なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。(道にかなった)行ないあり、明かな知慧あり、真理にしたがっておれ。
85 人々は多いが、彼岸に達する人々は少い。他の(多くの)人々はこなたの岸の上でさまよっている。
86 真理が正しく説かれたときに、真理にしたがう人々は、渡りがたい死の領域を超えて、彼岸に至るであろう。
87 賢者は、悪いことがらを捨てて、善いことがらを行なえ。家から出て、家の無い生活に入り、楽しみ難いことではあるが、孤独のうちに、喜びを求めよ。
88  賢者は欲楽をすてて、無一物となり、心の汚れを去って、おのれを浄めよ。
89  覚りのよすがに心を正しくおさめ、執着なく貪りをすてるのを喜び、煩悩を滅ぼし尽くして輝く人は、現世において全く束縛から説きほごされている。

 

中村元訳『ブッダの真理のことば』(岩波文庫)、友松圓諦訳『法句経』(講談社学術文庫)などで、『法句経』を学習しています。

今回は「ダンマパダ」73詩から93詩まで読みました。上記の第6章が中心でした。



2018.04.22 Sunday 18:15
仏教の教え comments(0)
周行七歩

 先週日曜日の4月8日は仏教の開祖お釈迦さまのお誕生日「花まつり」だった。
 毎年、東雲寺では花まつりの前日、4月7日に東雲寺梅花講(仏教賛歌である詠讃歌〈御詠歌や御和讃〉をお唱えする信仰組織)のご近所の講員さん数名の方にお願いして花御堂作りをしていただく。花屋さんから季節の花を求め、さらに各家の庭先に咲く花などを持ち寄っていただき、お堂の屋根(屋根張60センチ四方)や柱などに花々を糊付けして飾る。4月8日当日の早朝に右手で天を指し左手で地を指す独特の姿の誕生仏を花御堂内の浴盤(直径30センチの金属製のたらい)の中央にお祀りし、甘茶をたらいに五分ほど注ぎ入れ、お釈迦さまの頭上から甘茶を濯ぐ。朝の勤行で降誕会のお経を読み、午後一時半からは梅花講の皆さんによって詠讃歌を奉詠して、お釈迦さまのお誕生をお祝いする。いつもの年ならば桜が満開の時季と重なることが多く、大勢の方が花見が訪れ、花御堂にお参りされるのだが、今年は葉桜で参詣者もまばらだった。
 四半世紀ほど前のことだが、曹洞宗宗務庁(曹洞宗教団の本部事務所)に勤務していた折、4月8日に役職員全員が参列して釈尊降誕会法要が修行され、その後、石附周行伝道部長(当時。現在、大本山總持寺副貫首、大雄山最乗寺住職)が花まつりに因んで法話をしてくださった。その冒頭、ご自身の「周行」という名は、お釈迦さまがお生まれになってすぐに四方に七歩あまれて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と仰られたとされる「周行七歩」に由来することを話された。当時すでに拙は周行老師を存じ上げて二十年ほどになっていた。心から尊敬し憧れの禅者・周行老師のお名前のことさえ理解していなかった拙の勉強不足を恥ずかしく思ったことである。
 1243(寛元元)年に道元禅師が京都から越前(福井県)へ移住し、翌年に大仏寺を建立、その二年後の1246(寛元4)年6月15日に寺号を永平寺と改称した際の説法に「(前略)世尊降誕して、一手は天を指し、一手は地を指し、周行七歩して云く、『天上天下唯我独尊』と。世尊道えることあり、これ恁麼なりといえども、永平道うことあり、大家(この場の皆さん)証明すべし。良久して云く、天上天下当処永平」(『永平広録』177)という教えもあった。
 なお、東雲寺の六角釈迦堂に奉祀されている白鳳時代の誕生仏は、左手を上に右手を下にしている。これには「古代の作例四例が知られるのみで、中近世の例はなく、教義的な根拠は見当たらない。/なお、南伝仏教(中国南部以南―インドシナ、タイ、マレーシア等)の遺品は左手を上げているものが多いが、その関連は定かではない」という田中義恭氏(東京国立博物館資料第一研究室長・当時)の解説がなされている。
 お釈迦さまの誕生に関するもっとも古い伝承と思われることが、原始仏典の中で最古のもののひとつとされる『スッタニパータ』 の中にある。中村元訳『ブッダのことば(スッタニパータ)』(岩波文庫)の679〜698詩句である。
 その概要は、アシタ仙人(シャカ族の宮廷僧)が坐禅をしているときに、帝釈天や30人の神々が踊りあがって喜ぶ様子が見えた。それはシャカ族のルンビニ村に、やがて〈さとり〉を開いて仏となるであろう菩薩が、多くの人びとの利益安楽のために人間界にお生まれになったからだという。そこでアシタ仙人は、その菩薩に会いに行き「黄金のようにきらめき幸福に光り輝く尊い顔の児」、「月のように清らかで、太陽のように輝く児を見て、歓喜を生じ」た。「仙人は、こころ喜び、嬉しくなって、その児を抱きかかえた。   その児は、頭の上に白い傘をかざされて白色がかった毛布の中にいて、黄金の飾りのようであった」。仙人は「シャカ族の牡牛(のような立派な児)を抱きとって、(特相を)検べたが、心に歓喜して声を挙げた。   『これは無上の方です。人間のうちで最上の人です。』」と言ったというのだ。
 この原始仏典の段階では「周行七歩」や「天上天下唯我独尊」などの伝説はまだできていなかった。



2018.04.15 Sunday 20:43
住職雑感 comments(0)
花まつり、お釈迦さまのお誕生日です
2018040812290000.jpg
花御堂に誕生仏をお祀りし、甘茶を灌いでお祝いします。


2018.04.08 Sunday 12:32
東雲寺あれこれ comments(0)
シャクナゲが見ごろです
2018040812260000.jpg


2018.04.08 Sunday 12:27
東雲寺あれこれ comments(0)
どこにあった道しるべなのか?

2018040413100000.jpg
 東雲寺の鐘楼堂の近くに、かつて旅人たちを案内したであろう「左 東海道」「右 中仙道」という石柱の道しるべがあります。

 先代住職にどこにあったものかを尋ねたことがありましたが、分からないとのことでした。

 成瀬を含む旧南村地区内の街道沿いのどこかにあったのだろうと思います。

 



2018.04.04 Wednesday 13:15
住職雑感 comments(0)
<< 2/74PAGES >>